それは、なんて甘い青春… 『恋人たちの失われた革命』

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今年で35歳になります。
未熟なので歳より若く見られることも多く今まで油断していたけど、
30歳を迎える時は思っていたほどの衝撃を受けなかったものが、
35歳ともなると、ことのほかその響きは想像以上に重い……。
四捨五入すりゃ40歳。“40歳の道楽男”だ。

正月なので実家に帰省していたんだけど、
実際に40歳の兄貴の一家がいる間は食事時もそのほかの時間も常ににぎやかで、
2人の姪っ子の家来になっている時とかだとそんなことは思わないのに、
兄貴一家が去って台風一過のように家のなかが静まり返り、
今度は残された68歳のお袋と90歳のばぁさんの3人でとくに会話もなく食事していると、
「俺は本当にこれでいいのか!?」と、
あらかた答えなどわかっている疑問がふいに頭をもたげてきて、時おり気が塞いだ……。

幸いにも姪っ子からは多少の自己暗示も含めていたく気に入られている様子で、
それは、年に一度はここゾと汗だくになって2人のオモチャとなり、
「ラブandベリー」ゴッコも辞すことなく遊んであげるという、
“叔父”という自分の存在にプレミア感を醸させる努力が功を奏している結果だと思われ、
とくに上の8歳には先日ついに、「20歳になったら、タカユキおじちゃんと結婚する」と、
男に生まれて親となり、仮に娘を儲けたならば、
誰もがその口から一度は言われてみたいであろう夢のようなひと言を言われてもうメロメロ。
とりあえずそのひと言で、ボクの2007年は好スタートを切ったと勝手に得心しているんだけど、
(あ、でも、そう言われたのは年末だった・・・。まぁ同じか。同じということにしておこう・・・)
そんな風に姪から好かれるのも後何年か……。
4、5年もして、中学に上がる頃には今度は父親もろとも疎ましがられ、
いい歳こいて結婚もしてない叔父さんなんて、気持ち悪い!
なんて思われるようになるのかと思うとさらに先の疑問符はボクの心に重くのしかかってくる。

いぃや、ダメだ!ダメだ! そんなツマラナイ世間体や、
肉親間における自分の立ち位置などいっさい気に留めることなく、
『ブロークバック・マウンテン』 のイニス(かジャックか忘れたけどヒース・レジャーの方)みたく、
煩わしいしがらみ・世間体なんか金輪際すべて捨て去って、
35年の人生から抽出した美しい記憶だけを縁(よすが)に孤高を目指して生きてゆくんだ!と、
トレーラー暮らしを半ば本気で画策(夢想)するも、
こんな狭い国でトレーラー暮らしを始めようモンなら、
通りすがりのヤンキーに、トレーラーごとボコボコにされるのが関の山なので怖くてできない。

毎年毎年、年がら年中、究極とも言える“映画道楽”に肩まで浸かり、
仕事の心労で心の病に伏している友人のことを思えば、
自分はなんと自由気ままで幸せなことかと我が身の孤独を夜ごと慰めるんだけど、
35歳になるというのに年収が300万にさえ届かないというのは、
男の人生として圧倒的に情けないとけっきょくは自分の見た目を気にして、
だけどご覧の通りの道楽生活だし、払うべきものは分相応に支払い、
なまじ喰うに事欠いているワケじゃないので、人生に緊張感というものがない。
……要は、ボクは働きたくないんだぁ……。

あぁ…せめて、この身に人より何かに長ける才能でもあれば……。
自分の甘い青春の想い出や、美しい愛の記憶、それだけを鋳造してカタチにする、
そんな、錬金術師のような才能があれば……。

たとえば、そう、フィリップ・ガレルのように―。



14歳で処女作を撮り、ヌーヴェルヴァーグの“恐るべき子供”と称えられ、そして、
“ニコ”という運命の女性との愛の記憶だけを原動力に今も映画を撮り続ける男―。
孤高の天才映画作家、フィリップ・ガレルの最新作、『恋人たちの失われた革命』 は、
『秘密の子供』(’79)、『ギターはもう聞こえない』(’91)、
そして、『愛の誕生』(’93)をさらに煮詰めたような前作、『白と黒の恋人たち』(’01)を経て、
彼自身の原点とも言えるパリがまだ熱かった60年代末を背景に描く破滅型ラブ・ストーリー。
おそらく多くの人が、本作にベルトルッチの 『ドリーマーズ』 を重ね観ると思うんだけど、
いまだにフランス人になりたがっている(?)イタリア人が描く60年代のパリよりも、
ガレルの描くそれの方がきっと・・・ねぇ?(そもそも 『ドリーマーズ』、観てないし)

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 1968年。5月、パリ―。
 20歳の詩人フランソワ(ルイ・ガレル)は兵役を頑なに拒絶し、
 激動のパリで機動隊と激しい闘争を繰り広げる。
 ある日、フランソワは彫刻家を目指す美しい女性リリー(クロティルド・エスム)と出逢い、
 ふたりは一瞬にして恋に落ちる……。
 1969年―。
 かつて革命に燃えた若者たちはパーティー、アヘン、セックスなど享楽に溺れ、
 夢や理想や“革命”でさえも語るだけの荒んだ日々を過ごすようになっていた……。

フィリップ・ガレルという作家、というよりも人間は、語弊を怖れずに言えば、
上で喩えに挙げた 『ブロークバック・マウンテン』 のイニスのような男、なのかもしれない。
ガレルはいわゆる“現在”に興味はなく、
興味があるのは―自身の目指す芸術の対象にするのは、
自分が過ごした甘い青春の想い出、そしてニコと懸命に紡いだ愛と葛藤の日々…それだけ。
全作観ているワケじゃないのでヘタなことは言えないけど、決して言いすぎではないと思う。

そんな“超・私小説的”とも言えるガレルの映画は、
人によってはヘタすりゃ観た後オシッコしたら蟻が集まってくるかと思うほどに甘ったるいけど、
それはそれで映画として美しいとボクは思うし、そんなガレルの生き様が羨ましくもある。
“孤高”というのはやっぱり、
そうした他者が踏み込めない“聖域”に生きる人のことを指すんではないだろうか?
『秘密の子供』 などは、まるでポーの詩、
「アナベル・リー」を連想させる、それはそれはとても素敵な傑作だ。

正直、前売チケットを購入した後に上映時間が3時間強もあると知ったので、
かなり腰が引けていたのは確かだし、上映中、ソワソワしている人も多かったけど、
陰影の深い珠玉のモノクロ映像と独特の倦怠感が漂う物語は退屈でもどこか切なく甘く、
そして―途轍もなく心地好い……。
“破滅的”なるものをここまで美しく描ける作家は、なかなかいないんじゃないかと思う。

ガレルの実子ルイの、どこか現代とはかけ離れたさすがの存在感もキラリと光る退屈な傑作。



今年で35歳になります。
イニスのように、ガレルのように、
生きていけるものなら生きてみたい―。
実家より高速バスで帰ってくると、
長時間移動でしっかり腹が空くので、
新中野か中野坂上のマ○ヤでテキトーに腹を充たす。
実家や呼ばれた先で出された料理に束の間慣れた口には、
不特定多数に向けて調節された味付けがとても雑に感じる……。
だけど、いつもそのタイミングでマ○ヤのメシを食べると、
あぁ、今からまた独りなんだな…と現実に返り、
ほんの少し胸が、キュンと鳴る……。



東京都写真美術館ホール(恵比寿) にて公開中 ]

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