映画で至福のひと時を 『コーヒー&シガレッツ』

画像やっぱり、
こういう映画を撮らせたらジャームッシュの右に出る者はいない、
といった感じで楽しむ11本のオムニバス映画。

くゆらすタバコの煙の気怠さと、
濃いめのコーヒーの苦味を印象づけるモノクロの映像。
タバコの先端がチリリと燃える音に、
カップのなかで微妙にひびくコーヒーをすする音。
マッチを擦る音、カップとソーサーが当たる音。
他愛ないのについつい聞いてしまうテンポのいい会話。
笑顔、当惑、思惑、目線、すべてが悔しいぐらいカッコいい。
ボクら日本人は、そんな彼らの日常のふとしたしぐさに憧れて、
これまでアメリカを追いかけてきたような気さえしてくる…。
ボクは生まれてこの方タバコを吸ったことはないけれど、
唯一映画のなかでカッコいいシーンを見たときだけは、吸ってみたいなと今でも思う。
コーヒーも、必要以上に音を立てて飲んだりして。
『コーヒー&シガレッツ』 とは、これまた憎いぐらいに直球ど真ん中のタイトルである。
これぞまさしく、“N.Y.インディーズ”の面目躍如。

その昔(といってもそんなに昔ではないけど)、
「好きな監督は?」と訊かれて「ジャームッシュ」と答えれば、
それだけでもう“映画通”として黙認されてしまうという妙な時代が確かにあった。
80年代に映画がジャンル的な細分化を始めて、そこに“アート”という要素が入り始めた頃の話だ。
娯楽映画では微塵も描かれない、等身大を生きる人間のリアルな日常の肌触り。
「なんでそれがアートなの?」って? ボクに訊かれても知らない。
重たいテーマや大義より、今横に感じる雰囲気に生の実感を求める時代だったんじゃないだろうか。
“アート”なんて言葉は、いつの時代も便宜的なものだ。
最近ではあまり聞かなくなったけれど、“N.Y.インディーズ”は、
元を辿ればジョン・カサヴェテス( 『きみに読む物語』 の監督のお父さん)、
継いでジャームッシュと並ぶのが、ジョン・セイルズやハル・ハートリー、
あと、アベル・フェラーラも?(フェラーラは大好きだ!)
どれもこれもトンがってるのに、その根底にはどうしようもない人間的な弱さや優しさが漂っていて、
10代の後半から20歳すぎぐらいの、ホントの意味で世間の狭い若い頃っていうのは、
そんな作家たちが撮る映画の主人公に自己投影して酔いしれてしまうものなんだ。
それは、映画好きならば誰もが通る30過ぎたらチョイ恥ずかしい映画的原体験。
でも、そういう映画たちはいつまで経っても色褪せることはない。映画がいつまでも生きているから。
だからジャームッシュは今も元気で、名前だけできょうも渋谷の単館を満杯にしてしまう。
前作の 『ゴースト・ドッグ』 なんかは、
ヘタをすれば単なるB級ノリで終わってしまうアートやリアルとはかけ離れたカルトな話だったけど、
独自のユーモアとテンポでセンスよく撮り上げて、
映画体験が豊富なだけで、
人生経験や恋愛経験にはまるで乏しそうなタランティーノに格の違いを見せつけてしまった。

で、『コーヒー&シガレッツ』。
11本中のどこに映画的満足感を求めるかは人によって違ってくるだろうし、
タイトルのとおり映画そのものがコーヒー・ブレイクみたいな作りなので、
2、3本寝てしまうぐらいがちょうどいい見方だとは思うけど、
ロベルト・ベニーニに先陣を切らせて、か~るくか~るく流していきながら、
スティーヴ・クーガンとアルフレッド・モリーナのパートと、
ビル・マーレイが笑わせてくれるパートで客席をしっかり温めて、
ラストはフェードアウトさながら静かに締めて余韻を残す…。
実はジャームッシュ映画が面白いとされるそのサブリミナル的要因は、
思われている以上にベタなその映画的構成にあるのだ。

先日水曜のサービスデーに観たので、渋谷のシネセゾンは立見・座り込みの大盛況だった。
きっと映画のあと、
隣のビルのロイヤルホストで映画について語り合いながらコーヒー飲んで帰っていったお客さんは、
10組はいたに違いない。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0