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信じるも信じないも何も、 実際に“幽霊”を見たことがないのに、 「幽霊なんて信じない」などと言えるハズもなくて、 それは言い替えれば、幽霊を見たからと言ってそのまま幽霊を信じるワケでもなければ、 または見たことがないからと言って幽霊を全然信じないワケでもないということ・・・。 要は目に映るモノだけがすべてじゃないという考え方のこれはその延長だし、 自分が見ないから見たという人の話まで信じない…というのは、 それはたとえば、いくら自分にとりその映画がツマラなかったからと言って、 面白かったと言ってる人の話まで意見も聞かず全否定するのと了見は同じだ(自戒)。 まぁ話はチョット逸れたけど―、 ただ、“幽霊”という存在について思いを馳せる時、ボクがいつも思うのは、 なにゆえ幽霊は常に人の怖がるような過剰な演出とともに登場しなければならないのか? そんなモン、誰もいないハズ(と思い込んでいる)の暗がりにボォーッと人がいれば、 それは幽霊だから怖いのか? 幽霊じゃなくても怖いのだ。 仮にたとえば、ある時部屋のドアを開けたら中に昔の女が立っていて、 “「ムカつく、ムカつく…」と呻きながら壁をガリガリ引っ掻いて”いたら(“”内実話)、 ボクは貞子と伽椰子に挟まれ前から後ろから犯される方がまだマシだ! まぁまた話はチョット逸れたけど―、 要するに支離滅裂になる前に、ボクは何が言いたいのかと言うと、 “幽霊”が存在する・しないは一旦、さておくとして、 何もいかにも幽霊なるものばかりが幽霊とは限らず仮に幽霊がいるとすれば、 たとえば自転車に乗っている時にふと街中で見かけた、 バス停に並んで新聞を読んでいる人が幽霊だという場合もあるだろうし、 いつも昼下がりに話しかけてくる散歩中のばぁさんが、 実はもうすでに幽霊という場合だってあるだろうってこと。 もしそうだとすればボクは幽霊なんて怖くもなんともないし、 人に必要とされたい、自分の想いを忘れてほしくない、 というのが、生きている人間の実存につながるのならば、 幽霊だってそう思いながら存在しているのは何も霊能者に言われなくたって当然、 バス停に並ぶ幽霊だって散歩中のばぁさんの幽霊だって、 コチラ側に“何か”を訴え出ようとしている最中なのかもしれないワケで、 ボクら明日の日本映画を憂いそして信じるリアル映画ファンのマエストロ、 傑作、『LOFT ロフト』 もまだまだ記憶に新しい黒沢清監督待望の、 というワリにはずいぶん早かった最新作、『叫〈さけび〉』 は、 我々の住むこの社会というものは生者・死者の関係なく、 自分を忘れてほしくない、思い出してほしい、という、 地中深く眠っているどこかの誰かの心の叫びを埋め立て埋め立てその上に成り立ち、 そしてボクらはそこで生活を営んでいるのだというダークな現代のお伽噺……。 不可解な連続殺人事件を追う刑事・吉岡(役所広司)の脳裡に、 ある時、もしかすると自分が犯人なのではないかという疑念が浮かぶ。 曖昧な自身の記憶に苛立って人知れず苦悩する彼を、 恋人の春江(小西真奈美)はただ黙って静かに受け入れる。 吉岡は同僚の宮地(伊原剛志)の勧めに従い、 精神科医の高木(オダギリジョー)の元でカウンセリング治療を受けたりもするのだが……。 『呪怨』 シリーズの名プロデューサーを迎えて、 『LOFT』 の“ミイラ”につづいて“幽霊”という直球のホラー・ネタに王道のミステリーを加味し、 『殺人の追憶』 に 『CURE』 を足し 『シックス・センス』 で割ったような、 いかがわしくそして不穏な空気に充たされたこのドラマの主人公は1人の刑事―。 しかし、当然これはドラマなので主人公を軸にして話は展開してゆくワケだけど、 その主人公、吉岡が体現するのはまさしく現代社会そのものに思える……。 劇中、“自分は人を殺したのではないか…?”、と、 フラッシュバックのように吉岡を苦しめる断片的な過去の記憶は、 この世界が成り立つ上で、誰かの幸せのために不幸になった者たちすべての、 そしてボクらが都合よく忘れてしまった多くの犠牲が放つ魂の“叫び”なんじゃないだろうか? 物語の発端のキーワードのひとつである“埋め立て地”とはまさにそのメタファーであり、 それが示唆するこの世界の絶対的な構図は 『ダーウィンの悪夢』 とまるで同質。 要は、『CURE』 のようなサスペンスと、『回路』 のような世界観と、 『LOFT』 のようないかがわしさで黒沢監督が謳い上げてみせるのは、 この世界のために犠牲になり埋め立てられたいくつもの孤独な魂たちは、 そのまま埋められているワケでもなければましてや“お墓の中”にいるワケでもなく、 誰かに過去を気づかせるため“風になり”いつも耳元を吹き荒び叫んでいるに違いないという、 黒沢節のダークサイド版、“千の風になって”……。 精神科医に訊ねる吉岡のセリフ、 「幽霊が出る相手を間違えるということはないんでしょうか」とか、 幽霊たる存在の“赤い服の女”である葉月里緒奈を極端なアップで捉えたり、 ましてや幽霊が、自分でドアを開けて外へスタスタ出てゆくなどといった、 ファンをワクワクさせるような黒沢的ギャグを随所に散りばめながら、 しかし観る者の角度により物語はいかようにも姿を変えその面白さ、吸引力はこれまで以上。 地に足の着いた演技陣の安定感と、緩急自在のストーリーテリングに心地好く身を委ね、 予測不能のドラマの果てには静かに万感鳥肌が立ち黒沢清リスペクターには鉄板。 まさしく絶対に成熟せずしかし進化を遂げ旧作を超え続ける黒沢監督近年最上の1本。 “千”かどうかはともかく「風になる」という主題歌もラストの余韻を静かに深めてくれる傑作だ。 [ シネセゾン渋谷 にて公開中 ] |
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叫@シネセゾン渋谷
常日頃から思っていたことなのだが、繁華街に心地良さを感じるのは大勢の他人が自分に全く関心を示していないことにあるような気がする。格差社会が叫ばれても世界各国に比べればかわいいもので、その、幅の狭い階級が雑踏の中、紛れ、孤独が自分の部屋に通じて、拘泥せずにく ...続きを見る |
ソウウツおかげでFLASHBACK現象 2007/03/01 21:36 |
「叫(さけび)」映画感想
ミステリーホラー映画「叫び」を見てきました、怪しいミステリーかと思ったら、かなり ...続きを見る |
Wilderlandwandar 2007/03/02 00:41 |
叫
過去をリセットして、新しくやり直すこと。一見前向きに見えるこの態度には、無責任な忘却が含まれている、なぜなら、人は一人で生きているわけではない以上、自分の過去には他人の生が含まれているから。恋人関係、不倫関係、親& ...続きを見る |
Kinetic Vision 2007/03/03 20:35 |
映画「叫」
「叫」(黒沢清監督)に叫びは必要ない。叫ばなくても、叫びたくなる。これは過去からのテロリズムなのか。 ...続きを見る |
佐藤秀の徒然\{?。?}/ワカリマシェン 2007/03/04 13:19 |
『叫』
ストーリーは単純にして明快。高度な謎解きの映画ではなく、『ドッペルゲンガー』のように混乱させるような映画でもなく、かといって『CURE』や『ニンゲン合格』のように融通無碍でもなく、『叫』はストレートな幽霊映画に仕上& ...続きを見る |
斜に構えた映画評 2007/03/10 01:10 |
【2007-44】叫(さけび)
はじまりは湾外地帯で起こった、不可解な連続殺人事件 ...続きを見る |
ダディャーナザン!ナズェミデルンディス!... 2007/03/27 20:10 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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ドア開けて出てったり、飛んだり、出るとこ間違えたんじゃねえのって言ったり、その独創性たるや他の追随を許さず、それでいて骨組みがしっかりしてエンターテイメントであるという実力者。まさしくリスペクターには鉄板ですな。ところでその実話、めちゃくちゃおっかないですねぇ。どれだけ悪いことをしたのか気になるところでありますw |
現象 2007/03/01 21:58 |
>現象さん、こんばんは。 |
栗本 東樹 2007/03/02 20:04 |
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