人生は、チェロの弦のように… 『サラバンド』

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ボクのお袋は、自分の母親、
つまりボクのばぁさんのことを憎んでいる。
憎んでいるというのが劇的すぎれば、
その存在を、かなり疎ましく思っている。
たまの休みに実家へ戻り、お袋とふたり食卓を挟めば、
その口を吐いて出てくるのはばぁさんに対する不平や不満ばかりだし、
その不平不満は時には、実家の近くで、
60歳を過ぎて今なお草野球の審判をしているぐらいに元気な夫と暮らしていながら、
母親の面倒を見ると言わなかった自分の妹、つまりボクの叔母さんにも向けられる。
だけど、確かにそれは無理もないことと、息子ながらに思ったりもする。

ただでさえ、名古屋からあんなクソ寒い飛騨の山奥へ、
しかも酒ばかり呑んでロクに働きもしない男の元へと嫁いで、
散々泣かされても自分は何ひとつ贅沢することなく子供のためだけに働き、
だけどようやく親父が死に(ようやくというのもヘンな言ぃ方だけど)、
息子2人は外へと出て寂しぃながらも、気ままに独り暮らしをしていたのに、
今度は母親が独りになったからと言ってその面倒を見るために名古屋へ戻り、
TV以外になんの楽しみもなく90過ぎていつ寝たきりになるかわからない、
ばぁさんに食事の世話をする毎日……。

「母親なんだから仲良くしなさぃよ」
「ストレスは脳を刺激するからボケ防止にはちょうどいい」
などと軽く諌めはしながらも、あんな名古屋の外れの、
いちばん近いコンビニでも歩いて15分も坂を降りなきゃならないような、
その上、近所でただ1軒の喫茶店で起きた殺人事件が、いまだ解決していないという、
辺鄙な場所でばぁさんと会話もなくふたり暮らしをしているお袋の心境は察するに余りあるし、
ばぁさんが、「○之(ボク)に帰ってきてもらえ」と言えば、
「○之の自由に口を出すな」とそのことでも腹が立つというから、
まるでボクが悪いような気さえしてきて居たたまれなくなってくる……。

母と娘は、仲が悪いのがフツーとは時に聞き、
お袋とばぁさんがどんな関係だったのかは知る由もないので、
「昔からそうやった」というお袋の言葉から察するしか、息子としては術なぃんだけれど、
それでも時に、お袋のばぁさんに対する物言ぃには、胃が鉛を呑んだように重くなる時がある。

だけど、じゃあばぁさんもお袋のことが嫌いかと言えばそんなことはない…ハズで、
「オカンと喧嘩するなよ」と言えば「仲良くやっとるよ」と応えるし、
「三度三度ゴハン作ってもらって、こんなに有難いことはない」と、
実はばぁさんももともと口が悪いので本心じゃどうかわからないとは言え、
そんな言葉にウソは混ぜたりしなぃだろうと思ってはいるが……。

先月、じぃさんの7回忌法要で実家へ戻った時、
いつもUターン日には朝早く家を出る兄貴一家と連れ立って、
お袋はどこかへと出かけてしまったのでボクとばぁさんがしばらく残され、
そしてボクもそろそろ出立の時間が迫ってきたのでばぁさんの寝ているそばまで行き、
(ばぁさんは寝たきりじゃないけれど、腰が悪いので一日の大半は寝そべって過ごしている…)
「じぃちゃんのためにみんな集まったんやねぇぞ、
 ばぁちゃんのためにみんな集まったんやで、元気でおれよ」
と、ばぁさんのしわくちゃの手を握りそう我ながら気の利ぃたセリフを言うと、
ばぁさんは、図らずもポロポロと涙を流し始めた。
「ありがとうありがとう。元気もらえてうれしぃヮ…」と言って、ポロポロと涙を流し始めた。

ボクは少し、動揺した。ばぁさんはもともと歯に衣着せぬというか、
相手の気持ちを考えずに傷つくようなことを平気で口走る人で、
ボクも小学生の頃に、「このコは上(兄)よりデキが悪いよ」と、
ハッキリ言われ相当傷ついたことを憶えているし、
1年間の長旅から帰って来たばかりの頃に、ばぁさんと半年ほど二人暮らしをしていた時も、
些細なことで言い合いをしては80過ぎの年寄り相手にストレスを溜め込んでいたんだけれど、
(だから、お袋のストレスを少なからず理解できるのも、身内じゃボク1人しかいなぃワケで…)
ほんの数年前まではあんなに気丈で、多少は腹も立つ相手だったばぁさんが、
寝たきりになるのを怖れ、寝たきりになって周囲に見捨てられるのを怖れ、
そして、苦しい死に方を怖れて毎朝毎晩仏壇に向かい必死にお経を唱えている……。
かつては犬猿とさえ呼べた孫の手を取り、ポロポロと涙を流して弱気になっている。

最近のばぁさんを見ていると、ボクは本当に歳を取りたくないと心の底から思うし、
これ以上歳を取ってほしくないとお袋の先々を考えると真剣に気が沈むし、
その不安は、たとえばこの先結婚できなかったらどうしようなんてレベルとは比較にならない。
ばぁさんのように、毎朝毎晩、真摯にお経を唱えたからといって、
安らかな死が約束されるワケでもなければ、どんなに品行方正に生きたからと言って、
老いることが楽になるワケでも、ましてや美しくなるワケでもない……。
歳を取って体が弱ってゆく現実は、ばぁさんにとって地獄でしかないし、
その地獄はまた“鏡”となってお袋を映すから、お袋はばぁさんを疎む。
慰めなど所詮、慰めでしかない……。



「アナタはただ、醜く老いてゆくだけ」
不朽の名作 『野いちご』(1957)で、そう、老教授の甘い青春回想を冷たく諌め、
一貫して“神の不在”とそれに伴う生きることの苦悩をストイックに描き続けた、
88歳と老いて今もなお、現代ヨーロッパ映画を代表する巨匠の中の大巨匠、
イングマール・ベルイマン監督(1918年生まれ)が実に20年ぶりにメガホンをとり、
しかも自ら「遺作」と宣言して放つ本作、『サラバンド』 は、
まさに北欧的思慮深さで老いることの醜さと、人生の憎しみと哀しみを112分に凝縮させた、
冷徹にして、そして、驚愕の傑作だ……。

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 マリアン(リヴ・ウルマン)は、
 離婚して早30年になる元夫のヨハン(エルランド・ヨセフソン)に会うため、彼の別荘を訪ねる。
 かつての夫婦は、過去の溝が埋まったかのように親密な雰囲気で再会を果たすが、
 ヨハンの孫娘カーリン(ユーリア・ダフヴェニウス)がマリアンのもとへ現れて、
 父親ヘンリック(ボリエ・アールステット)と激しい確執があることを彼女に打ち明ける……。

ベルイマン監督が最後に選んだ題材は、
自身が’73年に監督した 『ある結婚の風景』 という、
限定された状況のなか、あるひと組の夫婦の3時間弱にも及ぶ、
時に激しく時に穏やかなセリフの応酬が生み出す独特のリズムと緊張感のなかで、
“夫婦”というものの根源、そして男と女が共生することの本質を見つめた秀作の、その続篇。
その映画でも夫婦を演じたリヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソンの2人が、
そのままマリアンとヨハンのその後を演じ続篇としての体をとっている。

長い年月を経て、かつて諍い合った日々も過ぎれば甘い蜜月と、
互いの“老い”を見つめそして認め合うマリアンとヨハンの関係を導入に、
しかし、映画は映画として新たな関係、ヨハンとその息子ヘンリック、
そしてヘンリックと、その娘カーリンを招き入れ、
究極の4人劇のなかで、男と女、父と息子、父と娘、
それぞれの関係の内側に巣喰う、確執と葛藤と愛憎を、
見た目は流麗かつしなやかに、しかし鋼のような強靭さと冷徹さでハードに描き出してゆく。
でも、それぞれの関係性に、低俗なドラマの如き起伏や下世話な何かがあるワケじゃない。
4人の誰もがそれなりにストイックに人生を重ね、より良い日々を目指して厳格に生きている。
にもかかわらず、浮かび上がる確執はどんな海溝よりも深くて暗く、
その間に横たわる地獄に第3者の甘い感傷が介入する余地は微塵もない。
ヨハンとヘンリック、ヘンリックとカーリンの間に開いた傷口が塞がることは、きっとない……。
どんな人間にとっても生活の原初である“家族”のなかにこそ人間にとっての地獄はある、と、
ベルイマン監督の触れれば切れるかのような研ぎ澄まされた感性が、画面を超え訴えてくる。

とくに、ヨハンとヘンリックの間に横たわる地獄には、
どんな第3者をも寄せ付けはしない目を背けたくなるほどに鬼気迫る冷たさがある。
ベルイマン監督は、プロテスタントの聖職者である父親にこと厳格に育てられ、
その厳しさは、時には体罰さえ受けるくらいだったというのは有名な話で、
それが監督の人格形成に少なからず暗い翳を落としているとずっと言われてきたけれど、
しかしそれは、本作まで最後の作品と言われていた 『ファニーとアレクサンデル』 を観る限り、
柔和されたものと巷間では言われていたが、
ここへきて、老いとともに幼少のトラウマが戻り、本作に影響を与えたというのは、
果たしてボクの深読みしすぎなんだろうか……?

クライマックスで、ヨハンが老体を晒して裸になり、
同じくマリアンも同様に、彼をベッドに誘うシーンがあり、
それは一見、美しい愛のカタチのひとつのように思えるけど、
ボクにはベルイマンが、人間が老いさらばえるとはこういうことだと、
言っているようにしか思えなかった……。「人間は決して美しくなんかない」と……。

老いるというのは、そんなに醜く、哀しいことなのか……!?
人生というのは、そんなに地獄のようなものなのか……!?
家族とは、血縁とは、果たしていったいなんなのか……!?

わかったようなフリをしても、たかだか30数年生きたぐらいで、本当はそんなことわからない。
所詮、人生の切なさだの生きることの哀しさだのと書いてみたところで、
どこかでカッコつけて言っていることぐらい自分で自覚している程度のものでしかない。
ツマラナイ、何もいぃことがない、と口じゃそう嘯きながら、
あしたは何か面白いことがあるかもしれないと、心の片隅で何かを期待しながら生きている。
自分も寂しく老いてゆくのが怖ぃだなどと、本当は心のどこでも思っちゃいない。
ばぁさんの孤独も、お袋の地獄も、たとえ血がつながっているからと言って、
自分のことのようになんて、本当は考えてなんかいないんだ……。

だけど、ベルイマンが描く、人生の苦悩や、生きることの哀しみは、
80数年の年輪を感じさせるに充分厚く、そしてそれは痛みを感じさせずに皮膚を切り裂いて、
内側に、スルリと入り込んでくる。気づかない間に、血管のなかを流れている……。
確かに“傑作”とは書いたけど、
ボクにはこの映画を受け入れる勇気はない。
これを受け入れるには、あまりにも先の人生が長すぎる。
ラストは、ささやかな幸福に充ちたハッピーエンドにとれなくもないが、
それを上廻る大きな不安に、鑑賞後、ボクは途轍もなく哀しくなってしまった。

まるで、夢の中で棺桶に眠る自分を見て慄く、あの 『野いちご』 の老教授みたぃに……。



上映館のユーロスペースを出て、
円山町のホテル街を、駅に向かって歩く。
何組かのカップルが、ネオンに吸ぃ込まれてゆく。
男にいやらしく腰を抱かれている女の、
胸の膨らみや太腿をジロジロと見て、
仮に今夜、1発ヤラせてくれる女がいたからと言って、
この先の人生が楽しくなるワケじゃないと、
そんなことはいい加減わかっているつもりなのに、
それでもボクは、何もかもがふと、嫌になりそうになって、
それが怖ぃから、仕方なく、
島津ゆたかの「ホテル」をハミングしながら帰った。



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