人は、人の“体温”なしじゃ生きられない… 『黒い眼のオペラ』

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年がら年中、映画を観るのも独りなら、
こうしてブログを書く時もまた独り。
2つ掛け持ちしている仕事も、
いずれも1人任される内容なのでこれまた勤務中も独りである。
30代も半ばに差しかかり、それを別段「寂しい」などと感じる自分はいなくて、
それはそれなり友人もいれば、ブログを通しての愉快な交流も生まれ、
なにより親兄弟が自分を案じてくれていることを骨身に沁みて知っているからなんだけど、
それにしたって、独りに慣れすぎている自分に対して懸念を感じる夜がないワケじゃないし、
そのクセ、人の多い場所は大嫌いで体や荷物が少しでもぶつかると必要以上にイラッとして、
田舎出の孤独な都会暮らしの、そんな典型みたいになっている自分が時に嫌だったりもする。

先日、10代の頃より多大じゃすまないぐらいの影響を受けている、
オーケンこと大槻ケンヂが以前組んでいた筋肉少女帯というバンドの、
活動凍結後8年のブランクを経ての“復活”ライヴがあり恵比寿まで行ってきた。
ライヴ自体久しぶりなら、本当に大好きだったバンドの再始動ライヴということで、
直前に夢まで見てしまうくらい楽しみにしていた当日だったんだけど、
復活プレミアでチケット入手が超困難という状況のなか、
今年の運の大半を費やしてなぜかえらく整理番号の早いチケットがゲットできたので、
ともに出かけたオーケン仲間にもいたくよろこばれ久々に人の役に立ったような気がした。

開場とともに小走りでステージ真ん前のド真ん中あたりに3人して陣取り、
いざライヴが始まればそれはもう怒涛のような熱気と感動と昂奮で、
狂喜乱舞の雄叫び半ば怒声とともに腕を高々突き上げれば、
押し合いへし合いで挙げた腕を下ろすことさえままならず、
それどころか、挙げた肩で自分の頸部を圧迫してしまうという、
“独りスタンディング三角絞め”のような状態が2時間半つづいた。
いまだ体の節々が痛いしなにより声が掠れ気味。筋肉少女帯で筋肉痛イタイだ。

それはともかく、そんな状態で要は2時間以上、他人と体を密着させていたワケなんだけど、
普段は街中で人とほんの少し触れてしまうことに対してさえ過敏なのに、
ライヴで四方八方から押され踏まれ肩をぶつけられてもそれに腹が立つことはなく、
どころかそれがライヴにおける共同体意識や音楽による酩酊状態のなせるワザとは言え、
客観的に見てもどこかで人と触れ合うことを心地好く感じている自分がハッキリといて、
とくにいつの間にか隣にいたのが体の大きい平たく言えばかなりデブな男の人で、
さすがの体格で体が異様に柔かく人間スチームサウナのようだったんだけど、
それがまた包み込まれるようでもあり、妙な安堵感を覚えたことを記憶している……。

出した喩えは不適当かもしれないけれど、
ライヴの感想を引き合いにけっきょく何が言いたいのかと言えば、
人はどんなに孤高を掲げたり孤独を気どったりまた人との摩擦を嫌っても、
やはり人は、人の体温を感じている時が最も心安らぐ時間なんじゃないかと思うし、
要は人は人の体温を感じずに生きてゆくことなんてできないんじゃないか―ということ……。

時たま60分そこそこの時間に2万円近くも払って女のコと触れ合い、
「いちばん大事なお客さんだよ」ってなこと言われてその気になって♪(植木 等)
それでなんとなく満足しているボクは立派な現代病だ!

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 マレーシアの首都クアラルンプールで、
 詐欺紛いの博打に手を出したシャオカン(リー・カンション)は暴行を受ける。
 瀕死に近い状態で行き倒れている彼を助けたのは、
 大きなマットレスを運搬中の青年ラワン(ノーマン・アトン)だった。
 彼の手厚い看護の甲斐あって見事回復したシャオカンは、
 ある日、女主人の寝たきりの息子(リー・カンション)の看病をしながら、
 食堂で働くシャンチー(チェン・シャンチー)と出逢う……。

台湾を代表する屈指の鬼才監督、ツァイ・ミンリャンが、
故郷のマレーシアで初めて撮った最新作、『黒い眼のオペラ』 は、
その切なくて胸が詰まるような象徴的なラスト・シーンが静謐に物語る通り、
洋の東西、南北を問わず人の心が殺伐と沙漠化して倦怠が覆う現代のなか、
人を人たらしめる、ひと雫の温もりを模索してささやかな優しさの漂う佳篇だ―。

案の定、今回もいつもの通り、
ミンリャン映画の登場人物たちは、ほとんど口を利かない。
“言葉を話す”のが人間という動物の特徴ならば、
言葉を駆使しようとしない彼らはまるで、
人間としての機能が半ば麻痺しているかのようにさえ見える。

だけど、役を超えて地元のエキストラにさえ見えるほど、
超自然体で役に溶け込むカンションの演じる旅人を中心に、
行き倒れの彼を下半身の世話もマメに介抱する出稼ぎ労働者、
寝たきりの青年の体を思い詰めるようにゴシゴシと洗うウェイトレス、
旅人の刹那的なペッティングに身を捩じらせるとうの立った店の女主人と、
登場人物たちはコミュニケーションを渇望して、
必死に誰かの“体温”を求め虚空を彷徨っているかのよう―。
そして、やがて旅人とウェイトレスは吸い寄せられるように出逢い、
やはり無言のまま互いの体を貪るように求め合い言葉と成そうとする。

これまでにも増して持久性の高いコダワリの長廻しは、
台湾とはまた違うマレーシアの東南アジア的倦怠を的確に切り取る。
寂しい迷い犬のような人物たちの孤独な魂と魂がぶつかり合い共鳴し合う様子が、
生々しい息づかいとしてスクリーン越し、リアルに伝わってくる、
これは、ミンリャン版の 『クラッシュ』……。



30代も半ばに差しかかり、ライヴでハシャぐのもそう何回もは疲れるし、
スポーツで誰かとぶつかり合うこともなければセックスの相手とていない最近なんだけど、
どんなカタチであれ誰かとぶつかり合い体温を感じるのは、時にことのほか心地好い……。
ライヴ後日特有の体の痛みが、その心地好さを如実に物語りボクの体を今も疼かせている。

シアター・イメージフォーラム(渋谷) にて公開中 ]

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