聴け! 魂の慟哭、移民の詩! 『約束の旅路』

画像

確かな論拠があるワケじゃないけれど、
日本もいずれ、ボクがじぃさんになる頃には、
完全な“移民社会”になっているような気がする。
少子化が止んで人口が爆発的に増えることなんてこの先ないと思うし、
あらゆる産業において、即物的じゃなく外国の人の力を取り入れなければ、
やがてこんな国は立ち行かなくなるに決まっている。あくまで論拠はないけど。

だけど、もし仮にそうなるにしても、
今でさえ日本人社会の格差是正でグダグダ先の見えないことをやってるワケで、
それが日本人と外国人の間ともなれば揉めるのはそれ以上になるのだろうし、
たとえば最近よく取り上げられる介護士をフィリピンから呼ぶという動きにしても、
日本人介護士の数が足りないから高齢化社会を案じてそうした運びになっているのに、
やれ四大卒でなければダメだの資格がこれこれないとダメだのと厳しい基準を設けるばかり。
本当に日本は国際社会に遅れをとった国だと思うし相変わらず排他的な社会だと思う。
まぁかく言うボクとてそうした排他的社会の一因子なことに違いはないんだけど、
マジメな話、人ごとのような顔で政治や選挙に興味のない人が多い日本人なんかより、
日本で必死に生きている外国人に選挙権を与える方がずっと投票率は上がる気がする……。

でも、もしボクが日本人じゃなかったら、果たしてこの国に住みたいと思うのかな?
逆に、たった1年間だけどかつて独りで海外を訪ね歩いていた時は、
どこの国へ行っても多かれ少なかれ、バカにされたり差別されたりはあって、
どれほどその国が素晴らしいと思っても、最終的には日本がいいと思ってたモンだっけ。
とくに、どこへ行っても人懐っこくどこかで同じ血を感じるアジアはともかく、
何か異邦人にとり冷たい空気を感じることの多かったヨーロッパを旅していた時は、
日や体調によっては寂しくて寂しくて、とてもここでは生きてはいけないと涙ぐんだりもした。
人類みな兄弟はそりゃ理想だけど、やはり人間にとり生まれた「国」や「民族」の差は大きい。
自動的に“柵”に囲まれここに暮らすことが当然だと思っている日本人には、
決定的にこの感覚が乏しいような気が、ボクはする……。
ただ、「国」であれ「民族」であれ、「男と女」であれ「世代」であれ、
その“差”があればこそ、人間は「思いやり」の動物であることもまた然り。



1人の少年がいた。少年はエチオピア人だった。
混迷の国を逃れてスーダンの難民キャンプに母と2人たどり着いたが、
エチオピア系ユダヤ人しかイスラエルに行けないと知った母は、
少年に1人で「行きなさい」と言った。ユダヤ人と偽って。
少年は「離れたくない」と泣いたが、母は「男が泣くな」と叱った。
「行け! 行きなさい! 生きて、何かになりなさい」
母の言う“何か”の意味もわからないまま、少年は従った。
見えなくなる母の姿、乗り込む飛行機の窓辺、
しだいに遠くなる、アフリカの大地。
少年の向かうイスラエルはしかし彼の“約束の地”じゃなかった。
彼にとり“約束の地”はあくまで母のいるアフリカだった。
やがてその日から、少年の“約束の旅路”が始まった……!!!



映画 『約束の旅路』 は、
1984年にイスラエルがエチオピアのエチオピア系ユダヤ人を、
エルサレムに帰還させるために計画そして遂行した“モーセ作戦”を題材に、
1人の少年が差別と困難を乗り越えてやがて成長してゆく姿を描いた慟哭する魂の物語。

画像

 1984年、9歳のエチオピア人少年(モシェ・アガザイ)は、
 ユダヤ人と偽りスーダンの難民キャンプからイスラエル往きの飛行機に乗り込む。
 到着後、彼は移民局の審査を受け“シュロモ”というイスラエル名を与えられ、
 ヤエル(ヤエル・アベカシス)とヨラム(ロシュディ・ゼム)夫婦の養子となる。
 彼は新天地で新しい生活を始めるが、イスラエル内の黒人差別は激しいものだった……。

苛酷な運命に翻弄されて最愛の母親と離ればなれになった少年が、
新天地で時に激しい差別を受け、時に激しい愛に包まれ、
学び、悩み、苦悩し、やがて成長して恋もして、
自分の生きる道と魂の根源とアイデンティティーを求めて脈動する世界を駆け抜けてゆく、
これはエチオピア版 『母をたずねて三千里』+『グッド・ウィル・ハンティング』 的青春映画。

一見の印象じゃ子供を主人公にした安直なヒューマニズム映画にも思えるし、
実際に子供を描いた映画には、子供を動物扱いしているものも多いんだけど、
本作のスタンスにその野蛮さはなく、映画は決して子供を甘やかしはしない。
物語は、シュロモと、彼を迎える左派支持でリベラルなヤエル一家の交流を描き、
その、時にぎこちなく、時に反駁し合い、そして常に温かい家族の肖像を通して、
史実が証明するイスラエルという国家の内的矛盾と排他性を暗に告発しつつ、
それを今現在の世界のすべての悲劇の原因を問う普遍性へと拡大させてゆく。
これは、今世界中を覆う悲劇の根幹、“他者を受け入れることの難しさ”と、
その難しさからこそ生まれえる、人間の“思いやり”を描いた物語―。

夜ごと月を見上げて故郷の母を泣き募り温かいヤエルたちに対してふて腐れながらも、
潜在的な学習能力の高さと勝気でしだいに環境に順応してゆくシュロモが、
やがて知性的な面立ちを湛えた立派な体格の10代へと成長し、
自分の生まれしこの方と母親への想いを込めつつ、
「旧約聖書」の解釈をめぐり同世代の少年と弁論し合う中盤の肝のシーンは、
人を隔てる「民族」や大地を裂く「宗教」の矛盾と真意を明確に述べてみせる。

ヤエルとヨラムの夫婦、バカ正直だけど憎めないその息子と知的で優しい娘、
家族の土俵には踏み込まずしかしシュロモに人生のなんたるかを教える祖父、
肌の色など関係なく、シュロモのことを心から愛してやがて10年愛を貫くサラに、
同じくエチオピア系移民でシュロモの善き宗教指導者であるケス・アムーラ師父。
映画は様々に魅力的な登場人物を配してここ20年の中東情勢をもう一方の軸に、
しかしヘビーな題材ゆえ息が詰まらないように温かなユーモアを随所に交えながら、
シュロモと彼を取り巻く人々の絆の行方をどこまでも見守り途轍もなく思慮深い……。
語られるセリフは驚くほど示唆に富み、その一行一行はまるで一篇の詩のように深淵。

監督は、これが長篇第3作目だという、ラデュ・ミヘイレアニュ。
あまりの寡作ゆえ今まで存在さえ知らずしかも憶えにくい名前だけど、
現在はフランスで活躍しながらも故郷はルーマニアのブカレストで、
かのチャウシェスク政権下を逃れて亡命したという経緯の通り、
こうした題材を見つめる視線には鋼のような強靭さと底知れない優しさがあり、
個人的な印象では、この人はエミール・クストリッツァ級の名監督のような気さえした。

孤独に泣き、差別に苦しみ、ユダヤ人と偽ることでアイデンティティーの所在に悩み、
しかし懸命に生き母の「何かになりなさい」の“何か”を探し続けた果てに、
やがて、シュロモがたどり着く、彼の本当の“約束の地”は…?



「国」も「民族」も「宗教」も関係なく、
すべての人に共通するのは、
人は誰もみな孤独だということ。
“他者を受け入れる”のは難しい。
他者を完全に理解するのは不可能だ。
だけど、人は孤独だからこそ人を思いやり、
孤独は共鳴し合うものだからこそ、人は時にわかり合える……のかもしれない。

イスラエルの内情を通し文字通り主人公の“移民の詩”を綴った思慮深く壮大な一大叙事詩。

絶対に観逃すな。

岩波ホール(神保町) にて公開中 ]

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0