韓流今昔物語 「ユ・ヒョンモク監督特集」

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上の写真の御仁が、今回紹介する朝鮮戦争(1950~53)後の“韓国映画・第1次黄金期”を牽引した
“韓国映画の父”と呼ばれる巨匠のひとり、ユ・ヒョンモク監督(1925~)。
写真を真ん中に据えたらなんだか遺影のようになってしまったが(失言)、
御年80歳、まだまだご健在である。
監督の作品群がしっかり紹介されるのは、おそらく1996年に開催された
「韓国映画祭1946~1996 知られざる映画大国」以来のことだと思うけど、
写真は多分、その頃のものではないかと思う…。
伝わるかどうか疑問だが、ほんの心なし映画評論家の佐藤忠男大先生に似ているような気がする。

で、話はいきなり逸れるんだけど、
ボクはかつて、「映画評論家」になりたいと思っていた時期がある―(恥)。
試写状もらってただで映画何本も観て、好きなこと書いて金もらって…こんなに素敵な商売はない。
理由は単にその程度のものだったけど、実は映画好きだったら誰でも一度は考えることだと思うし、
こうしてボクと同様、
映画のブログを運営している人のなかにはきっとそういう志の持ち主だってけっこう多いに違いない。
だけど、「映画評論家」の“資質”というものを考える前に、じゃあ
“映画はいったい誰のものか?”ということに思いを馳せる必要もあるんじゃないかと感じるんだけど、
そうした際にボク自身としては、
“「映画」は時間を割いて料金を払った時点で観た人個人の所有物”だと考えるワケで、だとすれば、
「映画評論家」というのは、それとは逆に「映画」を“公的所有物”として大系整理及び客観的評価を
施すのがその本意じゃないか、と思うワケで、さらにだとすれば、
ボクみたいに常日頃から、「セカチュー死ねっ!」とか、「踊るナントカくっだらねぇ!」ってことばかり
喚いているようなヤツにそんな資質はまったくもってないワケで、
何よりボクは言うほど映画なんて詳しくもないし、
どころか観れば観るほど逆説的に知らない映画が次々増えてゆく現状に悩まされているぐらいで、
だから今は、いかにその映画が自分にとって必要か?を考えながら1本1本観るよう心掛けている。

と、こんなことを書いているうちに思い出したことがひとつあった。
あれは、そう、2000年に公開された 『シュリ』 を起爆剤に韓国映画が本格的なブームになる少し前、
一部ではすでに韓国の若手作家によるいくつかの作品が取り沙汰されていたその前年’99年の話、
渋谷のシネ・アミューズでそれらを集めた特集企画が組まれて、
併せた何名かの韓国人作家たちを招いての舞台挨拶及びティーチ・インに当然勇んで駆けつけて、
ボクは、『クワイエット・ファミリー』、『反則王』 のキム・ジウンと、
『気まぐれな唇』 や、この秋公開された 『女は男の未来だ』 のホン・サンスの話を聴いたんだけど、
思い出したのは、後者のサンスがティーチ・インで語ったひと言。
彼はその企画に、『江原道の力』 という作品で招待されていて、
残念なことに映画の内容自体はまったくと言っていいほど憶えてないんだけれど(多分、寝てた…)、
ひとしきり監督のその作品に対する想いなんかが語られたあと、
「では、監督に何か質問のある方は…」という司会者の仕切りで客席にマイクが向けられたところで、
ボクの後方に座っていたそんなにボクと歳の違わなさそうな人が挙手をしてサンスに対し質問をした。
「江原道と言えば、○○監督の○○年の 『○○○』 という作品がありますが、これと何か関連は…」
おそらくその人は、映画評論家になりたいタイプの人じゃないかとボクはそのとき思ったんだけれど、
その質問後にされたサンスの言ったひと言が、「関係ないです」
終了~である。そもそも質問自体そんなに話の広がりそうなネタでもないので、質問した当の彼も、
「そうですか…」とバツの悪そうな感じが背中越しに伝わってきた。
そして上映会もそろそろお開き、みたいな段になり、お決まりのように「監督から最後ひと言を…」と
再びサンスにマイクが向けられ彼がダメ押しで放ったセリフがコレ、「もっといい質問をしてください」
金払ってる客に対して何を不躾な、だったらもっと面白い映画作れよ、と一旦は思う彼のそのセリフ。
しかし、サンスにしてみれば、
「そんな評論家みたいな質問がいったい何のためになる。そんな質問より、キミたちひとりひとりの
経験則や人生観に根差したリアクションがほしくてボクは映画を撮っているんだ」
という気持ちだったのだろう。
ボクのなかでわずかながら燻っていた「映画評論家になりたい」という考えが変化したのはそのとき。
いかに多くの映画を観ているかなんてそんな統計上のことより、
いかに1本の映画を“自分のもの”にするか?ということの方が、
「映画を観る」という行為においては大事なことなんだと、当たり前ながらボクはそう思ったのである。

ユ・ヒョンモク監督について語れる知識などボクは持ってないし、
企画初日の舞台挨拶で、日本語を交えながら大きな身振り手振りでかつての自身が撮った映画に
ついて熱っぽく語る高齢の監督の姿にものすごく感動したので、
今回は方向性を変えて上のような話を持ち出してみたんだけど、
「映画を観る」とは、スクリーンを通して作者と“対話する(時にはケンカする)”歓びでもあるように思う。

そんなヒョンモク監督の代表作が、1961年発表の 『誤発弾』 だ。
同じ民族同士が殺し合う凄惨極まりない戦いだった朝鮮戦争―。
1953年の休戦以降も、経済はどん底という苦難の状況がつづき、
そればかりか、
「反共」が国是となって思想統一が厳しくなり、李承晩(イ・スンマン)大統領の独裁政権が生まれる。
1960年には学生らによる抗議行動が政権打倒にまで進展して李承晩大統領はめでたく追い出され、
一時韓国は民主主義の高揚に沸くが、そんな歓びも一瞬の夢、
まもなくパク・チョンヒによる軍事クーデターが起こって、今度は軍事独裁体制へと突入してゆく…。
本作品は、李承晩政権が倒れ民主革命に韓国が沸いた時期に製作が始められたにもかかわらず、
完成する頃には軍事政権が始まって上映禁止となった問題作。
劇中、気のふれた主人公の母親が、「行こう! 行こう!」と何かにつけて喚き叫んでいるシーンが、
「北へ行こう(北朝鮮へ逃げよう)」という意に捉えられた由縁だ。
ニッチもサッチもいかなくなって困窮する当時の絶望的な民衆の状況をリアリズムに徹して描いた
本作には、監督が色濃く影響を受けたという、イングマール・ベルイマンやロベール・ブレッソンらの
影を見て取ることもできるが、しかしその容赦ない徹底的な悲劇に継ぐ悲劇という構図の根幹には、
今の“韓流”映画にも通じる、“悲劇を美徳として受け入れる”、という民族的意識も感じて興味深い。
最近の例で言えば、数年前の 『JSA』 や今年の 『スカーレットレター』 などにも通じる徹底の仕方。
それは、潜在的には攻撃的であるボクたち日本人とは違って、
どこを占領したこともなく、ただひたすら侵略されるばかりだった民族のある種の精神浄化の思想。
「悲劇」を美徳と成して「悲劇」を昇華させるというカタルシスを今昔の韓国映画にボクは感じるのだ。
最近観た 『私の頭の中の消しゴム』 に今までにないものを覚えたのはきっとそのせいなんだと思う。

作風やテイストはもちろん違えど、今も昔も韓国映画には1本筋が通っている、それだけは確か―。

ヒョンモク監督は、最近の韓国映画をどう思っているのだろう。
監督の計らいで上映後に急遽始まったティーチ・インで、ボクはそれを訊いてみたかったんだけど、
かつての記憶が潜在意識に働いたのか、質問できなかった。
別にいいんだけど、別にいいんだけど、帰りにロビーで寄ってきた観客ひとりひとりに丁寧にサイン
していた監督の好々爺な姿を思い出すと、ほんの少し残念だ。

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「日韓友情年2005  韓国リアリズム映画の開拓者 ユ・ヒョンモク監督特集」
(京橋 東京国立近代美術館フィルムセンター にて12月25日まで開催)

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