作者の被写体への視線が胸を打つ感動作、でも… 『硫黄島からの手紙』

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戦争に勝者や敗者など存在しない―と、
ひとつの「戦争」を戦った双方からの視点で描くという、
目からウロコの発想により起ち上がった“硫黄島プロジェクト二部作”。
しかし、いくら双方から描くとは言え同じ戦争を扱った映画を2本作る、
要は2本に同程度の集客が見込めなくてはならないというある種リスクを伴うこんな企画を、
なぜ、イーストウッドがかくも簡単に(簡単じゃないだろうけど)成しえたのかと言えば、
それはイーストウッドがオスカーを2度も受賞した監督で力があるからだとか、
それで製作費が上乗せされたからだとかそういうこと以上に、
なによりイーストウッドは映画を“撮るのが早い”という、
スタジオにとっての大きなメリットがあるから―。
しかも今回タッグを組んだのが、これまた撮るのが早いスピルバーグ。
(どれぐらい早いかと言えば、
 『ミュンヘン』 の撮影が中断したその合間に 『宇宙戦争』 を撮ったというぐらい)

作家にして職人、しかも類稀な映画の成熟度―。
当初はイーストウッドではなく、
日本人の監督が日本側の1本を撮る段取りで進められていた企画を、
『父親たちの星条旗』 を撮り終えた御大が「日本側も俺が撮る」と言い出したのはまた、
「青コーナーばかりじゃなく赤コーナーからも描かなければ、試合の真実は見えない」と、
アメリカ側を描いた自身が日本側も撮る必要があると強く感じての要望でもあったという。

“硫黄島の戦い”を日本側から描いたこの、『硫黄島からの手紙』 は、
そんなイーストウッドの、作家としての極めて真摯な姿勢により描かれた話題作。
熾烈な争いのなかで次々と命を落としていった日本兵たちを等身大の目線で静かに見つめ、
“手紙”をモチーフに過去から今へ、
そして今から未来へメッセージが語り継がれることの大切さを示す。
すべての日本人が襟を正して観るべき映画であり、
アメリカ人が日本人をここまで誠実に描いたという意味においても、
これは「戦争映画」という枠を超えて、
“他者を理解する”ことについての物語と言えてその注目度は高い。

だけど、それでも、ボクはこの映画に対し決して大きいとは言わないまでも、
何か違和感のようなものを感じる結果になってしまった。それは……。

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 戦況が悪化の一途をたどる第二次大戦末期、1944年6月、
 アメリカ留学の経験もあり、当然その軍事力も知り尽くしている、
 陸軍中将の栗林忠道(渡辺謙)が、本土防衛・最後の砦とも言うべき硫黄島へと赴任する。
 さっそく指揮官に着任した彼は、長年の場当たり的な作戦を変更し、
 上官による西郷(二宮和也)ら部下に対する理不尽な体罰も戒めるなど、
 作戦の近代化に着手するが……。

イーストウッド以下、スタッフのコンビネーションに関してはもはや言うまでもなく、
『父親たち~』 の製作後ということもあってその仕事ぶりには安定感があり、
観る側も終始、安心して(ヘンな言い方だけど)映画に臨むことができる。
そしてその上で素晴らしいのがそれに応えた日本人俳優たちの名演、力演、または熱演で、
もはやハリウッド俳優と呼んでなんら差し障りのない、
堂々たる風格で栗林中将を演じた渡辺謙は、
『ラスト サムライ』 や 『SAYURI』 を超えるベストの演技で映画の核をなし、
脇を固める俳優たちもそれぞれにいい芝居を見せてくれる。
とくに渡辺謙以上に役柄的にも見せてくれるのが、
どこか当時の日本の末期的な状況を斜めに見ながら、
しかしそれでも残してきた妻子のもとへ生きて帰ることだけを胸に戦火を潜り抜ける、
何か熱い想いを抱きながらも体温は低いという現代の若者に共通するキャラを、
“今どき”の空気を持ち込んで見事に演じた二宮和也。
栗林やバロン西(伊原剛)より、二宮のキャラがあることでこそ、
本作は現代にも通じる戦争映画になりえたと言うこともできると思う。

だけど、それでもボクがこの映画に違和感を覚えたというのは、
当然、イーストウッドの日本に対する解釈、などではなしに、
(日本人だからと言って日本を正しく描けるワケでもないのだし…)
果たして本作は、“硫黄島の戦い”を軸に 『父親たち~』 と“対”になっていたか?ということ。
そんな必要はないのかもしれないし、またはないような気もするし、ないとも思う。
でも、どこかドキュメント・タッチで硫黄島でのエピソードを摘み上げ、
そこから普遍的な戦争の“構図”と、
その構図に組み込まれる個人の普遍的な“虚しさ”を導き出した 『父親たち~』 に較べると、
本作は、キャラに対する“味付け”だけが濃いような気がして、
どうにも映画が作り物臭く感じられて仕方なかったのだ…少なくともボクには。

要は、アメリカ側から描く上にはエピソードから徐々に広げてゆき「戦争」というものの本質、
ひいては今現在の混迷するアメリカの姿をも暗示させることに成功していたのに対し、
日本側からではけっきょくキャラに接写するしかなかったというそれはアプローチの限界……。
もちろんそうすることでボクたちが登場人物それぞれに感情移入して、
そこから戦争に対する怒りや悲しみの感情を抽出することだってできるだろう。
しかし、場面場面に明確に“主人公”が存在する本作にはどこかドラマ的な美しさがあり、
それは戦争なんて醜く虚しいだけというテーゼを前面に打ち出した 『父親たち~』 に、
相対してしまうような印象もヘタをすれば与えかねないのである。
栗林以下登場人物をごくごく素朴な人間として丁寧に描いているにもかかわらず、
彼らの踏ん張りがアメリカが5日で終わると読んでいた戦いを36日間まで延ばさせたと、
逆説的に彼らを英雄視してしまっているあたりにも、『父親たち~』 との矛盾をボクは覚える。

現代の硫黄島で61年前に書かれた手紙が発見されて、
そこからドラマが始まるという設定も正直言うと安っぽく、
イーストウッドが興味を惹かれたという栗林の“絵手紙”、
本作でも栗林が手紙を書くシーンが何度か出てくるけど、
なぜそうじゃなくて、『父親たち~』 のように戦争を知らない世代がその絵手紙を見て、
その一通一通から戦争当時のエピソードにつなげてゆき、
そして、今の日本をボクら現代の日本人に省みさせるような構成にしてくれなかったのか、
ズバリ、製作期間諸々による脚本段階での即物性をボクは感じてしまったりもするのである。

もちろん必見だと思うし、日本人なら本作を観ないまま年を越すべきじゃない。
戦争中の日本人をここまで人間味豊かに描いてくれたイーストウッドには、
それこそ 『太陽』 のソクーロフと同様の敬意さえ示さなくちゃならないだろう。
でも、今の日本で本作が、「感動的な戦争映画」という以上の意味を持ちえるかについては、
大いに疑問が残るのもまた事実だ……。

かくなる上は、TVの安上がりな便乗ドラマなんかじゃなくて、
しっかりとプロジェクトを起ち上げて日本人の立場で“硫黄島”を描き、
それをアメリカに対する返答というカタチで提示する、というのが、
それこそ、日本人の仁義というものじゃないだろうか……?

新宿ミラノ にて公開中 ]

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