日本式で押し切る“超ド演歌”エンターテインメント! 『亡国のイージス』
ベストセラー作家、福井晴敏原作3本目の映画化。とは言えボクは最近小説どころか、
本そのものを以前ほど読まなくなってしまったので、
(これでも20代前半ぐらいの頃は、年間100冊ほどは読んでいた)
それが全部で3本目ということなのか、
それとも今年だけで3本目ということなのか、よくは知らない。
でも、いずれにしても今年だけで3本目の映画化というのだから、
これは本当に凄いことだ。ただ、
1本目の 『ローレライ』 は、話題になったワリに公開以降、
その評判の良し悪しをほとんど耳にすることはなかったし、
2本目の 『戦国自衛隊1549』 に至っては、観たという知人が、
そのあまりのデキの酷さに途中で気が遠くなったと言っていたので、
まるで観ようと思わないまま映画もいつしか終わっていたんだけど、
この 『亡国のイージス』 だけは、
かなり硬派で超贅沢な演技陣の顔ぶれに鑑賞意欲が沸々と湧いて、観てみることにした。
で、本作は、
良くも悪くも予想外の驚きと力技でラストまで飽きることなく楽しませてくれる、
そしてハリウッドからスタッフを招いたという世界照準の製作姿勢とはウラハラに、
かなり日本式で見せるコッテコテの“超ド演歌”エンターテインメント大作だった。
海上自衛隊のイージス艦“いそかぜ”が、副艦長の宮津(寺尾聰)と、
ヨンファ(中井貴一)率いる某国工作員らの一派によって乗っ取られる。
特殊兵器を携えて日本に宣戦布告した彼らに対し、なす術がない日本政府。
しかし、そんななか、乗組員のひとり、
千石伍長(真田広之)がテロリストたちに孤独な抵抗を試みる……。
海上自衛隊の全面協力により、
かつてないスケールで見せる日本最大の危機と“憂国”という巨大なテーマ。
そしてテーマ以前に痛快なアクションで観客を引っ張るという、
昨今の邦画にはなかった壮大な意気込み。
この2点を巨軸に監督以下スタッフ・役者一丸となった重量感のある手応えは、
ドラマの端々からズシリと重く、心地好く伝わってきて、127分の長尺をまるで飽きさせない。
しかし、映画が挑戦的であればあるほど、次から次へと課題が見えてしまったのもまた事実。
今までにないオリジナルな邦画エンターテインメントを目指すと言いながらも、
その作りはハリウッドというより間違いなく韓国エンターテインメントを参考にしたものだったし、
技術レベルの問題なのか邦画にはまるで合わないのか、
随所に出てくるCG映像はあまりにチャチく、案の定、
後半でなし崩し的に結束を弱めてゆくテロリストたちとの戦いは御都合主義の乱射乱撃、
だから、突如始まるスローモーションのアクション・シーンに感情移入なんてまるでできず、
なにより、憂国を怒りの源に宣戦布告したテロリストたちの心情に迫るカメラが弱すぎて、
言葉やセリフによる説明以上に、
ボクら観客を説き伏せるような“熱さ”を感じさせてくれなかったのが致命的。
あの韓国人女優演じるテロリスト少女の役どころも、
ボクには今ひとつその必要性が理解できなかった……。
要するにこの映画、各種CMスポットで今もよく使われている、
「どんなにみっともなくてもいい、とにかく生きろっ!」
という真田広之のセリフがすべて象徴するような芝居がかった大ゲサなセリフや、
大時代的にエモーショナルな場面の演出が不自然なほど先行しすぎて、
作品全体の印象がまるで“ド演歌”みたいにとにかく野暮ったいのだ。
(別に「演歌」を中傷しているワケではない)
原作のスケールをそのままスクリーン・サイズに拡大できなかった消化不良感は大きい……。
でも、だからと言ってこの映画は、決して失敗作なんかじゃない。
阪本順治監督は本当によく頑張ったと思うし、
“とにかく観客を飽きさせない”というその苦心と工夫だけは存外報われているとボクも思う。
なにより、鉄板で客を、とくに女性客を呼べる、
しかし大した演技などできない売れ筋の若手俳優を除外して、
(まぁこの際だからハッキリ書くけど、織田裕二とか、オダギリジョーとか)
ボクらが思っているよりもっと胸を張っていい超硬派な面構えを一堂に揃えたというだけでも、
製作側の本作に対する自信と熱意と意気込みが伝わってきて積極的に応援したくなる。
観てもまったくの損はない。
ただ最後にもうひとつ、
この映画のなかの出来事は、絶対にその内容を国民に知られてはならないハズのもの。
そのことを深く印象づけるためには、やはり真田演じる千石伍長は殉死させるべきだった。
そうして国民の誰に知られることなく、
日本の危機がひとりの勇敢な自衛隊員によって守られたという、
ひっそりとした雰囲気をラストで醸し出すことができていたら、
“超ド演歌”もいよいよついに極まってきっと泣けたと思うんだけどなぁ。