『ハード キャンディ』 は、“仕置人”少女の復讐譚というより、米社会の末期的現実、そして…

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“出会い系サイト”に興味がないと言ったら、そりゃ男としてウソになる。
最初から“それ”だけを前提に女と簡単に出会えるのなら、
見栄もカケヒキもいらないんだもの、それに越したことはない。
クズと言われようとゲスと言われようと本心なものは仕方がない。
恋愛を成就させるための見栄だのカケヒキだの、そんなモノはイヌが喰え。
というワケで、ボクもかつて、たった一度だけ出会い系サイトを利用したことがある。
ここまで書いておいて言い訳するのもアレだけど、寂しかったのだ。
寂しくて寂しくて、なんでもいぃからその寂しさを紛らわす即物的な快楽が欲しかったのだ。
しかし幸か不幸か、ハマることはなかった(不幸ってこともないけど)。
それは、女友だちのなかに、いわゆる出会い系専門の“サクラ”をやっていたコがいたからだ。
そのコから詳しく聞かされていた液晶画面上での言葉のカケヒキの具合と、
ボクのアクセスに対するレスの文章の具合にまったく符合するところがあったのだ。
それに、どうしたことかボクの周りには、出会い系でいぃ思いをしたという友人と、
散々な目に遭い金も時間も損をしたという友人の両極端なサンプルがあったので、
それらを総合した結果、自分にこのテのツールは向いてないという判断に至ったのである。
だけど、それでも、「このレスは本物かも…」と何かにすがりたくなるのが人間の浅はかさで、
ボクもそういう心の弱さに、何度もくじけそうになったんだけど、
たいがいの男性は、そうして深みにハマってゆくような気がする……。
また、そのテが好きで、金や女にまつわる相談にいつも乗ってくれるボクの師匠は、
“サクラ”でもなんでも、とりあえず生身の声でコミュニケートできるテレクラの方が確実だと、
よくわからない根拠にもとづく妙な自信を覗かせていた。

しかし、たとえ恋愛のキッカケが出会い系であったとしても、この時代、
それはそれで全然アリだと思うし、援助交際もまた然りと基本的には思うんだけど、
やはり、素性のまったく知れない相手との刹那的な接触をベースにしたこのテのツールが、
過分に犯罪の温床にもなりやすいというのは周知の事実で、
男がいわゆる“美人局(ツツモタセ)”に遭って、身ぐるみ剥がされるという事例もあるとは言え、
やはり危険な目に遭う確立は女の方が圧倒的に多いというのが現状だ。
ただ、こういう刹那的な接触を発端とした犯罪には、
“自業自得”や“自己責任”という言葉が伴ってくるのも当然の話で、
話はチョット逸れるけど、先月、元「極楽とんぼ」の山本圭壱が起こした不祥事なんかは、
相手の年齢を知った上で芸能人というイメージを悪用した山本の罪が重いのは当然としても、
だからと言って、被害に遭った女のコたちに対する同情心もまったく湧かないというのが本音。
でも、話を蒸し返すけれど、
それでも“刹那的な出会い”にはそれだけで麻薬のような魅力があるのもわかる話で、
総括すれば、刹那的な出会いをめぃいっぱい楽しみたいならばやはり、
キチンと行政に届出を出している店で、時間いくらでそれなりの代価を払って楽しむのが、
男も女も互いが傷つかない最善の方法だし、だからボクはそういう場所が大好きだ。

そんななか、前述した出会い系サイトがキッカケのキケンな出会いをモチーフに、
まだまだ幼い10代の少女たちを性欲の捌け口にしようとするケダモノのような男を、
14歳の少女が男に自分のことを一旦は“獲物”と思わせておきながら逆に罠に陥れ、
やがて男にとってはまさに身の毛のよだつようなキツイお仕置きをするという、
少女版“ハングマン”、もしくは必殺“下半身”仕置人みたいな女のコの物語が今回の、
『ハード キャンディ』。ところがこの映画、
刹那的な欲望に身を任せたくなる暑い夏を戒めるのに最適な痛快スリラーかと思っていたら、
男にとっても女にとってもかなり後味の悪い怪作に仕上がっていて、
正直、観終わった後に渋谷のセンター街を歩くのが億劫になるほどイヤ~な1本だった……。

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 出会い系サイトのチャットで知り合った14歳の少女ヘイリー(エレン・ペイジ)と、
 イケメンで仕事も順調な32歳のフォトグラファー・ジェフ(パトリック・ウィルソン)。
 キュートなルックスと不釣合いの大人びた思考を持つヘイリーが気に入ったジェフは、
 “いつものように”、言葉巧みに彼女を郊外の自宅へと誘い込む。
 ところが、ヘイリーが作ってくれたカクテルを呑んでいつの間にか気を失ったジェフは、
 股間が剥き出しの状態でキッチン台に縛り付けられていて……。

要するにこれは、非力な少女ばかりを獲物にする男についに天罰が下る現代版「赤ずきん」。
見るからにデキる男で、カッコいぃ職業に就き金もそこそこありそうなジェフは、
しかしただひとつ、“小児性愛”という歪んだ性癖を持っている。プライドの高い彼は、
幼い見た目とはウラハラに一端の大人を感じさせるヘイリーをすぐに気に入るが、
一端の大人どころか彼女は、非力さを知恵でカバーする術を心得た超一級の策士だった。
チ○チンが剥き出しの状態でキッチンにみっともなく縛り付けられるという、
“ドM”ならまだしも、男にとって屈辱的な体勢でヘイリーの“執刀”を待つジェフの姿は、
男として目を背けたくなるような哀切感を帯びてはいるものの、
その罪の代償として当然の末路であるようにも見える。
プライドを剥ぎ取られて、理性のタガも外れ必死で助けを乞うジェフに、
それでも容赦なくメスを入れようとするヘイリーの姿は、痴漢を含め、
これまで性犯罪の犠牲になったすべての女性の怒りを体現するまるで幼きアシュラのようだ。

映画は、ヘイリーの素性を明かさないことで極めて現代的な寓話となし、
いっさいの物語的な合理性を拒否してひたすらヘイリーの復讐譚を見せてゆく。
刹那的な快楽のために女性の尊厳を踏み躙るような男に更生の道など必要ないとばかりに。
あらゆる犯罪のなかでも最も再犯率が高いという性犯罪が急増しつつある今、
さらにはその犠牲者がどんどん低年齢化してゆく救いのない状況のなかで、
これは作られるべくして作られた、“落とし前”に関する映画かもしれない。
だけど、それでもボクがこの映画に覚えるのはそういう現代に対する教訓じゃなく、
小児性愛をれっきとした“病気”と定義し、
その深刻さにおいても日本の比じゃないというアメリカの性犯罪の胃の重くなるような現実と、
“目には目を、歯には歯を”の原則に則った、
殺るか殺られるか、奪うか奪われるかを是とさえしかねない現代アメリカの末期的側面……。
ひいてはそういう面でもアメリカに追いつきつつある背筋の寒くなるようなそれは日本の未来。
要は、これを風変わりな娯楽スリラーとして楽しむにはシャレにならなさすぎるってことなのだ。

観る者の目をクギづけにする緊張感に充ちたストーリーテリングに、
思わず股間を手でガードしたくなるような刺激的な見せ場と、観て損はない。
でもこれは、ヘタをすると観損ないかねない“観る劇物”のような映画だ。

鑑賞後は、頭とカラダはとっくに夏バテしているのにそこだけはなかなか夏バテしてくれない、
自分の下半身に付いているモノをやたらと罪深く感じ、
やがて異物感を覚えてぎこちなくカニ歩きしてしまいそうな苦くて重い怪作。
男独りで観るにはあまりに自虐的な1本だ。

シネマライズ(渋谷) にて公開中 ]

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