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TVだと“お笑いブーム”とか騒いでいるクセに、 それが映画になった途端、“涙”や“感動”志向で、 とかくコメディを低く見るのが日本人の映画的な気質。 だけどTVも最近だと“お笑い+雑学”とか“+生活百科”とか、 とにかくなんか“+α”がないとウケない時代なのか本当にツマラナイ。 せっかく芸人が体を張って下品でバカでナンセンスなパフォーマンスをしても、 すぐ画面下に“マネしないでください”とか、“留意してます”みたいなテロップが出て、 コチラのテンションまで下げることこの上なく笑うのが虚しくさえなってくる。 それもこれもスポンサーの向こうにいる頭の堅いバカな良識派気どりのせいだ。 お笑い番組の過激ネタが子供のイジメを助長するとか本気で思ってるような連中が、 日本のコメディ文化をここまで退化させて今やヌル〜い“若手お笑いブーム”ばっかりだ。 下品なお笑い番組が子供に悪影響? アホ! 今のTVに、「ドリフ」や「ひょうきん族」や「元気が出るテレビ」や、 「お笑いウルトラクイズ」や「みなさんのおかげです」みたいな番組がないことこそ、 子供のイジメが陰湿化している間接的な影響だといい加減に気づけバカPTA! “お笑い”なんて、純粋濾過したら下品と低俗と差別が基本に決まっている。 だけど、それが紛うことなく人間の一側面だからこそ、 それを思いっきり笑い飛ばすことで人は元気になれるんだし、 吸収力の良い子供の感性だってどんどん磨かれてゆくんじゃないか。 というワケで、TVでバカができなきゃ、 俺のフィールドの映画でやってやると言わんばかりに、 確信犯的バカを目指した北野武の破天荒コメディ 『監督・ばんざい!』。 公開前から酷評に次ぐ酷評の嵐で逆に話題の本作だけど、 そのカタルシスさえ呼び起こす呆れるほどのバカぶりに、当然ボクは“賛”の1票だ。 ストーリーなんて書かないけれどつまりこの映画を要約すれば、 たけしが自虐を込めながら同時に日本映画の現状をひっかき廻し、 あとはひたすら数珠つなぎに徹底的にバカなコントを見せてゆくという、 前半は映画“ツービート漫才”、後半は映画“ひょうきん族”。 一見、作家として煮詰まってこんな暴挙に出たように見えるけど、 『TAKESHIS’』 を経て突き抜けた作風にそんな“迷い”は見られない。 思うに、たけしがこの映画でしようとしたことは、 自らの手でこれまでの北野映画をメチャクチャに“壊す”こと。 前作、『TAKESHIS’』 でコメディアンとしての自分と監督としての自分を、 メビウスの輪のようにして描き切り人生回顧してみせたたけしは、 今度はコレで北野映画を“浄化”したかったんじゃないか。 TV等で報道された通りカンヌ映画祭のレッド・カーペットの上で、 浅草で買ったというチョンマゲのかぶりモノをしてバカを見せるなど、 彼はそうすることで世界中で独り歩きしている“北野武”という名前を、 コメディアン・ビートたけしの元へ帰属させたかったような気がするのだ。 そういう意味じゃ本作は超究極のプライベート映画だし、 そんなマネができるのもカンヌであんなマネができるのも、 ひいてはたけしが、“世界の北野武”なればこそだ。すげぇ。 本作にしてもカンヌにしても彼にすれば「してやったり」みたいなモンだろう。 “暴力映画は封印”みたいなギミックを用いながら、 だけどこのバカバカしさはそれこそ映画において過分に暴力的だし、 そしてその破壊衝動はそのまま、商業主義に凝り固まり“涙”と“感動”が跋扈する、 昨今の日本映画に対する猛烈な怒りの裏返しとしても受け取れる気がする。 要はこの映画がキ○ガイの撮った映画として酷評されるんであれば、 “男たちの大和”も“セカチュー”も“三丁目の夕日”も全部キ○ガイだってこと。そうだそうだ! ついでにたけしは小津の映画も好きではない。 ツービートの漫才と言えば、 たけしがひたすらTVの人気ドラマなどにツッコミまくり、 それをきよしが「そんなこと言ってお前、TVよく見てんじゃねぇか!」と突っ込んで、 「そうなんだよ、好きなんだよ」と言って下げるというパターンがあったけれど、 要は、“監督・ばんざい!”というのはその“下げ”の意味なんだと思う。 ナンダカンダ言って、俺は映画を撮るのが好きなんだ、と……。 たけしはこの映画で終わり? バカな。 彼は間違いなく映画監督として自分の先を見ているし、 個人的には今にたけしはベルイマン級の傑作を撮ると思っている(?)。 とにかく個人的にウケたのは“人工衛星「足立区」”と“尿瓶のオシッコを呑むじじぃ”! 一方、松ちゃんことダウンタウンの松本人志初監督作、『大日本人』。 公開までの徹底した秘密主義が功を奏し一部じゃ入れないほどの大盛況、 なればせっかくなのでボクも無責任に内容には触れないようにしたいと思うけど、 要するにこの映画を端的に表現すれば、 松本の天才的“笑い”のセンスが大・中・小と炸裂し、 そして爆笑の後に郷愁が漂う、異色かつ新解釈のヒーロー映画。 よく松ちゃんの“笑い”をシュールなんて思っている人がいるけれど、 どう考えたって松ちゃんの“笑い”の基本なんて昔から完全にベタだし、 本作を「難しい」だなんて言っている人の思考順路の方がよっぽど難しい。 これは、映画的云々はともかく良くも悪くも王道かつ鉄板の松本人志作品だ。 そういう意味じゃ、監督デビュー作としてはかなり極私的すぎるキライはあるかもしれなし、 松ちゃんの“笑い”が好きじゃない人は門前払いという狭さも全篇に感じられなくはない。 『監督・ばんざい!』 のように壊れてない分、より映画的入口は狭いとも言えるだろう。 だけど、そんなに秘密主義に徹するほどの内容じゃなかったとは言え、 タイトルからは想像もつかないような方向性の編み出し方はさすが松ちゃんだし、 映画的スケールを考えて“ヒーロー&(怪)獣映画”を選択したベタぶりも素直でいいと思うし、 なにより、観た人同士で鑑賞後に思い出してワイワイと笑い飛ばせるような、 小ネタ・大ネタの数々は、それだけでこの映画の大きな魅力。 どうやらフランスの人々にはあまりウケなかったようだけど(当たり前だ!)、 ボクらが子供の頃から慣れ親しんでいる日本式巨大化ヒーローの“知られざる哀愁”を、 独特のセンスとオリジナルな言い廻しで笑いに昇華させる手管には個人的に安心感があり、 そう考えればこれはやっぱりタイトルも絡めてマズは日本人が楽しめればオーケーな映画だ。 (しかし、不評だったフランスでも、なぜか板尾さんが出ている場面だけは爆笑だったらしい…) ただ、これもあくまで個人的にだけど残念でならなかったのは、 どーしてクライマックスをああいう展開にしてしまったのかということ。 それは確かに、観ている間はずっと爆笑しっ放しではあったんだけれど、 あの展開を選んだことで少なからずそれまではつづいていた、 映画的なテンションが急にストンッと落ちてしまったのは確かだし、 それはもしかすれば松ちゃんの映画に対する“甘え”のような気もする。 大団円になって、急に劇場サイズからTVサイズになってしまったような違和感だ。 板尾さんと原西(FUJIWARA)ぐらいで、あとは吉本芸人に頼るのはよした方がよかったのに。 とにかく、現代日本のお笑い界を代表する、 “東の巨人と西の天才”が良くも悪くもカンヌを荒らし、 国内同日公開という話題を呼んだ2本の快作、怪作、問題作。 眉間に皺寄せ、腕組みしながら映画観てるような頭の堅い連中はほっといて、 最近TVではなかなか見れなくなった両巨頭の笑いの暴走をここは積極的に堪能しに行こう! 「ぜひ!」 『監督・ばんざい!』 [ シネセゾン渋谷、テアトルタイムズスクエア(新宿)、銀座テアトルシネマ ほかにて公開中 ] 『大日本人』 [ ユナイテッド・シネマとしまえん、Q-AXシネマ(渋谷) ほかにて公開中 ] |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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栗本さま、こんにちは。 |
真紅 URL 2007/06/11 14:35 |
>真紅さん、こんばんは。 |
栗本 東樹 2007/06/13 21:02 |
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