瓶詰めの映画地獄 2009

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help リーダーに追加 RSS 思想は思想、映画は映画、渡辺文樹を初体感! 『ノモンハン』&『天皇伝説 血のリレー』

<<   作成日時 : 2008/11/11 01:00   >>

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実際に映画を観るのは実は恥ずかしながら今回が初めてのことなんだけども(ミーハー丸出し)、
渡辺文樹監督の名前を知ったのはカレコレ10年以上前、第4作、『罵詈雑言』(’96)の時だった。
当時は名古屋でサラリーマンをしていて、名古屋市内で見かけたのかどこだったか忘れたけど、
電信柱に、妙にインパクトのあるしかし怪しいデザインのポスターが貼られてあるのをよく目にし、
また上に書かれてある、“便槽内での変死事件…”云々という文句がさらに怪しさを煽りまくって、
同じくポスターを目にして気になったという会社の映画好きの同僚と2人してアレってホラーかな?
と、いずれにせよ気持悪いなと噂しつつもけっきょくそれはそれでポスターの話はすぐに忘れ去り、
あれから12年、去る9月に監督が逮捕されたというニュースでボクは当時を想い出したのだった―。

「想い出したのだった」と書くだけあり、ボクはこれまで渡辺監督の映画を観ようと思ったことはなく、
今回の“天皇制を批判した映画”のポスターを無断で貼って監督が逮捕されたという件に関しては、
正直無責任ながら“映画が広く世間へ知られるキッカケになってよかったじゃないか”と思う程度で、
『天皇伝説』 をまたゾロ逸早く攻撃した週刊新潮の記事に対しても、けっきょくこれまた最終的には、
『靖国』 の時と同様、映画の売上に大貢献(多分)という結果で「偉いじゃないか新潮!」という感じ。
ネットでチョット記事を追う程度でよ〜し観に行こ!とはつい最近まで実は思ってなかったんだけど、
いつだったか呑んだ帰りにフラフラ新中野近辺を歩いていたら鍋屋横丁のあたりでポスターを発見、
「11月4日、なかのZERO、なかのZERO…近っ!」ということでそれならばと観に行くことにしたワケ。

しかし当朝「なかのZERO」のHPで時間を確認しようとしたものの映画に関する記載はいっさいなく、
わかっていたけど一応確認するかと直接会場に電話をかけたら「お待ちくださ〜い」との女性の声。
電話の向こうでガサゴソ音がして「この人保留にしねぇのか?」と思っていると保留音になりしばし、
「えぇ…そういった映画の予定はないんですけど…」と言われ、あれ〜?俺、日ニチ間違えたか〜?
と、もう一度「確か小ホールだったと思うんですけど…」と訊ねれば再びガサゴソ音がしてその女性、
「小ホールは自主映画上映会というだけで詳しい内容はコチラではいっさいわからないんですが…」
と仰り、だけどボクは「あぁ、多分ソレです。どーもお手数かけました」と電話を切りなるほどそっかと、
これまた 『靖国』 同様“騒ぎ”を未然に防ぐための配慮なんかなと合点しいよいよ期待を膨らませた。

夕方、ボクん家からなかのZEROまでは徒歩10分圏内で、鍋屋横丁から伸びる通りを歩いていけば、
早くも大久保通りを越すあたりからチラホラ巡回警察官の姿が見え始め「オォ!やってるやってる」と、
聞けば騒ぎを懸念して上映中止とした会場もあるというのにコチラはすっかり不謹慎にもイベント気分。
ハヤる気持を抑えるべく施設前にある中野区民ご用達のホームセンターお馴染み「島忠・中野店」で、
カーペットのゴミや毛を取る俗称“コロコロ”の取り替え用を購入し、いよいよホール入口まで達すると、
しかし開場前ということで中にはまだ入れず人もチラホラで、警察や施設関係の人の方が多いぐらい。
ウロウロしていればまるで大道具のオッサンみたく当の渡辺監督も会場前を行ったり来たりしていて、
誰かに似てんなぁ、と思っていたら(顔は知ってた)前に働いていた久我山のパチンコ屋の店長だった。

監督に対し親近感を覚え、そして自然に入場待ちの列ができ始めたところで10分押しでついに開場。
後で知るんだけども、監督の内縁の奥さん(映画にも出演)だという女性が、1人でモギリをされており、
そしてボクたちがチケットを買うとこれまた4歳ぐらいのお嬢ちゃん(娘さん)が、「チラシはココで〜す」と、
なんとも可愛らしい声で、照れ臭そうにしながら1人1人に声をかけてくる(ちなみに彼女も映画に出演)。
こんな可愛い娘さんがいて、それで右翼が血相変えるような映画を創ってて大丈夫なのかしら…とは、
後に思ったマコト余計な心配なんだけれど、とにかく会場へ一旦入れば至極アットホームな雰囲気で、
周辺の異様な物々しさこそ悪フザケとしか思えぬくらい、中はワクワクするような空気に充ちていた―。
マジメな話ここまでの(不謹慎かもしれないが)ワクワクを体験した時点である意味ボクは満足していた。

中に入ったこと自体初めてな、なかのZEROの小ホールはキャパ550。いつも通り最後列に席を取ると、
監督も近くでエッチラオッチラ、映写機器類のセッティングをしている。機器類近くに座った客に向かい、
「すいませんソコは!前の方にどーゾ!」と気さくに声をかけるその様子は本当に気のいい大道具さん。
セッティングやら、客が入り切るのを待つやらで、けっきょく20分押しぐらいでようやく上映開始と相なり、
1本目の 『ノモンハン』、客入りはまぁまぁ4割程度。セッティングされた客席後方より監督自ら挨拶をし、
今回の一連の騒動に対するコメントやら映画の説明やらをデカい声でいろいろ聞かせてくれたんだけど、
「映像も悪いし音も悪いし演出も悪いしで拙い映画ですが、ぜひ観てやってください」と謙虚に語る姿は、
ただ純粋に映画作家という感じで、その時点で作品の話題性に対する“色メガネ”は外された気がした。



監督の第8作目にあたるという 『ノモンハン』 は、タイトル通り、1939年5月から9月にかけて、満州国と、
モンゴルの国境線をめぐって発生した日ソ国境紛争事件いわゆる“ノモンハン事件”をモトにした作品で、
ノモンハン事件といえば、ソ連の圧倒的な近代化兵力に対し日本は旧時代的な精神主義だけで対抗し、
結果、夥しい死傷者を出した帝国陸軍最悪の戦いとして巷間には伝えられてきた話なんだけど、監督は、
日本が惨敗したその影には“ある皇族将校”が関係していたと研究の末に推理、その推理を実証すべく、
後日談というカタチをとってストーリーを組み立て、土着性を感じさせるドラマをグイグイと見せてくれる―。
話を聞けば確かにそれは天皇批判なんだけど、しかしとかくそのヘンの知識に乏しいコチラとしてみたら、
映画は思想云々を超えてただ映画としてフツーに観応えがあり、1時間半ほどの尺はアッという間だった。

正直、上述の監督の言葉は全然謙遜じゃなく、昨今主流の(中身の薄い)映画を観慣れた観客にすれば、
単に本作( 『天皇伝説』 もだけど)は表面上は素人に毛が生えた程度の自主映画なのかもしれない……。
1回観ただけじゃ、流れが掴み難い部分も多く、パンフを読むなりして自主的に補足を加えることも必要だ。
だけど、観客にそういった能動的姿勢を喚起させるほど本作には昨今主流の映画にはない吸引力があり、
その出所はなんだかわからないんだけれど、とにかくボクにとっては(おそらくほかの人にも)新鮮な感動で、
映画の印象をパッと喩えるなら、それはロシアの怪人作家、アレクセイ・ゲルマンの映画を観た時みたいな、
“掴みどころには迷うけど異様に重厚”といった感じ。天皇批判という主張は主張だけど映画は映画であり、
街頭でアジるワケと違うんだからマズは面白い映画を見せようという監督の志こそ本来は見るべきなんだ。


そして肝心の 『天皇伝説 血のリレー』 は監督自ら語る通り、『ノモンハン』 の姉妹篇とも言うべき作品で、
ここからドヤドヤ人が増え8割方の盛況だったんだけど、正直、『ノモンハン』 観てないと少し辛かったかも。
これこそ今回の騒動の核心だしタイトルからして相当スキャンダラスな内容をイメージして身構えたんだが、
しかし監督曰く、3週間ほどで撮り上げるためにアクション映画という“安易な方法”を選択したということで、
なるほど確かに映画の前半を費やして語られる朱に染まった“皇室の血のリレー”は単なる説明に終始し、
もちろん「そ、そんなこと言っていいの!?」とビビる内容ではあるもののザクッとしすぎて迫真てほどじゃなく、
これまたコチラの知識不足とも相まり“見てはならない物を見てしまった”という感じまでは正直しなかった。
頑張ってパンフの解説も読もうとしたけど、途中、こめかみからプシュ〜と煙が噴き出してギブアップしたし。

主人公は(2作品とも主演は監督)、『ノモンハン』 で事件の真相を明らかにしようとした軍人の息子で(!)、
アメリカで軍歴もあるジャーナリストって設定なんだけど(!)、男はアメリカのイラク侵攻(湾岸戦争)の影に、
皇室財産が流れていたという疑惑を調べていたため、内縁の妻殺しなる容疑をかけられ逮捕されてしまう。
男は逃走し、疑惑を追及、そこへ皇室の謎が絡まって追いつ追われつのアクションが展開されるんだけど、
さすがに監督自身安易と言うだけあり展開はかなり強引な感じがしてお世辞にも巧いなどとは言えないし、
不謹慎だけど皇室の話にしても、歴史の裏真実を面白く見せるといった工夫に乏しく物足りないのは事実。
しかしコチラもけっきょく 『ノモンハン』 と同じで(というより監督の映画はすべてそうなんだろう)主張は主張、
映画は映画というワケで大団円でのアクション活劇は映像の粗さも極まりこれまた稀有な魅力だったのだ。

それはもちろん、これまた昨今主流のデジタル系大作アクションに較べたならテンポは鈍く思えるんだけど、
しかしそこで異様な存在感を醸しながら、体を張って立ち廻りをこなす監督を軸とした鈍重なアクションには、
ガテン系とでも言うべき、もしくは往年の刑事ドラマ的“ザ・昭和”な心くすぐられる昔懐かしい味わいがあり、
あえて言いすぎれば古いフランス製ギャング映画のような趣さえ画面に感じてグイグイと惹き込まれるんだ。
(できれば最大の見せ場であるロープウェイのゴンドラ爆破の場面はミニチュアを作ってやってほしかった!)
けっきょく天皇制批判がどーのこーのと大騒ぎしたところでそれ以前にこれはれっきとした1本の映画であり、
というより終わった頃にはそんなことすっかり忘れただ「凄ぇ映画観たな…」という感覚だけが心地好かった。
「凄ぇ」はいろんな意味の「凄ぇ」だけど、とにかくこの渡辺文樹映画の根底には病みつきになる何かがある。


『ノモンハン』 じゃ、肝心のクライマックスで映写トラブルが連続し、上映が何度も中断するというオマケ付き。
映像だけになったり音声だけになったり監督が何度も「すいません!」と、ライヴならではの空気がよかった。
挙句はどうにも対処できなくなり、映像だけを流しながら監督が自ら口頭で場面の説明を始めてしまうという、
さらには「ギャーッ!」とか、「天皇陛下バンザーイ!」と活弁士状態になって場内は爆笑とヤンヤの大喝采!
本当に政治思想なんて堅苦しい話は超え単純に映画って面白ぇな、ライヴって面白ぇなとそんな感じだった。
単に映画というより“映画ライヴ”といった雰囲気で、今なんかそこらの映画館で映画を観ているくらいだけど、
その昔、夏休みに田舎から都会に出て、テント小屋にアングラ芝居を観に行ったりした時のワクワクというか、
「映画を観る」ということに対する原点をあらためて見直させてくれるようなボクにはそんなイベントだったのだ。

『天皇伝説』 が終わり、人がはけ始めると、ボクはパンフレットを手にソソクサと監督のソバへと寄っていった。
頃合いを見計らってサインを求めるとそれに快く応じてくれてボクの目を見てガッチリと握手も交わしてくれた。
なんかミーハーも極まれりなんだけど、そんな感覚が実に久しぶりな気がして楽しくてしょーがなかったんだ!
ボクがサインを求めたのをキッカケにそのままミニサイン会状態となりいい迷惑だったかな、という気もしたが、
もしかしたら、それは中野というサブカルチャーが根付く街ならではの現象だったかもしれないと、後で思った。
会場の外へ出ると警察の姿はすでになくまるで祭の後の静けさで、最初の物々しさがウソみたいだった……。
思想は思想、映画は映画。あんなに「映画を観に行く」ことを楽しいと思ったのは、本当に久しぶりな気がする。
次は九段下か(確信犯!!!)。今さらだけど、ボクはなるべく、これから渡辺文樹の映画を観続けようと心に決めた。

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