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大相撲秋場所で18回目の優勝を決めた、 朝青龍の出身地、モンゴル(モンゴル国)には、 昔から大きな憧れがありながらも行ったことはなく、 だから、モンゴルと言われてもすぐに思い浮かぶのは、 その朝青龍と“モンゴルマン”(from 『キン肉マン』 )と“モンゴリアンチョップ”くらぃなんだけど、 しかし曲がりなりにも大学では歴史学科に在籍し、東洋史を専攻していたボクが、 締め括りの卒業論文のテーマに選んだのは、いわゆる“蒙古襲来”、 歴史の教科書では“元寇(げんこう)”として登場する日本と蒙古との戦いを、 しかし日本側からでもなければ蒙古側からでもなく、 その間に挟まれていた今の朝鮮半島、当時の高麗王朝側から捉えるというものだった。 1274年(文永の役・ぶんえいのえき)と1281年(弘安の役・こうあんのえき)の二度にわたり、 “フビライ=ハン”率いる元に攻め込まれながらも、 いずれも暴風雨が味方して日本側の勝利に終わったこの戦い。 その奇蹟的な勝利が“神風(カミカゼ)”という言葉の由来になったのは有名な話だけど、 しかし小国・日本が大国・元に勝ったと記されるこの未曾有の戦乱も、 実は攻め込んだ方のフビライにしてみりゃ属国にした高麗と南宋の軍隊を、 とりあえず疲弊させればそれでよしみたぃな“消化試合”的意味合いの濃いものだった。 今や(当時)ユーラシア大陸に跨る強大な帝国を築かんとしていたフビライにとって、 大陸的に見ればまるで“金魚のフン”のような日本なんて小さな島国、 ジパングだかなんだか知らねぇがどーでもいぃ程度の価値でしかなかったのだ。 ただ一度目負けてカチンときたからとりあえずもう一度攻めただけ。 たまったモンじゃないのは占領された上にやりたくもない戦争仕掛けさせられた高麗と南宋。 当然モチベーションは最初から低ぃし海を渡ること自体に慣れてなぃしで、 実は神風なんて吹かなくてもけっきょく日本は勝てたんじゃないかという歴史観もあるぐらい。 昔からマイノリティー寄りだったボクは学生当時この話をいたく気に入り、 元の属国にされた南宋と高麗、こと高麗の悲劇に感化されて卒論テーマに選んだのだった。 なぁーんて書くといかにもカッコよさげだけど、実はこれにはチャントした元ネタがあって、 この話は、作家・井上靖の隠れた名作歴史小説、『風濤』 のモチーフになっている史実。 高校の世界史の先生にススメられて読んで以来、ずっと心のどこかに残っていた題材で、 ゼミの教授が朝鮮史は専門外ということをいぃことにボクはあえてこの題材を選び、 『風濤』 の概略を“論文調”に、しかしそこはチャント自分の言葉で書き下し、 そこに若干の資料を加え、200字詰め原稿用紙100枚にまとめて提出したのだ。 (言ぃ訳するつもりじゃないけど、朝鮮史に興味があったのは事実で講義も取っていた) しかもこれが手前ミソになるけど専門外の担当教授にやたらと評価され、 「この論文は実にわかりやすぃ! キミ、教師にはならないのかね?」 とまで言われてガッチリ“優”を頂戴しめでたく大学を満期で卒業したしだぃ。 昔から人の目を盗むのと、その場凌ぎと“他人(ヒト)のマワシで相撲を取る”のは得意だった。 そんなワケで、モンゴルはボクにとって、 少なからず縁のある国なんだけど(ウソ、なぃ)、 縁があると言えば、今年、2006年はなんと、 「大モンゴル建国800周年・日本におけるモンゴル年」とか言ってめでたぃ年なんだという。 当然、初耳。朝青龍だってそんなことはきっと知らないに違いない。 (でも、朝青龍も2場所連続で優勝したんだから、それに相応しい年にはなったか?) 日本では’98年に国際交流基金が「モンゴル映画祭」を開催してるようだけど、 なんでもその後、全国各地で巡回上映されてきた映画を本国に返すことになったもんだから、 このたび、6日間の限定で開催されることになったのが、 途轍もなく地味だけど、やはり映画好きとしては観逃がせないこの小企画、 「モンゴル映画の回顧 1945-1987」。 ボクが先日、観てきたのは、 モンゴル映画1960年代の作家、B・ジャムスラン監督の喜劇 『フフーの結婚』(’62)。 国営農場で働くある青年が、 列車のなかの束の間の出会いでひと目惚れした女性に手紙を書くが、 仕事のできない郵便配達夫のせぃで同姓同名の違う女性のもとへと手紙が届き、 そこから行き違いのドタバタが始まるという様子を描いた、地味で素朴だけど温かい作品だ。 もう1本つづけて観たのは、旧ソ連時代、モスクワで映画を勉強し、 50年代半ば頃から活躍、モンゴル人としては最初に名を挙げた監督とされる、 R・ドルジパラム監督の小品 『また馬に乗りたい』(’59)。 ボクは観たことないけど、『ゴビの蜃気楼』(’80)という作品でこの監督は知られているようだ。 優秀なんだけど愛馬を死なせてしまったことから牛飼いをやらされるハメになった、 ある馬飼いの青年が(ややこしぃ)再び馬飼いとしての名誉を挽回するまでを描いた、 これまた超が付くほど地味だけど遊牧民のタフな生活が活写されいて興味深い1本。 モンゴルは、1921年に中国から独立するときにソ連の援助を受けたことにより、 長らくソ連の衛星国とされてその状態が1990年までつづいたという国なために、 モンゴル映画は、今観るといかにも社会主義的な色合いの濃い作品が数多い。 でも、多くの社会主義映画がそうであるように、 上記の2本など、そこにはただ体制寄りで終わるだけじゃない芸術としての主張があり、 あまりに牧歌的すぎて途中でウトウトしてしまうのはそりゃ仕方がないとは言え、 ソ連でもなければましてや中国でもない、行ったこともなぃクセに無責任なこと言うけど、 それはもう“モンゴル的”としか言ぃようのない独特の感触があってそれだけでも付加価値大。 1945年に作られた 『ツォグト・タイジ』 は当時としては空前の大作にして異色作らしぃので、 興味があれば誰かぜひボクの代わりに観に行ってほしぃ。損はしない気がする。 “世界ウ○ルン滞在記”を見て感動するのもそりゃ確かにいぃかとは思うけど、 本当によその国を知りたいと思うのならマズはこういう機会を逃がさないことだ。 水道橋まで、モンゴル相撲を取りに行こう。 「モンゴル映画の回顧 1945-1987」 [ アテネ・フランセ文化センター(水道橋) にて9月27日(水)まで開催 ] |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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来年(だったけっか?)には角川さんちのチンギス・ハン映画も公開されることですし、きっとモンゴル・ブームが来るんですよ(ホントかよ!)。 |
びすかちゃ 2006/09/25 01:06 |
あ、そう言えば 『蒼き狼』 って今、作ってるんだ。 |
栗本 東樹 2006/09/25 19:12 |
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