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いくら、こんな大して誰の目にも触れない一個人のブログとは言え、 ( 『靖国』 の記事は思っていたほどアクセスが伸びないな。なぁ〜んだ) そしてたかが暇つぶしに観た映画の感想とそれにまつわる雑文とは言え、 自分の書いた文章を少なからず不特定多数様の目にこうして晒す以上は、 時に己の恥部は晒しても、あまり恥ずかしいことは書きたくないと常に思う。 要は映画の感想とは言え、あまり的外れなことを書いちゃ恥ずかしいな、と。 いくら好きっつったって、毎回毎回、メチャクチャ面白かったりすればともかく、 平均して約2時間程度、映画を集中して観るのってケッコウしんどいことだし、 でスクリーンからチョット意識が離れた瞬間に、肝心な場面を観逃したりして、 それで自分の中で勝手に勘違いして映画を解釈してしまう場合もあるワケで、 そりゃま、そんなトンチンカンも利害のない個人サイトだったら許されるとは思うけど、 しかしそれはそれ、書く側のプライドとしてはやはりなるべく“筋の通った”ことを書きたい。 だから、自分のためにも映画というのは、本当は1本につき2回ぐらいは観た方がベストなんだ。 初回の印象なりなんなりを2回目で検証、または吟味して、その方がより深く映画を楽しめるし、 まぁ最初に観た時の感動を大切にしたいからあまり観直したくないという場合もあるんだけれど、 (一度逢っていい女だったからって、次に逢った時もいい女とは限らないのと同じだ。…同じか?) 話の筋がわかってる分、2回目以降はディテールにまで目を配れて面白いというのも間違いない。 そんな中、個人的にこの一週間の間で2回観た映画というのがこの 『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』。 今年、名優ダニエル・デイ=ルイスが2度目のオスカーを手にしたことでも話題の大作映画だけど、 1回目は先週の“映画の日”に日比谷で観て、これまた映画の日なんてゼッタイ満席になると思い、 2日ほど前に事前にチケットだけ購入しに行くというそこまで手間をかけたのに(座席指定制なので)、 そして別に寝てしまったワケじゃないにもかかわらず集中できずにあまり面白いとは思えなかった。 まぁ要は疲れてて、それはもう青山テルマが“アオヌマシズマ”に聞こえるぐらい疲れてたんだけど、 凄い映画だとは思うのにスクリーンとの距離を感じて映画に対しまったく何も感じなかったのだ……。 で、いつもだったらそのままテキトーにお茶を濁して本当は今回もそうするつもりだったんだけど、 しかし本作に限りそれがモッタイない気がして再度挑戦してみることにしたのだ。今度は渋谷で。 で、結果から言うと2回目は大いに楽しんで観ることができた。当然、話の筋は大方わかってるし、 それがユトリにもつながったか落ち着いて観ることができ、映画をたっぷり堪能したとさえ言える。 ただその反面、どーして初回の時に何も感じなかったかもわかったというのが実は今日のお題。 金と時間はかかったけど、オカゲで喉に引っ掛かった魚の骨が取れたようにスッキリした気分。 石油ブームに沸く、20世紀初頭のカリフォルニア―。 しがない鉱山労働者のプレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)は、 拾い子である息子H・W(ディロン・フレイジャー)をパートナーと称し利用しながら、 石油採掘事業によって莫大な富と権力を手に入れる。しかし、石油に魅入られ、 欲望の権化と化した彼は人間不信に陥りやがて息子をも追い払ってしまう……。 映画は20世紀初頭のカリフォルニアを舞台に、実在の人物がモデルという1人の石油王の盛衰、 石油に取り憑かれ欲望の権化と化して人間不信に陥りやがて自滅してゆくその怒涛の一代記を、 圧倒的とも言える重厚な筆致と繊細なディテール描写でリアルに、そしてパワフルに描いてゆく―。 テーマが“アメリカン・ドリームの暗部”というように、確かに100年近く前のアメリカが舞台とは言え、 欲に駆られて我を見失ってゆくプレインビューの姿は、翻って世界の大国にはなったがその代わり、 ひと皮めくれば中身はグジャグジャで、今や経済的にもボロボロという現在のアメリカこそを象徴し、 そういう意味じゃ、『ノーカントリー』 以上にコチラこそ今年のアメリカ映画を代表する1本とも言える。 『ブギーナイツ』 『マグノリア』 のポール・トーマス・アンダーソン(PTA)監督の演出は今や威風堂々、 彼の映画に対する執着こそが石油に執着する主人公の狂気と重なって背筋がゾッとしたほどだし、 1回目に観た時は、それだから映画に対してあまり人間味を感じなかったのかと思ったくらい……。 デイ=ルイスの芝居への執着も然りで、あまりの映画のテンションに自分が“引いて”いたのかと。 しかし、あらためて2回目を観て思ったのは(まぁ最初に観た時もそうは思ったんだけど…)、本作、 確かに演出、芝居、映像、美術、音楽とパーツごとに見ればどれも超一級で素晴らしいんだけど、 じゃあ何か問題があるとすればそれは原作のまとめ方というか要は脚本のバランスじゃないかと。 結論から言えば、本作には肝心の“中間部”がもしかしたら抜けているんじゃないかと思えるのだ。 まぁそれを中間部というのかどーかはともかく、2時間半を越える長尺でディテールも細かいワリに、 本作はなんかクライマックスをいきなり端折ってる気がして仕方がない。いや、ゼッタイ端折ってる。 子供だったH・Wが、立派な青年へと成長して結婚するんだけれど、そこからクライマックス間近の、 父親プレインビューとの訣別の場面へ至るまでのドラマがスッポリと抜け落ちてしまっているのだ。 その抜け落ちた部分、要は成長してからのH・Wと父親との確執のドラマこそが大事な気がするし、 本作の核心もあるんではないかと思うんだけどそれは全部会話の中で片付けられてしまっている。 話としてはそりゃ理解できるけど、印象としてはあまりに唐突すぎるし、なによりモッタイないと思う。 ボクとしては本作、原作こそ知らないがH・Wの視点で主人公のドラマを描いた方がよかったと思う。 父と子の(血はつながってないけど)、30年のドラマを軸にした方が話としても観やすかったと思うし、 H・Wがドラマの水先案内人みたいだったらもっと映画に感情移入ができたようにも思うんだけど…? それに最後の最後のイーライ(ポール・ダノ)との対決にしてもいきなりそこへと話が飛びすぎである。 まるでテンション芸人対決みたいな2人の大芝居で一応、クライマックスっぽくなってはいるけれど、 あそこも何か言い方は悪いが最後っ屁みたいに会話で全部を片付けている気がして印象は半端。 なによりイーライとポールの双子間の確執についてが一つも描かれないからそこに説得力がない。 要するにこの映画、読んではないけどおそらく膨大な原作をまとめ切れていないように見えるんだ。 2時間半は長いけど、2時間半で考えた場合、ドラマ的なペース配分は明らかに頭の方がデカイし、 これならイッソ、3時間を越える超大作にしてその中間部(?)も入れた方がよかったんじゃないかと。 このテンションだったら3時間強も苦痛じゃないし、こんなケツカッチンな印象ならその方がよかった。 まぁ2回つづけて観ようが的外れは的外れなのでやっぱりボケたことを書いてるかもしれないが、 しかし本作、どこを向いても絶賛でやれ「演出が凄い」とが「芝居が凄い」とか書かれてるワリに、 肝心の内容に関しては、触れていないものが多い気がする。評価されてるのは意匠面ばかりだ。 確かに“傑作”には違いないし、2時間半をダルませない観応え満点の大力作と言える1本だけど、 『ノーカントリー』 然り、最近演出や芝居の凄さだけで過大評価されすぎな映画が多いように思う。 それだけ映画そのものが複雑になってきている由なんだけど、なんかそれって、違う気がするな。 [ シャンテ・シネ(日比谷)、アミューズCQN(渋谷) にて公開中 ] |
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