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“終りよければすべてよし”―。 最終的に人生の良し悪しは“死に方”で決まる。 パッと聞き投げやりな響きもするけど昔の人はうまいこと言った。 どれぐらい昔の人が言った言葉なのかよく知らないし、 ボクがそう勝手に解釈しているだけだけど。 確かに事故でもなく、病気でもなく、ましてや稀な理由でもなく、 そんなに面白い人生や裕福な人生を送れたワケではないけれど、 とにかく苦しむことなく真っ当に人生が終えられるとわかっていれば、 今ある悩みなんて、すぐに雲散霧消してしまうんじゃないかと思う……。 ボク個人としては、人生の悩みはすべて、 自分の“死に方”がわからないという恐怖に直結していると考える。 いつ? どこで? そこまでハッキリとでなくても自分は安らかな死を迎えられると知ってるなら、 人は誰にもやさしくなれるし、すべてのことに悩む必要なんて、この際いっさいなくなる。 ただ、それを逆説的に言えばそんな人生はツマラないということになるんだけど。 いつか安らかに死ねると知っているなら生涯独身でも不安じゃないし、 いつか穏やかに死ねるとわかっているなら学校や職場のイジメなんか怖くない。 仕事の悩みも人間関係の悩みも恋の悩みも金の悩みもそんなモンぜーんぶ怖くなくなる。 いつか安心して死ねると今、保証してくれるなら・・・年金なんて要らねぇ。だけど・・・。 怖いから、それならイッソ自分で人生を終わらせようか・・・時に人はそんな風に考えてしまう。 けっきょく人生は最期の最後までジレンマだし、 だからボクは、“死”を意識しない人生に意味なんてないと思うんだ。 だけど「ないと思うんだ」なんて重く出るワリに羽毛のような軽い人生しか送ってないから、 やっぱりすべてに不安だし、すべてが怖くて、人にやさしくする余裕などもない。 GWを数日実家で過ごし、そしてまた帰る段になって、 いつものように家を出る直前に半分寝たきり気味のばぁさんに、 「また盆に帰ってくるで(名古屋弁)、それまで元気にしとれよ」と言ったら、 ばぁさんは、「次に逢うのは葬式かもしれん・・・」と寝返りをうって自嘲気味に言った。 そんなばぁさんのひと言多い元来のヘソ曲がり気質も今は寂しさからだと、 ボクは知っているつもりなのでとくには何も言わなかったけれど、 どれだけ“死に方”を怖がって毎日仏壇に手を合わせても、 ばぁさんがどんな風な“死に方”を迎えるかは誰にもわからない……。 お袋は、ばぁさんが本当に寝たきりになれば「施設に入れる」と、 ボクにもばぁさん本人にもハッキリ宣告しているけれど、 そんなお袋に、何かを言う権利は誰にもない。 もしも仮にそんなお袋に文句を言うヤツがいればその時は俺が許さない。 お袋は毎日ばぁさんの面倒を見ながらやはり自分の“死に方”に怯えているのだ。 (でも、お袋の“寝たきりなったら即施設”宣告のオカゲで、ばぁさんも必死に体を動かしている) 「オカンはアンタや兄ちゃんには迷惑かけたくないで、いずれ“グループホーム”に入る気や」 東京までのバスが出る名古屋駅に向かう直前に2人で寿司を摘んでいる時、 実家の箪笥の何段目に何が入っているという説明の最後で、 お袋はポツリとそんなことを言っていた。 お袋に本当にそんな寂しい晩年を送らせるほど、 自分も、そしてきっと兄貴も恩知らずな息子じゃない…と、 胸のウチでは思っていたけどボクは寿司を頬張りながらそれを黙って聞いていた。 “終りよければすべてよし”―。 最終的に人生の良し悪しは“死に方”で決まる。 パッと聞き投げやりな響きもするけど昔の人はうまいこと言った。 人間は人間として、少しでもいい“死に方”をするために、 マズは先に老い、いずれ逝く者がいい“死に方”をできるようにしてあげる。 そしてそれを順繰りに繰り返すことで人間の生活ははじめて営まれてゆくし、営まれてきた。 だけど、振り返れば今やこの国は、右も左も常に自分のことしか考えない人間ばかり。 国民を導くべき政治家さえ責任とともに自分の命をも投げ出してしまう始末・・・。 いずれ福祉が追い着く間もなく少子高齢化の加速とともにきっと“孤独死”も増え続け、 孤独死をはかなむカタチで独り身の自殺者もどんどん増えてゆくような気がボクはする・・・。 当然、ボクのようなタイプが、そこに“予備軍”として含まれるのは言うまでもない。 だけど、そんな悲惨な世の中にならないために、 そのキッカケとすべく困難な題材に真摯に向き合う人がいて、 そしてそんな志から生まれたボクたちが真に追随すべきこんな映画がある。 もはやペシミスティックに世の不幸を描いてそれで誰かが救われる、そんな時代じゃない。 (しかし映画ブロガーは、流行りの映画を追うのに必死でこんな映画には見向きもしない!) 映画を観終わり、先月の給料日からまだ日も浅かったので、 神保町から一旦家に帰ると、女のコを抱くために再び街へ出た。 虚しい都会の一隅で、それでも束の間、生きている歓びを実感して、 ことが終わった後、「いつか勃たなくなるのかな…」なんてことを考えた。 だけどそんなことを思いながらもイチャイチャしているとまた勃ってきたので、 「元気いいね」なんて言われながらもう1回だけヌいてもらって家に帰った・・・。 傑作ドキュメント 『あの鷹巣町のその後』 の羽田澄子監督作 『終りよければすべてよし』 は、 日本の福祉政策の遅れを暗に批判しながら終末医療の在り方についてやさしく問いかけた、 そして自身も高齢である監督が来る最期に真摯に向き合ったこれぞ本当の社会派映画だ。 [ 岩波ホール(神保町) にて7月27日(金)まで公開 ] |
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