シュミット、パノラマ島へ帰る 「特集 ダニエル・シュミット監督回顧」

ジョニー・トーを観ていると、
“フットワークの軽い重鎮”といった意味合いで、
ボクはプロレスラーの天龍源一郎をどうしても連想するんだけれど、
ダニエル・シュミットを観ていると、同じようにボクは江戸川乱歩を連想する。
“頽廃”、“甘美”、“幻想”、“耽美”、“虚構”、“妖美”・・・。
シュミットが語られる時によく出てくるこれらの単語は、
同様に乱歩が語られる時にも頻繁に使われる言葉だし、
その実、両者の作品を思いっきり俯瞰して較べてみれば、
その作風は、ともに人を喰ったように過分にいかがわしくて、
古き良き見世物小屋とでも言うべき淫靡な匂いに充ち充ちて、
そして作品に登場する人物を、サーカスの動物みたく扱っているような節も共通している。
シュミットの若い頃の写真なんて、見るだにサーカスの団長のようで怪しいし、
団長じゃないけど、乱歩も見た目はかなり怪しく相当ウサン臭い。

乱歩が残した有名な言葉と言えば、「うつし世は夢、夜の夢こそまこと―」。
つまりはそのまま、現実なんてすべてが幻で、夜に見る夢こそが本当の現実なんだと、
そしてその夢を読者に見せることが、乱歩の作家性の一端だったと思うんだけど、
シュミットもまたかつて、「映画は、多くの観客が分かち合えるひとつの夢だ―」と語っていて、
だから彼の映画は、夢と現実が混濁し、錯綜する“パノラマ”のようで、
その“パノラマ”に、今まで多くのシネフィルたちが「映画」という夢を見てきた……。
そして“パノラマ”と言えば、乱歩の傑作中篇、『パノラマ島奇談』。
これをある意味見事に映像化した監督と言えば、
日本では言わずもがな、石井輝男ただ1人だけど( 『恐怖奇形人間』 )、
シュミットだったらもしかすると 『パノラマ~』 を違うカタチで映像化できたかもしれない……。

なんて具合に、冒頭より知った口ぶりで物を書いているけれど、
乱歩の小説は10代の頃に片っ端から読み漁ってはいたものの、
実はダニエル・シュミットについては近作 『ベレジーナ』(’99)と、
よく利用する近所のレンタル屋にポツンと1本だけ並んでいた、
その代表的傑作 『ラ・パロマ』(’74)ぐらいしか観たことがなく、
昨年、シュミットが他界したこともつい最近まで知らなかった……。

だけど、上級権力者たちの倒錯的な娼婦遊びがいつしか国家を滅亡に導くという、
シニカルで挑発的でユーモラスな傑作、先の 『ベレジーナ』 1本を観れば、
いかにシュミットがトンデモナイ作家かなんて何もシネフィルじゃなくたってわかると思うし、
性的嗜好という点で乱歩と似ているというボクの意見も、1000人に1人は頷いてくれるハズ?
画像
まぁ、『ベレジーナ』 に関しては、ダニエル・シュミット云々より、
写真のロシア美女エレナ・パノーヴァのエロ可愛さが目に焼き付いて離れないんだけど……。

今回の追悼上映で先日、ボクが観てきたのは、
シュミットの名を一躍世界に知らしめた、『今宵かぎりは…』(’72)。
舞台は古びた城館。祭だかなんだかとにかくめでたい日に一日だけ、
城館の中で主たちと召使たちの立場が逆転して始まる饗宴……。
カメラ据え置き・超長廻し、退屈と言えば退屈な倒錯した世界。
だけど頽廃的で享楽的なヨーロッパの精神風土を象徴し、
見た目は超芸術的ながらも敷居が低くいかがわしさは満点で、
耽美で甘美でありながら人を喰ったように挑発的な虚構性は古き良き見世物小屋の面白さ。

何も、シュミットの映画に限ったことじゃないけれど、
こうして語り継がれてきた往年の映画監督の作品に触れると、
「映画」というものは、送り手と受け手の想像力合戦であるように思える。
しかし、今や映画における想像力は安価なCG映像に支配されて、
あまつさえCGが人の想像力を奪っているようにさえ見える。
(CGに限らず、繰り返される洗脳CMや字幕だらけのTV、すべてが人の想像力を殺している)
そんな時代にシュミットのような作家が陽の目を見る場所はないのかもしれない……。


誰も詩など 聞いてはないし
この世界がみな 作り物なら
港につながれた サーカス団の
あーの船に乗って 流れてゆこう パノラマ島へ帰ろう   (「パノラマ島へ帰る」筋肉少女帯)


シュミットはきっと、想像力のパノラマ島へ、帰ったのだ……。

「特集 ダニエル・シュミット監督回顧」
ユーロスペース(渋谷) にて2月16日(金)まで開催 ]

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