“北”の工作員たちの素顔を知る意味、それは… 『送還日記』

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お隣・韓国のことを、
“近くて遠い国”と言っていたのも今は昔。
10年前には考えられなかったぐらいの活発な日韓交流の現在に、
“韓流ブーム”がひと役もふた役も買ったのは間違いのない事実だけど、
果たしてボクたちは、
本当に隣の国のことを理解しながら(または理解しようとしながら)接しているんだろうか……?

たとえば“靖国問題”。
日本の仏教観は、“死んでしまえば善人も悪人もみんな仏様”、という考え方が基本だけど、
韓国や中国では違う。“たとえ死んでも悪人は永劫に悪人”。だから両国の溝は埋まらない。
まぁそれがこの問題の根幹かどうかはわからないけど、あながち無関係とは言えないだろう。
前に昼のラジオを聴いていたら高田文夫師父が、小泉総理の靖国参拝の様子をTVで見て、
「あの人は神社に参るときの作法を知らない。あれじゃ“靖国問題”以前の話だよ」
と言っていたけど、上に書いたようなことも小泉総理は知らないんじゃないだろうか?
(とは言え、かく言うボクも初詣など神社に参るときはいつもテキトーだけど…)

また、
先日のWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)のアジア予選で日本が韓国に負けたとき、
日本はわりと、「とりあえずアメリカ行けるんだからいいんじゃない?」程度の反応だったけど、
韓国では、それこそ盆暮れ正月がまとめてやって来たぐらいのフィーバーぶりだったらしい。
ボクら庶民は今じゃ韓国のことを仲の良いお友だちみたいに感じているけど、
彼らにとって、やはり日本はどこよりも負けたくない“隣のライバル国”なんだ。

とにかく、政治的にはどれだけ冷え込んでいても、
ブームや食べ物その他諸々のおかげでここまで密になった日韓両国なんだから、
ボクらはそろそろ、隣の国の本当の“素顔”を知るべき時期に来ているんじゃないだろうか?
そして、海の向こうの彼の国の素顔を覗いてみたいと思ったときに、
実際にその国まで足を伸ばすよりも有効にその国の本質の一端を垣間見せてくれるのが、
1本の映画であったりするわけで、この、現在渋谷で公開中の映画 『送還日記』 は、
韓国、というより朝鮮半島が抱える決定的負の問題、“南北分断”の悲劇を、
かなり等身大にボクたち(ある意味、分断の遠因でもある)日本人にも体験させてくれる、
ビョン・ヨンジュの 『ナヌムの家』 全2作の素晴らしさにも匹敵するドキュメンタリーの傑作だ。

“南北分断”の悲劇をモチーフにした韓国映画と言えば、
日本人がすぐに思い出すのは 『JSA』 やハン・ソッキュ主演の 『二重スパイ』 だと思うけど、
これらはラストにそれこそ救いようのない悲劇を用意して劇画チックに見せてしまったことで、
歴史的事実がどこか遠い国の話のような印象をボクらに抱かせてしまったのが弱点だった。
だけど、このドキュメンタリーでは、
30年以上もの長い間囚われていた、“非転向長期囚”、
つまり、思想を変えなかったために長期間韓国で拘留されていた、
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のスパイ(工作員)たちをひとりの人間として捉えることで、
歴史に翻弄される人間の悲しみと、実直な人間の信念を利用する悪辣国家の愚かさを、
まるで隣の人を思いやるような親近感でもって痛切に感じさせてくれる。
そう、ボクたち日本人がこの映画を襟を正して観る意味は、
ここ数年にわたりニュース等で嫌というほど見せられてきた、
北朝鮮による“日本人拉致問題”の本質を探るというところにあるんだ。
実際に拉致を行った実行犯の引き渡しをめぐって日朝間の駆け引きが進む(?)なか、
しかもそれをサポートする組織が国内に存在していたということで、
この先どうなるのか、といったあたりが昨今のこの問題なんだけど、
当のシン・グァンス容疑者の韓国拘留時代の姿が出てくることでも、
本作は一部で話題になっている。

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1992年の春。
キム・ドンウォン監督は、知り合いの神父から、
刑務所から出獄はしたものの身を寄せる当てのない2人の老人を、
自分の住んでいるボンチョン洞まで連れてくるように頼まれる。
そのふたりの老人とは、
“非転向長期囚”として長い獄苦から解かれた“北のスパイ”だった。
最初はいろいろと警戒心もあった監督だったが、
しかし、彼の目の前にいる老人たちは、どこか頑固ではあるものの、
自分が普段接しているのとなんら変わらないただの優しげなハラボジ(おじいさん)たちだった。
ドキュメンタリー作家の気質もあって、“彼ら”の生活に興味を持った監督は、
そのまま元長期囚たちが多く住む町に自分も暮らしながら、その素顔にカメラを向け始める。

時に語気を強めながらいまだに“北”を擁護するような発言をかましつつ、
時にいかに刑務所で受けた拷問がキツかったかを大声で語る元長期囚たち。
監督が連れてきたふたりのようにけっきょく最後まで思想を転向しなかった人もいれば、
あまりの拷問に耐えかねて転向せざるをえなかった人もいる。
だけど、監督の前にいる彼らはみな一様に明るい。
しだいに彼は、“北”のハラボジたちに身内のような親近感を覚えてゆく。
もちろんそこには、“北に対する”一抹の拒否感を残しながら……。
国家に忠誠を捧げながら、30年以上もの間自由を奪われ続けた老人たち。
果たして自分の人生はいったい誰のものだったのか? 北に残してきた家族たちは今……?
アイデンティティーを失いそうになりながらもあくまで気丈でいようとする彼らの姿は、
あまりに孤高で、ゆえにあまりに痛く哀しい。
おそらく彼らはいろいろな国家的犯罪に手を染めてきたのかもしれない。
しかしそれ以上の罪をどうして彼らに問うことができるだろう? 彼らもまた、被害者なのだ。

監督は、彼らのなかでもとくに人情に篤いチョ・チャンソン老人と親しくなり、
チョ老人は、監督の息子をまるで自分の孫のように可愛がる。
きっとそうすることで、北に残してきた家族への想いを癒していたのだろう。
老人と、監督、そして彼のふたりの息子がいっしょに写った一葉の写真は、
どこにでもあるごくごくありふれた、幸せそうな家族の写真だ。
そこに、国家の影は微塵もない。

韓国がだんだん外に開かれた国になってゆくにしたがい、
しだいに元長期囚たちを北へ送還しようという風潮が高まってくる。
世論は常に賛成・反対に分かれて紛糾をつづけるが、そんななか、歴史が大きく動く。
2000年6月13日、“南北首脳会談”の実現。
世界が朝鮮半島の変化を温かく見守り、北でも南でも和平ムードが盛り上がるが、
しかし、そんな歴史的ニュースを目にしても老人たちは意外と淡々と対応している。
今さら……、なのだ。こんな老い先短い体になってやっと北と南が手を握ったからといって、
自分たちの失われた日々が戻ってくるわけではない。
長い獄から解かれ、アイデンティティーもままならない毎日を過ごすうちに、
いつしか彼らの心から“北”を信じる気持ちは失せていた。

だが、同年9月2日、一部の強硬な反対世論を押し切って、
“非転向長期囚”の63名は“北”へと送還された。
それが彼らにとっての幸せだとわかっていても、監督には一抹の複雑な思いが残る。
“もう二度と、ハラボジたちには逢えないのではないか……?”と。
韓国が世界に向けて“太陽政策”を謳うなか、
しかし、“北”では送還されてきた老人たちを英雄扱いし、超が付く高待遇を受けさせ、
自分たちが“南”よりも優位な位置に着いているというプロパガンダとして利用する。
北朝鮮という傍若無人極まりない悪辣国家の救いようのない愚かさに、
ボクら日本人は拉致被害者の人たちの悲愴な人生をオーバーラップさせ、
やり場のない怒りと悲しみが胸に熱く込み上げてくる。

映画製作の過程で一度、国家保安法違反に問われた監督は、
その前歴のせいで今も“北”へ行くことはできない。
地球の裏側というわけでもない、それこそ日本の本州よりも短い距離が、
どこよりも遠いという悲しみは果てしなく深く、重い。
監督は、“北”へ行けるという知人に自分の映ったビデオレターを託し、
ハラボジたちの近況を聞いてきてほしいと依頼する。
そして、帰った知人が現地で撮影してきたビデオには、
あの頃と変わらない、しかし少しやつれた、チョ老人の姿が映っていた。

「当時は口に出さなかったけど、わしは彼(監督)のことを、息子のように感じていたよ」

この映画を観る限り、
朝鮮半島が統一されるのはまだまだ(あるとしても)先のことであるようにボクは思う。
ましてや本作が拉致問題解決のキッカケになるようなことはない。
だけど、ここには、こじれた物事を解決するにはけっきょく最後は人の心でしかないという、
ささやかだけれど確かな希望が見えている。
北朝鮮に限らず、国家が人心を利用することの卑劣さに怒ると同時に、
人間のたくましさと良心の温かさに胸を打たれるこれは朝鮮半島版 『ミュンヘン』 ……。

『ホテル・ルワンダ』 や 『ミュンヘン』 をしっかり胸に受け止めた人なら絶対に観る価値のある1本だ。

[ 渋谷 シネ・アミューズ にて3月24日(金)まで公開 ]
[ 渋谷 シネ・ラ・セット にて3月25日(土)から引き続き公開 ]

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