過去を綴り、今を描いて、未来へつなげる物語… 『百年恋歌』

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番号継続制度が始まって、
(とっくに始まってるんだと思ってた)
ますます進化を遂げつつあるケータイだけど、
一方じゃ、ケータイが異様な速度で進化すれば進化するほど、
何か疎外感みたぃなものを感じている人だって少なくないハズ。
それが怖くて新しぃ機種にどんどん手を出す人だって多ぃだろう。
まぁ、今さらケータイ相手にとやかく言うつもりはなぃけれど、
要はツールが発達したからと言って、コミュニケーション自体が発達するワケじゃなぃってこと。
どんなにメールやなんだで自分の気持ちが相手に伝えやすくなったからと言って、
自分の気持ちがいとも簡単に相手の心まで“届く”ってワケじゃない。

ケータイなんてなかった時代は(じじ臭ぃ言ぃ方するけど)、
相手に気持ちを伝えるだけでもようようと時間がかかったから、
必然的に想いが届くまでの“時間”にも耐えることができて、
けっきょく届いても届かなくてもそれを自分で咀嚼する余裕があった。
だけど今は、ケータイなどでいともたやすく相手のプライベートには入り込める(気がする)のに、
肝心の自分の気持ちは相手になかなか受け入れてもらえなぃモンだから、
その矛盾にストレスが生じて、我慢ができず何度も何度も電話をしたりメールを送ったり……、
いつかけても留守電だったり返信がなかったりとそのうちマイナスの感情もどんどん膨らんで、
その感情はやがて悪い方悪い方へとエスカレートし人によっては…てことにもなりうるワケだ。

けっきょく、コミュニケーション・ツールなんて発達すれば発達するほど、
逆に心の孤独は増してゆくだけ。そして“孤独”は、商売のタネになる。
人にとって孤独は最大の恐怖だからだ。それを解消できる手段なら人はなんにでも飛び付く。

どこまで進化する気だか知らなぃけれど、
現代人にとってケータイは確実に“麻薬”みたいになっている。

そしてボクのケータイは、まるで時計みたぃだ……。

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 1966年、兵役前の青年(チャン・チェン:張震)は、
 高雄のビリヤード場でシュウメイ(スー・チー:舒淇)と恋に落ちる……。[第一部:「恋愛の夢」]
 1911年、遊廓に通う外交官のチャン(チャン・チェン)と芸妓(スー・チー)は深い仲だったが、
 チャンはひとり、革命家と会うために日本へと旅立つ……。[第二部:「自由の夢」]
 2005年、歌手のジン(スー・チー)はカメラマンのチェン(チャン・チェン)と激しく惹かれ合うが、
 ふたりには、それぞれに恋人がいた……。[第三部:「青春の夢」]

台湾だけじゃなく、全アジア圏を代表する映画作家の1人、
ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督の集大成的1本にして珠玉の新作 『百年恋歌』 が描くのは、
3つの時代をそれぞれに生きる男と女の、想いが通じ合う“時間”と“距離”。
そして、シャオシェン監督が最も描かんとし、実際、撮影に最も時間がかかったのが、
第三部である現代篇。第一部と第二部は“今”を浮かび上がらせるためにこそ活きてくる。

第一部。
青春が青春のまま脈々と躍動しながらも、
今のようにコミュニケーション・ツールが発達してなかった時代は、
好いた相手に想いを伝える手段の多くはやはり“手紙”だった。
しかし、ビリヤード場で好きになった女のコに会えなくなった青年は、
彼女の消息を訪ね、思いつく場所を探して廻る……。
やがて、再会したふたりには、もう多くの言葉は必要ない。
そうして出逢えたことがすべて。
兵役を前に、屋台でささやかな食事をとるふたり。
バス停でバスを待つ間、ふたりがそっと手をつなぐ瞬間は涙が滲むくらい美しい。

第二部。
中国が、最も激動を強いられていた時代。
革命を目指す男は束の間の癒しを求めて遊郭に通い、芸妓と心を通わせるが、
波打つ時代と相反するように、ふたりの感情は昂ぶらない。
しかし、どんな言葉よりもふとしたしぐさや視線は互いの感情を表して、
スクリーンは艶っぽく輝き憂いを帯びた光沢を放つ。
サイレント映画の体をとったこのパートはまさに至高としか言いようがなくただ息を呑む美しさ。
意を呑み込むように楽器を奏でる芸妓の姿を後方から捉えるカメラが素晴らしい。

第三部。
常に変貌を遂げ続ける現代台北に生きるふたりは、
それぞれに歌、カメラと自分を自由に表現する手段を持っている。
なのに彼らの日常は澱みたいな倦怠に充ち緩い閉塞感からは逃れられない。
いつでも逢えるし、いつでも抱き合える。
だけどその即物的な束の間の交感はいつまでもふたりを充足させない。
無機質につづく高速道路のように、ふたりの灰色の日々も延々とつづいてゆくかのようだ。

3つの時代の“男と女”の物語を描くただそれだけで、
それぞれの時代を捉え、人々の心の移ろいをもすくい取るシャオシェン監督の視線は、
しかしただ単にメランコリックなだけでもノスタルジックなだけでもない。
観ればわかるとおり、この映画の主題は“今”を描くことだけど、
たとえその視線に現代に対する深い憂いが含まれているにしても、
監督は決して今を“行き止まり”としては描かない。
40年前、95年前を描くとは、つまり40年後、95年後に“今”はどのように語られるだろうという、
それは間違いなく、未来へと向けられた視線なのだ。
映画が“過去を描く”とはそういうことなのである。
だから本作は、決して現代を悲観している映画ではない。
ただ、第一部と第二部があまりにも美しすぎるので、そう思えてしまうのも無理はないけど。

とにかくスー・チーとチャン・チェンのふたりは、いくら激賛しても足りないぐらい素晴らしい。
シャオシェン監督も、『好男好女』 以降、
『憂鬱な楽園』 も、『フラワーズ・オブ・シャンハイ』 も、『ミレニアム・マンボ』 も、
どこかスタイル一辺倒なだけで台湾が熱かった時代の活力は早衰えたかと思っていたけど、
(ただ、東京を描いた前作、『珈琲時光』 はわりに好きではあったけど…)
ここへきて、今再び往年のパワーとダイナミズムを取り戻したかのように、
とにかく 『百年恋歌』 は時代に相反するかのようなゆったりとした時間に包まれていながら、
132分の長尺をまったく飽きさせる暇なく隅から隅まで素晴らしい。

まさに、
究極のプロの美学で過去を綴り現代を描いて未来を見据える至高の映画芸術がここにある!

シャオシェン監督のさらなる飛躍を思わせる 『戯夢人生』 以来の傑作を観逃すべきじゃない。

シネスイッチ銀座 にて公開中 ]

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