“暴力”の結果を想像する意味、それは… 『ヒストリー・オブ・バイオレンス』

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園芸店でそれ用の薬品を買ってきては撒いているので、
最近じゃようやくそんなことも少なくなってはきたんだけど、
少し前まで、おそらく、会社にまだ人のいない早朝を見計らっては、
駐車場で犬に散歩をさせ、“糞”をそのままにしてゆく不届きな輩がいて手を焼いていた。
人数の少ない会社ということもあって、
気づいた誰かがその度に後始末をしていたんだけれど、こういうことはキリがない。
上記のようにわざわざ薬まで購入して策をとるようになった。アホらしいとはこのことだ。
だけど、いくらアホらしいといったって、度重なればその腹立ちたるや尋常なものではない。
いつしかボクのなかでは“見えない飼い主”に対する怒りがフツフツと増殖し続け、
その怒りは当然のように殺意へと変容を遂げて、
そして会社の周りを犬を連れて歩いている人を見かけると、
必ず手元にビニール袋の類を持っているか否かをジロジロと凝視するようになってしまった。
例に持ち出した話がミニマルで情けない限りだが、人の心はこうして日々荒んでゆく。

犬の糞の始末もできないようなクソ野郎は、
犬を飼う以前に死んでしまえばいいと本気で思うし、
殺せるものならこの手で腹を切り裂いて内臓を抉り出して殺してやりたい。
よくよく考えれば、世の中少し見渡せばドイツもコイツも殺してやりたいような連中ばっかりだ。
だけどそれをしないのは、もちろん“心”があるからだし、
ボクらのすべてを司る脳ミソが生み出す“想像”という活動が、
“暴力に対する嫌悪”を理性というカタチで導き出してくれるから。
これがなければ、人類なんてとっくの昔に死滅しているに違いない。
“人を殺す”人間には二種類。
想像を現実に変える狂気を心に備えている人間か、
端から想像なんて微塵もできないバカのいずれか、極論だけど。
“想像”することができないから、人の痛みも理解できない。要は、こういうことなんだと思う。

『ザ・ブルード/怒りのメタファー』(1979)、『ヴィデオドローム』(’83)、『ザ・フライ』(’86)など、
これまで、“精神の畸形”のメタファーとして“肉体の変容”をホラー・SFをベースに描いてきた、
カナダの鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督が、
人気グラフィック・ノベルを映画化した最新作、『ヒストリー・オブ・バイオレンス』 で描くのは、
人間社会のすべての悲劇の根幹である“尽きることのない憎しみ”と、
“終わりなき暴力の連鎖”がいかにして人の心を砂漠化してゆくのかというその過程と、
暴力の“結果”を映画的カタルシスとはいっさい無縁の徹底的リアルさで描写することにより、
今や想像力を欠いてしまった異形の現代人に向けて鳴らした悲しい警鐘のこのふたつ。
家族のドラマであると同時に一級のサスペンス・スリラーでもある本作だが、
その奥行きは途轍もなく深く、その余韻は鉛を呑み込んだように重い。
どうかよく考えながら観てほしい。

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 アメリカ中西部の田舎町で、
 ダイナー(食堂)を営むトム・ストール(ヴィゴ・モーテンセン)と妻のエディ(マリア・ベロ)は、
 ささやかながらも2人の子供たちと平穏で幸せな毎日を過ごしていた。
 ところがある夜、2人組の強盗がトムの店を襲撃して、
 機転を利かせたトムはうまく拳銃を奪って彼らを撃ち殺し、店を守る。
 その事件をメディアに取り上げられてトムは一躍地元のヒーローになるが、
 彼の過去を知っているという男・カール・フォガティ(エド・ハリス)が現れて事態は一変、
 しだいに、トムの隠された過去が家族の前に明らかになってゆく……。

暖かな陽光に充ちたなんの変哲もない田舎町が、
無機質な暴力によって血に染められる様子を淡々と描く冒頭のシーンから、
2人組の凶悪な強盗がトムの店を襲ってなんの罪もない人々を恐怖に陥れる展開へと至り、
観客は、暴力に対する怒りを覚えて平和を体現する(最初は)トムにすぐさま感情移入する。
しかしここでクローネンバーグは、彼特有の“内臓感覚”により、
人の“死に様”(つまり、暴力の結果)を徹底したリアルさでグロテスクに再現することで、
正義であるはずのトムの行動に対してさえ一抹の嫌悪感をボクたち観る者に呼び起こさせる。
“暴力に映画のような爽快感はない”という現実的な提示が重くのしかかってくる瞬間だ。
暴力の連鎖に終わりはない。
トムの血に染められた陰惨な過去が明らかになるにしたがい、
再び“報復”という名の暴力の連鎖が繰り返され始めて、
その果てない連鎖のなかでトムも、そしてその家族も、しだいに人間性を喪失してゆく……。
“人間性”とはつまり、“他者を信じられる心”だ。
それを失ってなおも人は“人でいる”ことができるのか……?
それを失ってなおも人は“人である”と言うことができるのか……?
そんなシンプルかつヘビーなテーマを端的に表現するに相応しい設定として、これまで、
クローネンバーグが描いたことのない家族のドラマを手掛けたであろうことは想像に難くない。

物語の最初の方で、
トムの妻のエディがチア・リーダーのコスプレをして、
久々に子供2人のいない夜を夫婦で楽しむという他愛もないシーンが出てくるが、
ラスト近くになって、
このシーンが信じられないような昔の話としてよみがえると同時に冷たく暗く色褪せてゆく。
暴力は何も生みはしない。暴力はただ、人の心を冷たい機械のように変えてゆく。
機械は同じことを繰り返す。そうして世界は止まらない機械のように暴力を連鎖させてゆく。
ラストの悲しい家族の団欒……。
彼らの食卓に、果たしてかつてのような温かさが再びもたらされるのか。
それを描くのは、誰よりスクリーンの前にいるキミたち自身なのではないか?
そんなクローネンバーグの声が遠く聞こえてくるかのように、映画は静寂とともに幕を閉じる。

モーテンセンやベロをはじめ、
エド・ハリスにウィリアム・ハートと俳優陣は超一級。
物語の行方をシンプルに語る映像も余韻の深い、クローネンバーグ近年ベスト級の大傑作!

『ミュンヘン』 とテーマは共通しても、
こちらにはエモーションの欠片もないので観終わった後はドッと疲労感を覚えること必至だが、
少年がホームレスを無残に殺した事件を本気で悲しいと思った人ならば観て損はない1本だ。

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