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スリランカのコロンボから、 (スリランカの首都の名前、知ってる?) 日本で言えば京都にあたる古都キャンディへと廻り、 次は、そこで泊まった宿のオバサンに出立の朝にいきなりススメられた、 高原地帯にあるという小さな町、ハプタレーへ向かうことにした……。 キャンディから、そのハプタレーに向かうこれは列車の中での話。 いきなり定刻より2時間遅れで出発した列車がどんどん市街地から遠ざかり、 列車の中の空気が日本の今どきも顔負けの高温多湿の熱気から、 高原地帯の爽やかな涼気へゆるやかに変わり始めた頃、 最初から乗っていたのかどこかの駅でいつの間に乗り込んでいたのか、 楽器を持った若者の一団が、隣の車輌からそれは賑々しく歌を歌いながら入ってきた。 それがスリランカの歌なのかどこの音楽なのかは知らないしメロディなんて憶えてないけど、 同じ車輌に乗り合わせた人々はそれがさも当然の如くいっしょに歌ったり楽しげで、 ボクはあえてリュックからカメラを取り出したりはせず、 そのまるで映画から取り出したような異国での風景を、 心地好いリズムの中でしばらくの間、眺め続けた……。 歌ったのは1曲だけだったかな…? ひとしきり盛り上がると、 その若者たちは「次!」みたいな勢いで隣の車輌へ移っていった。 しかし彼らの演奏のオカゲで列車の中はすっかりいい感じで“温まり”、 その後、向かい合わせの座席で居合わせた現地の人々との会話も弾んだ。 まぁ弾んだとは言ってもそれはカタコト同士でなんだけど、どこからどこへ向かうのか、 スリランカ人の若いカップル、中でも若干英語が話せるカノジョの方がボクに話しかけてきた。 色が浅黒く決して美人じゃなかったけど、なぜかアンニュイと気怠い喋り方が、 色っぽくないこともないそのカノジョの名前はプシュパラタと言って確か26、7歳だった。 「アンタ、どこの国の人?」「アンタ、歳いくつ?」「アンタはどこへ行くの?」 雰囲気が気怠いのできっとボクをアンタ的な言い方で呼んでいたと思うんだけど、 カノジョに較べてその恋人は至って寡黙で(プシュパラタは彼氏を兄と言っていたけど)、 ボクとプシュパラタのやりとりを交互に見やりながらずっと微笑んでいるだけだった。 「アンタ、カノジョはいんのかい?」みたいなことをプシュパラタが訊いてきたので、 カノジョなんているワケなかったけどしかしボクはなんとなし「いるよ」と答えた。 「なんだぃ、それじゃアンタとアタイ、結婚できないじゃないのさ」ゼッタイこの子は、 自分のことをアタイ的な感じで呼んでいるに違いないと思えて仕方なかったんだけど、 ボクもそれに合わせて、「悪く思わないでくれ」みたいな風を気どりながら、 お詫びに(?)にカノジョに頼まれて2人の写真を撮ってあげた。 それが果たして、2人の手元に届いたのかどうかは一生わからないけど、 ボクはその後、スリランカを旅して南インドに戻ってからそのフィルムを現像し、 カノジョがメモ帳に書いてくれた通りに住所を書いて、スリランカへと送ってあげた。 (なんでスリランカにいるウチに送らなかったのかって? そういう無粋なこと訊かないでよん♪) 不思議なモンで、たとえば、こうしたトニー・ガトリフの映画なんかを観れば、 「ウワァ〜旅がしたいなぁ」と誰もが思い異国の地にいる自分を想像すると思うけど、 これが実際に旅に出ると、本当にその時「ウワァ〜旅がしたいなぁ」と想像したままの風景が、 突然、それこそ映画のワン・シーンのように目の前に現れたりするから旅ってヤツは面白い。 だけどこうして日々、雑事に紛れて生活していれば、 かつて旅した風景もどーでもよい些末なことに追いやられ、 記憶の彼方でボンヤリと霧がかかったように色褪せてゆく……。 しかしそれでも、ボクが旅の想い出を今もこうして詳細じゃないにせよ鮮明に憶えているのは、 やっぱり、映画を観続けているという連動性のオカゲなのかもしれないと思える時がある。 とくにガトリフ映画を観ると、ボクは決してロマないしラテン文化に触れた経験はないけれど、 確かに映画の中に息づくリズムが自分の知っている“旅のリズム”と符合する部分があり、 映画を超えて上記のようにとりとめもなく旅の風景を想い出し、ウットリとしてしまう……。 『ラッチョ・ドローム』、『ガッジョ・ディーロ』、『愛より強い旅』 のトニー・ガトリフ最新作、 アーシア・アルジェント主演の 『トランシルヴァニア』 は、愛に傷ついた1人の女性の、 心の再生を躍動感溢れる魅力的な民俗音楽に乗せて綴った優しく激しい物語……。 告白すると、最近、寝ても寝ても体の疲れが取れなくて、 映画のリズムのあまりの心地好さにつられる感じで、 ボクは映画の途中で不覚にも寝てしまった……。 それでイッソと思い、想い出した旅の話をツラツラと書いているんだけど、 (でも実際、映画より旅の話を書いている方がずっと楽しい。一種の現実逃避?) しかしあくまで映画の良質なオーラに包まれて心地好く眠りに引き込まれた後の覚醒は、 たとえば旅の途上、優雅な退屈の中で昼寝をしていてハッと目が醒めた時に覚える、 そこがどこだか一瞬わからなくなるんだけどでもそれがたまらなく気持好いという、 “あの感じ”を想い出させてくれる一種、独特の浮遊感があり、本作の場合も、 寝てしまったにもかかわらず映画を観終わった後は無性に心くすぐられてしまったというワケ。 シメとしては妙だけど、これもまた、映画の贅沢な楽しみ方のひとつだとは思わない? ほかにただひとつ言えるとすれば、 ボクはこれから先も旅の風景を忘れないために、 たとえばトニー・ガトリフの映画を追い続けるだろうってこと―。 さて、次はどんな映画が、どんな旅の風景を想い出させてくれるかな……。 [ シアター・イメージフォーラム(渋谷) にて公開中 ] |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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私は映画館でよく寝ますけど、寝方に2種類あります。「本当につまらなくて寝る」のと「高品質の良い波動が出ているせいで寝る」の2つです。後者は、仰るように贅沢な至福の時間です。こういう感じを味わいたくて映画を観てるんだった〜と思わされます。 |
c.mama URL 2007/08/23 17:15 |
>c.mamaさん、こんばんは。 |
栗本 東樹 2007/08/24 22:21 |
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