瓶詰めの映画地獄 2009

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help リーダーに追加 RSS あの日、ボクが親父に言えなかったこと… 『あおげば尊し』

<<   作成日時 : 2006/01/28 06:00   >>

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その日の夜は、ボクがひとり、
病室で親父の看病をしていた。
医者の話によれば、アルコールの禁断症状で脳は半分麻痺したままの状態だったので、
ボクの方を見たり天井を見上げたりしては、
目だけをキョロキョロさせている親父がいったい何を見ているのか、
ボクにはサッパリわからなかった。

そんな親父を見ていたら、また、涙が込み上げてきた。
「父ちゃん、苦しいんか? 体、痛いんか?」 親父は何も応えない。
そりゃそうだ。全身チューブにつながれて、口も鼻も塞がっているんだから……。
もう死ぬまでボクの名前を呼ぶことはない。
寂しいけど、いっそのこと早く死んでほしかった。
父親のこんな惨めな姿をいつまでも見ているぐらいなら、
一刻も早く想い出になってボクのなかに入ってきてほしかった。

そしてその気持ちは、やがてボクのなかで、
「親父はもう死にたいんじゃないか?」という錯覚に変わっていった。
父親のこんな惨めな姿を、いつまでも息子に見られていたいわけがない。
男ってそういうもんだろう。
ボクはすっと手を伸ばし、親父に酸素を送り続けているチューブに手をかけた。
もちろん、外そうと思ったのだ。
でも、その瞬間、親父はボクの方をしっかり見て、カッと目を見開いた。
「何やってんだお前!」
ダチョウ倶楽部の竜ちゃんなら帽子を床に叩きつけて、「殺す気かっ!」みたいなもんだろう。
ボクはハッと我に返って、親父にハッキリ声が聞こえるように顔を近づけて謝った。
「ゴメンな、父ちゃんゴメンな」

小さい頃はあんなに大きいと思っていたのに、
今やすっかり、まるで老婆のそれのようになってしまった、
しかし温もりだけは昔のままの親父の手を強く握ると、
親父もボクの手を、強く握り返してきた。
「ビックリさせやがって」 そんな気持ちが伝わってきた。
お袋から危篤の連絡を受けて、
兄貴といっしょに病院へ駆けつけたときの変わり果てた親父の姿を、
兄貴は、中学生ぐらいのときに国語の教科書で読んだ、
芥川龍之介の 『羅生門』 に出てくる挿絵の老婆のようだと喩え、
ボクは、ホラー映画の 『バタリアン』 のようだと喩えた。酷い兄弟もいたもんである。

こんな見るも惨めな姿になっても、親父はまだ生きようとしているんだな……そう思ったら、
だったらなんで仕事もせずに酒ばっかり呑み続けたんだよ!
とブン殴ってやりたくなったがまた鼻がツーンとしてきてボクはガキみたいにワンワン泣いた。

小さい頃、手をつないで外を歩いているとき、
親父はよくボクの手を2回強くギュッギュッと握ってくることがあった。
ボクが見上げて、「なに?」と言うと、こちらを見もせずに楽しそうに笑う。
それでボクが前を向くとまたギュッギュッと2回握ってきて「なにー?」と言うとまた笑う。
そうやって、リアクションのすこぶるいいボクをからかって楽しんでいたのだ。
ボクは、親父の目を見ながら、
すっかり骨と皮だけになってしまった手を2回強くギュッギュッと握ってみた。
すると、親父も強く2回握り返してきた。1回だけ握ると、1回だけ強く握り返してきた。
それが、元から無口だった親父とボクに残された最後の会話の手段だった。

「どうして、どうしてこうなる前にもっと話を聞いてあげなかったんだろう…」
小さい頃は、あんなに親父のことが好きだったのに。
小さい頃は、あんなに親父の運転する車の助手席に乗るのが好きだったのに……。

まだほっかむりしたままのチンコの周りに毛が生えてきて、
家でも教室でも女の裸ばかり想像しているような年齢に達した頃には、
もうすっかり親父と会話することもなくなり、
どんどん酷くなってゆく酒の呑み方をありったけの罵詈雑言で痛烈になじっては、
殴りかかる代わりに棚の中に並んでいる酒を、
片っ端から台所に流して狭い近所に聞こえるぐらいの大声でケンカばかり繰り返していた。
「(女と)ヤりてぇ」と呟く回数よりも親父に「死ね!」という回数の方が圧倒的に多かった。

「お前なんかに何がわかる!」
ケンカが激昂すると、親父は決まってこう言った。
何が俺になんかわからなかったのか、今こそ教えてほしかった……。
俺と兄貴とお袋を残してもうすぐどこかへ行ってしまうなら、
あのとき俺に何をわかってほしかったのか、ちゃんと言葉で伝えてほしかった。
どんな体たらくでも父親であることの辛さを理解するには、
男の諦めの人生の辛さを噛みしめるには、20歳のボクはガキすぎた。

親父の温かい手を握っても、ただ温かさが伝わってくるだけだった。
そしてボクも、
けっきょく親父に息子としていちばん言わなければならない言葉を口にできることなく、
数日後、親父はボクが看ているときに、苦しむことなく死んでいった……。


『あおげば尊し』 のなかで、
主人公の光一が病床の父親に向かい、
「この齢になって、何を言っていいのかなんてわからないよ、お父さん」
と語りかけるシーンを観たとき、ボクは劇場の隅の方でバカみたいに泣いた。
こらえようとしてもこらえようとしても、涙と洟が止まらなかった。
わりかし客の少ない日曜の夜の回を選んで観に行ったのは正解だった。

「死ぬ」とは、「伝える」ことじゃないかと今思う。
そして、「生きる」ということも、「伝える」ということなんじゃないかとボクは思う。
「死」は自然の摂理だ。
だから、「死」そのものについていくら観念的に考えたって、
「死」を“経験した”ことのある人間がいない以上答えは永劫見つからない。
だったら、「死」は「生」に対してどう“生かされる”べきなのかを考えるしかないのだ。

現代日本映画を代表する名匠のひとり、
『トニー滝谷』 の市川準監督の最新作 『あおげば尊し』 は、
錯綜する時代のなかで、
何を伝えていいのかを見失い、“こどもに返りたがっている”迷える現代の大人たちのための、
そして、
“死にリアルを抱けない”時代に彷徨うすべての人のための「福音」のような名作である。

今、最も勇気のある日本映画。

 末期ガンの父親を自宅に戻し、
 家族で介護することを決めた小学校教師の光一(テリー伊藤)。
 しかし、頑固で厳しい教師だった父親の見舞いに来る元教え子は、
 ただのひとりもいなかった。そんなとき、
 光一は、クラスの生徒がインターネットで死体の写真を閲覧しているのを見つけ動揺する。
 「どうして死体に興味を持っちゃいけないの?」 その教え子の問いに答えられない光一。
 自分の受け持つ生徒たちが「死」の意味を知らないことにはじめて気づいた光一は、
 課外授業として、死期の迫った父の姿を彼らに見せようとする……。

画像

主人公・光一を演じるのは、
笑福亭鶴光と並びボクが今最も尊敬している“50代”のひとり、天才演出家のテリー伊藤。
(TVじゃうかがい切れない彼の真の魅力を知るにはニッポン放送「テリー伊藤 のってけラジオ」)
普段TVでうかがえるアクの強い個性を抑えて、物語のキーとなる教え子と、
教師と生徒という関係を超えた父を想う人間同士の葛藤を闘わせている姿が印象的だ。

この映画に“答え”はない。
というより、観た人の数だけ答えのある映画だとボクは思う。
ただ、どんなカタチであれ必死に何かを「伝えよう」と生きてきた人間は、
最後には称えられるべきなんだ、
という悲愴なまでの強い意志だけがスクリーンから強烈に伝わってくる。
『東京兄妹』 や 『東京夜曲』 よりもリアルに“今”が風景のなかに身を潜め、
『病院で死ぬということ』 よりも勇気を持って、
10歩も100歩も踏み込んだこれはその13年目にしての解答篇。
死にゆく人間の尊厳を体現する加藤武はもちろん、
光一の妻としてまるで違和感のない薬師丸ひろ子も素晴らしく、
なにより、光一の母を超自然体で演じて画面の一瞬一瞬に深く馴染む、
「サザエさん」のオフネさんの声を担当している麻生美代子さんが本当に素敵だ。

画像

心があるなら観てほしい。

今、この国が最も目を向けなければならない問題に真正面から取り組んだ、
今、最も観る意義のある日本映画。



親父が他界する数日前、
お袋が、親父に顔を近づけて、
「父ちゃん、しっかりするんやよ」と大きな声で話しかけると、
親父は痩せ細った両手をそっと伸ばし、
お袋の両頬をやさしく撫ぜながら包み込んだ。
慈しむような、まるでこどもが母親を見るように何も含まない眼差しで。
アルコールで頭が半分イカレていたから、
その行為が何を意味するものだったのかはわからない。
だけどそれは、無口で、シャイで、笑うときも決して口を開かず、プライドが高くて、愚かな、
なにより息子の前でも平気で自分の妻のことを、
そしてボクのお袋のことを「ババァ」と言って罵ることしかしなかった、
ボクの親父がお袋に、ボクの目の前で生まれて初めて見せる、
61年の生涯を込めたたった一度の感謝の気持ちと罪悪を詫びる愛情表現だった。

そしてそれが、
いちばん伝えてほしいときに何も伝えてはくれず、
その不甲斐なさを自覚して自己嫌悪をごまかすために酒を毒のように呑み続けた、
ボクの父親の、最後の“言葉”だった。

死にゆく人間は残る人間に、
そして同じように生きてゆく人間は死にゆく人間に、
きっとこれだけは伝えていかなければならないのだ。

「ありがとう」と。



シネスイッチ銀座、新宿 K’s cinema にて公開中 ]

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
涙。
大阪ではまだ公開されてませんが、必ず見に行きます。
April
2006/01/28 08:54
ありがとうございますm(_ _)m ぜひ観に行ってくださいね。
栗本 東樹
2006/01/28 15:02
栗本さんのお父様との関係は、このブログを通して
何となく感じ取っていましたが、
こういった別れ方をされていたんですね。
そして、こういうことを感じていたんですね。

憎むことで関係を断ち切ってしまう人間もいれば、
憎んでいてもこうやって涙を流す人もいる。
栗本さんの思い出アルバムを切り取ってみているような感覚に
陥ってしまいました。私も、お父さんの助手席大好きで・・・。
そういった人格を作り上げてきた栗本さん自身や環境に
とても感謝です。
だって、こんなにもグッととくる文章を作り、そして読ませてもらえて
るんですもん。映画そのものよりも、栗本さんのエピソード
の方が強烈な印象が残りました。

それにしても、エロネタから一転してますけど、
何をかいてても栗本さんらしくていいなぁ、と思います。




sayoyo
2006/01/28 15:48
思い出アルバムか・・・恥ずかしいな(照)。
映画もいいので、よかったら観てみてくださいね。
栗本 東樹
2006/01/29 01:31