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大学生の頃は、 いわゆるハリウッド映画が嫌いで、というより、 若気の至りでハッピーエンドという図式が嫌いで、 何かと言っては60、70年代のベトナム戦争を 背景にした薄暗〜いアメリカン・ニューシネマ、 『真夜中のカーボーイ』 『スケアクロウ』 『いちご白書』 『クレイマー、クレイマー』 『イージー・ライダー』 『明日に向って撃て!』 『ダーティ・メリー、クレイジー・ラリー』 『カッコーの巣の上で』 『ヘアー』 『タクシードライバー』 とか、 いわゆる商業路線じゃない(あるいはそれっぽくない)日本映画、 『櫻の園』 『東京上空いらっしゃいませ』 『鉄男 TETSUO』 『あふれる熱い涙』 『三月のライオン』 『宇宙の法則』 『ありふれた愛に関する調査』 『12人の優しい日本人』 『お引越し』 『薄れゆく記憶の中で』 『福本耕平かく走りき』 『ひき逃げファミリー』 『風の王国』 『ちぎれた愛の殺人』 とか、 とにかくそういう、 平日の昼間に劇場へ行けば「閉店、ガラガラ」、ビデオ屋へ行けばレンタル中の札が掛かってない、 みたいな映画ばかり観てはヘタすりゃ俺って映画通?ぐらいの気分でいたんだけれど、 さて就職するという段になり自分には何か社会へ出て語るべきことのひとつでもあるんだろうか…? なんて振り返ったとき、「映画が、好きです」程度のセリフしか思い至らないという事実に行き当たり、 だけど、『ジュラシック・パーク』 も 『エイリアン』 も 『ターミネーター』 も 『プレデター』 も知らなけりゃ、 スタローンの映画もメル・ギブソンの映画もブルース・ウィリスの映画も知らないという現実に愕然、 「俺…映画知らないじゃん!」となぜだか急に焦り出して慌てて観に行ったのが 『スピード』 だった。 その頃ボクは名古屋に住んでいたので、 駅前にある名鉄東宝という名古屋で1番目か2番目に大きい劇場で 『スピード』 を観たんだけれど、 とにかくそのとき驚いたのが観客の多さ。 「映画館て、こんなに人混むの!?」と、もともとが人口約6万5千人の岐阜の山奥の片田舎の出身、 しかも名古屋へ出てきて卒業間際まで行ったことのある劇場が、 名古屋シネマスコーレ と 名古屋シネマテーク という、 こっちで言えば ラピュタ ぐらいの席数しかない劇場だったので、 映画館が人の熱気で溢れ返るという現象に、これは誇張でもなんでもなくホントに驚いたのである。 しかも映画が、面白い! ものすごく面白い! あまりに面白いので2回つづけて観てしまったほど。 「あ〜俺は大学4年間、いったい何をやってきたんだろうなぁ…」 とあらためて就職寸前の学生にありがちな“先行型五月病”にも拍車がかかり、 だけどそれがキッカケでハリウッド映画もフツーに観るようになった、というワケ。 というワケなんだけど、ところが最近、というよりもうずいぶん以前から、年を喰ったということなのか、 映画に対する考え方がだんだん逆行するようになってきて、 「もう、ハリウッド映画なんてどうでもいいや」と今再び思うようになってしまった。 とは言えまぁ、最近で言えば 『イン・ハー・シューズ』 のような映画は観てよかったと心底思えるし、 そのすべてがすべてというわけではもちろんないんだけど、 『ハリー・ポッター』 とか、この週末から公開される 『Mr.&Mrs.スミス』 とか、ホントにどうでもいい…。 じゃあ今回の 『花井さちこの華麗な生涯』 みたいな映画はそんなに“どうでもよくない”映画なのかと問われれば、 そう! どうでもよくない。 こういうマジョリティをいっさい否定したしかしその否定した先にこそ生まれる真の娯楽精神だけが、 ボクを癒してくれるのだ。 そりゃこの映画のカタルシスがボクの愛する映画たちに比肩するかと言われればそうでもないけど、 少なくともこういう映画には、それこそ地の底からフツフツと湧き上がってくるかの如きエモーション (傍目にはわからなくても)を感じてボクはそこにスクリーンの“向こう側”を見る。 金がなくても、客が面白いと思うものを、そして何より自分が面白いと思えるものを見せてやろうと 心の底から叫んでいる人間たちの作った映画はそれがどんなに駄作であっても観ていて清々しい。 というわけで、 近年ピンク映画界の雄・女池充(めいけみつる)監督が手掛け、そして一般ピンク映画の枠を超えて 海外でそのカルトぶりがウケ満を持しての凱旋上映となったのがこの 『花井さちこの華麗な生涯』。 もしかして、これが渋谷のシネ・ラ・セットでの上映だったら行かなかったかもしれないが、ココから 自転車で10分もかからない我が街中野の優良ミニシアター、ポレポレ東中野での上映だったので 観に行った。 歌舞伎町のイメクラで働くさちこ(黒川エミ)は、 ある日、発砲事件に巻き込まれて、額の真ん中に流れ弾を受けてしまう。 ところが、蘇生した彼女がその穴にアイペンシルを挿すと、なぜか天才的な頭脳の持ち主に!? 一方、発砲事件を引き起こした工作員は、 彼女が世界の存亡に関わる“大統領の指”を偶然手に入れたことを知り…。 知る人ぞ知るトラッシュ・ムービーの鬼才、 中野貴雄監督の考えたストーリーをこうしてわざわざ書くことが果たして有効かどうかは疑問だが、 とにかく面白い。切なくなるほどに面白い。 上っ面だけの政治ネタも見せかけだけのこの世の憂いも怒涛のエロとナンセンスで木っ端微塵に 吹き飛ばすそのアナーキーぶりはやはり非・商業映画的魂。「グループ魂」とは訳も格も全然違う。 チャーリー・カウフマンの脚本より挑戦的で、 マイケル・ムーアよりもブッシュをおちょくり、 そしてゴダール映画のセリフより哲学…とは言いすぎなもののしかしそれぐらい褒めてもあながち 違和感はないだろうその面白さは、もしかしたらホントにゴダールが認めてくれそうな気さえする…。 そしてもちろん、元はピンク映画。エロい! いくら「ピンク映画」という括りではあっても、 意外とそのカラミの部分を映画的に感じたりしてしまうとさしてエロいとは思わないものなんだけど、 これはホントにエロかった! もしかしたら(いやきっと)私的な印象なのかもしれないが、決して美形でもなんでもない黒川エミの あのエロさは半端ではない。 この人、実はプロ格闘家として女子の総合格闘技、「スマックガール」のリングにも立っている人で、 そのかたわら、中野監督のもとでキャットファイトもやっている根っからの肉体派女優らしいんだけど、 物語が進むにしたがって増してゆく彼女のエロさと可愛さがかなり映画の要となっているのは確か。 ここまでひとりの女優のカラミを何度でも観たいなんて思うことはAVでも珍しい(やっぱり私的かな)。 それはもちろん、上映前に行われた、中野監督と彼女、 そしてもうひとりのキャットファイター(名前忘れた)による舞台挨拶代わりのキャットファイト・ショーで リアルに彼女の姿を見ていたことが潜在的に作用していたからということは言うまでもないだろう。 (それにしてもシュールな空間だった…。だけどそれがまたある意味“中野的”で温かくもあった…) 今回のこの舞台挨拶はまったく情報として知らなかったことなんだけど、 これだけでもプラス映画で1,200円なんてお得と言えばあまりにもお得。 こんなこと、アンジェリーナ・ジョリーはいくら金積んでもやってくれない。 とにかく、 この映画を観て確信したのは、ボクにはやはり 『Mr.&Mrs.スミス』 なんて映画は要らないということ。 そして、ボクは確実にマイノリティー寄りの人種であるということ。時に虚しさも感じるが、後悔はない。 ( ポレポレ東中野 にて12月9日までレイトショー公開) |
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