銀座シネパトス的! 『コントロール』

画像1本の映画が面白かったか面白くなかったか、
心に残ったかそれとも残らなかったかは、
実は観た本人が思っている以上に、
“環境”や“空間”に左右されるものであるとボクは考えている。
誰ひとり自分のことを知らない人々と真っ暗闇のなかで、
ケータイ消して腕時計も外して深々とイスに座り込んで初めて
映し出される世界にのめり込めるという映画だってあるだろうし、
逆に孤独な夜、まるで人の気配のしない自分の部屋で、
明かり消してヘッドホンしてやっぱりケータイ消して
だからこそ泣ける映画だってあるに違いない。
何もシチュエーションの話だけじゃなくって、
好きな人がいるとかいないとか、からだの調子がいいとか悪いとか、
あしたの仕事が気になるとかならないとか、
案外映画の印象なんてその程度で大きく変わってしまったりするものだ。

ボクは、いわゆる“シネコン”があまり好きではない。というより嫌いだ。
確かに、イスの心地好さは絶品で傾斜も音響もバッチリ、
ひとり分の空間がアメリカン・サイズだから後ろのヤツに背もたれを蹴られることもなく、
ポップコーンもその辺の劇場のより格段に旨くて、
おまけにガサゴソ音を立てなくてもいいような
口の広い容器なので最後のひと粒まで残さず食べることができるなど、いいこと尽くしだ。
でも、混んでいるのならまだしも明らかに空いているのに座席を決められるのはやはり不愉快だし、
何よりあの無機質な箱的空間には人間の営みを感じさせる情緒というものがまるでない。
映画を観に行く理由はもちろんその映画を“観たいから”なんだけど、
とくに都内で毎週毎週映画を観にでかけているなんていう人のなかには、
お気に入りの映画館を2つ3つはすぐに挙げられるという人が相当数いるんじゃないだろうか?
ボクは断然、銀座のシネパトス!
口が裂けても“○・シネマ”や“シネ○イッチ”なんて言いたくありません。
この映画館は、数寄屋橋から晴海通りを歌舞伎座に向かって三越を越えたあたり、
通りを渡っている地下道のなかで一杯呑み屋やアダルト・グッズの店なんかと入り口を並べている。
今の銀座のイメージからはほど遠い、この“場末”の匂いがボクにはたまらない。
わかる人にはきっとわかってもらえるハズだ。
そしてあろうことか真下を日比谷線が走っているので、
上映中もおかまいなしに電車の通る音が定期的に聞こえてくるんだけど、
これがまた不思議と心地好く、
ひっそり都会の片隅に潜んで映画の世界に埋没しているという雰囲気を否応なしに煽ってくれる。
そんなイカした劇場でこないだの連休の3日目最終回に観たのが 『コントロール』。
公開前のTVスポットで、
カンニングの竹山を起用したギ○ガのやっつけCMをご覧になった方もいるかもしれない。

“怪物”と恐れられた凶悪犯リー・レイは、
死刑執行の取り止めと引き換えにコープランド博士の薬物実験の被験者となる。
人間の獣性を抑えるという新薬の効果が現れ、
やがて一般市民と同様の生活を始めるリー・レイだったが…。
正直言ってストーリー自体は昨年の 『テイキング・ライブス』 や 『ツイステッド』 並みにヒドく、
もうこちらに突っ込む余裕がなくなってくるほど
分刻みで突っ込みどころが現れるというまるで分裂症みたいな映画なんだけど、
主演がレイ・リオッタとウィレム・デフォーの2大怪優で、
ヒロインがミシェル・ロドリゲス、
しかもデフォーの上司役がスティーヴン・レイ( 『クライング・ゲーム』!)という、
あまりに濃厚すぎる超アウトサイダー系の映画的顔ぶれと聞いて
映画好きの食指が動かないハズがなく、
スクリーンのなかでリオッタとデフォーが向き合っているだけで
そこには一種説明し難い映画的説得力が生まれて不覚にもラストは感動してしまった。
そしてその根底に劇場の放つ“場末”の空気が深く関与していたということはもう言うまでもない。
要するに、ツンとすまし顔の小洒落た映画館でつまらない映画を見せられれば、
「テメェ! 気取ってんじゃねぇゾ!」と腹のひとつも立つが、
いかがわしい映画館でいくらいかがわしい映画を見せられても
そこには理に適った“筋”のようなものが感じられて少しも腹が立たないってわけだ。
そういう意味でも本作 『コントロール』 はぜひとも劇場で鑑賞したい1本(あくまで興味があれば)。
ただ少しだけ映画についてフォローしておくと、
もう少し、いやもっとしっかり脚本から作っていれば、
リオッタ主演の隠れた傑作 『アンフォゲタブル』 ぐらいにはなっていたかもしれないし、
一転“キレる”というキーワードから作品を観るとしたら、
これはマイケル・ダグラス主演の 『フォーリング・ダウン』 と同系列の娯楽作と言えたかもしれず、
はたまた“犯罪者を社会がどう受け入れるか?”という視点で見たならば、
本作をダルデンヌ兄弟の 『息子のまなざし』 と比較・検証することだってできたかもしれない。

ボクが銀座に出るときに使うのはいつも丸の内線だ。
改札を出ると、そこにはカウンターだけのカレー屋と回転寿司がいっしょになった店があり、
そこで安いカレーを食べて腹ごしらえをして、
お疲れ顔のサラリーマンやOLさんたちに逆らうように地下道を映画館に向かって歩いてゆく。
映画を観終わり、近くレイトで公開される特集上映にワクワクして、
ついでにチラシを2、3枚取って外に出るとすっかり時間が経っていて空気の匂いも少し違う。
そうして手にしたチラシをパラパラ見ながら歩いているうち、
今度はだんだん映画の余韻から日々の現実へと気持ちがシフト・チェンジしていって、
「俺はいつまでこんな生活つづけるのかぁ」というそこはかとない焦りと、
「いつまでもこうやって映画だけのんびり観ててぇなぁ」という心地好い安穏とが
ないまぜになった感情を抱えながら歩いているボクを、銀座のネオンが物憂げに見下ろす…。
こんな感傷に充ちた場末の独特の味わいは、
どんなに頑張ったってシネコンなんかには絶対演出できない。
“映画を観る”という楽しみは、実はもうそこから始まっているのだ。

もしも何かのご縁でこのブログを読んでくれた方が、
ひとりでも多くこんな映画館が東京にあることを知って興味を持ってくれたならすごくうれしい。

有楽町で、会いましょう。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0