『麦の穂をゆらす風』 を今の日本で観る意義は…

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終戦からすでに61年が経ち、
戦争の記憶が風化してゆくと嘆かれること久しく、
憲法改正や、核武装論議(の前の論議)など、
それらをその端緒と捉える意見も確かにそうだと思うし、
教育の現場じゃ今後、戦争を“どう”教えてゆくかという課題に、
なかなか明確な答えを見出せないまま、
どころか、高校の未履修問題を見ればわかる通り、
歴史を学ぶことに時間を割くことさえナンセンスと言わんばかりの状況で、
この国の先行きはますます暗い。

だけど、いつまでも戦争の記憶が風化してゆくと、
マイナスな発想ばかりして悲観していても始まらないんじゃないかとも一方じゃ思う。
日本が戦争を放棄したのは、何も原爆を落とされて酷い目に遭ったからというだけじゃなく、
戦争という愚行の要因を、“内側”に求める冷静さを内在していたからなんじゃなかろうか?
もちろん、あの戦争は様々な後遺症を生みそれは今でも至るところに残ってはいるけど、
しかし戦後、アメリカに言いようにされても国内で内戦が起こるようなことまではなかった。
それは、隣家といつまでも庭の広さを競い合って自分の庭の芝生を枯らしてゆくぐらいなら、
狭くてもいいからどこよりも立派な庭を造ろうと発想の転換ができた結果だからじゃないか?
ボクたち戦争をまったく知らない世代が先人たちに今こそ感謝しなくてはならないのは、
その発想の柔軟性と一度決めた(もしくは決められた)ことに対する忍耐力にこそなんだと思う。
その精神性にはもちろん、日本が島国という地理条件が大きく影響しているのも確かだけど。

この世界に人間が存在する限りどんなに愚かとわかっていても絶対に戦争はなくならない。
だけど日本はそのバカバカしさに気づいて、そしてその意識を61年間“も”持ち続けてきた。
戦争の記憶が風化してゆくと嘆くばかりじゃなく、また一年、そしてまた一年という具合に、
戦争をしていない“記録”が伸びてゆくことに誇りを持つような意識も必要なんじゃないか。



『ケス』 『大地と自由』 『カルラの歌』 『SWEET SIXTEEN』 そして 『やさしくキスをして』 と、
作る映画のすべてが鋼のように強靭な肉体を持ちえるイギリス映画の重鎮にして至宝、
ケン・ローチ監督がカンヌでグランプリを獲得した最新作 『麦の穂をゆらす風』 を、
今の日本で観る意味は、もちろん、映画のような悲劇が二度と起こらないことを祈ると同時に、
愛する者を犠牲にしてまでそれでも戦争という愚行を繰り返すことをやめない人間の、
悲しいまでの愚かさに打ちのめされ、しかしかつてその愚かさを外ではなく内側に捉えて、
曲がりなりにも61年間、内省を重ね続けてきた自分たちの選択に誇りを持つことじゃないか?
悲劇に対し安易に涙するよりも、「自分たちはこんなバカなマネはしないんだ!」と、
そう思うことが、この映画を観る本当の意義なんではないかと思うのだ。

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 1920年、アイルランド。
 英国による圧政からの独立を求める若者たちが義勇軍を結成。
 医師を志すデミアン(キリアン・マーフィ)も将来を捨てて苛酷な戦いに身を投じてゆく。
 激しいゲリラ戦は英国軍を苦しめついに停戦、講和条約に漕ぎ着けるものの、
 しかし、アイルランドの自治を認めるだけの条約の内容をめぐる支持派と反対派の対立が、
 今度は同胞同士で殺し合うドロ沼の内戦へと拡大、発展してゆく……。

時は1920年、アイルランド独立戦争の真っ只中。
医者志望の青年デミアンは内戦を逃れたくてロンドンへ行くつもりだった。
しかし仲間の死や、あまりに卑劣な英国軍兵士の傍若無人ぶりに怒り心頭に達した彼は、
その意志を捨ててアイルランドに留まり、義勇軍に志願してイギリスと戦うことを決意する。
同じく屈強な義勇軍兵士である兄のテディや意を同じにする仲間たちとの連帯は強まり、
イギリスから祖国を奪還する夢に、デミアンの煮え滾る血は冷めることを知らなかった。

映画は一見、イギリス兵を悪辣に描き、
デミアンたちの報復に正当性を持たせているようにも思えるが、
しかしいつしか“祖国奪還”という大義に縛られ、イギリス兵とまるで同じことをするばかりか、
かつての仲間でさえも赦すことのできなくなった彼らの愚かさをこそ観客に見つめさせる。
戦争はやがて、アイルランド側が大きく譲歩するカタチで一応の平和的解決を見出し、
デミアンたちの希望も一旦は叶ったかに見えたが、しかしあくまで社会主義を望み、
和平をアイルランド側富裕層による保身のためのイギリスとの結託と見た彼らは、
今度は怒りの矛先を同胞に向け始め、それは時を経ずして終わりなき内戦へと発展してゆく。
かつては意を共にして戦った同胞同士でいがみ合う姿は悲しい以上にどこまでも醜く愚かだ。
ローチ監督はそうして、ドロ沼の内戦がたどる終わらない構造、
その“内なる愚かさ”に対してをも静かに、そして冷徹にメスを入れてゆく……。

深呼吸したくなるようなアイルランドの自然はどこまでも美しく、
そして同様、人が当たり前に肉親や友や恋人を想う心は美しいハズなのに、
しかし人間が目先の感情に支配されてとる行動はどこまでも愚かで醜くバカバカしい……。
その愚かさの前に夢や理想やイデオロギーなどといったものはもはや微塵も存在しない。
やがてその愚かさは頂点に達してクライマックスの途轍もない悲劇を生むけれど、
しかしローチ監督は、そこでスクリーンの前の観客に対し甘い感傷の涙など要求しない。
これまでと同じく悲劇だからといって被写体を甘やかすことなく一定の距離を保って、
悲劇の根幹を外的要因に結び付けたりせずに兄弟の内在的な愚かさをこそ突き放す……。
TVスポットの影響か客席からは鼻をすする音も響いていたがこれは決して泣く映画じゃない。
「こんな愚かなマネをいつまで繰り返し、そしていつまで見過ごすつもりか!」と、
現代世界を支配するすべての悲劇に対するローチ監督の厳しい普遍的なメッセージが、
スクリーンを超えて観る者の胸を鋭く串刺しにする……。

タイトルでもある「麦の穂をゆらす風」のやさしく哀しい歌詞と旋律が、
今も世界のどこかで繰り返される人間の愚かさが生み出す悲劇を浮き彫りにする傑作。
しかしこうした映画が世界で絶賛され、多くの人が涙を流してもそれでも戦争はなくならない。
そのある種の滑稽さに、鑑賞後は胃に鉛を呑み込んだような苦い後味が残る。

戦後61年の意味を見失いつつある今の日本で本作を観る意義は果たしてなんなのだろうか。



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