僕の話も聞いてよ、アルトマン… 『今宵、フィッツジェラルド劇場で』

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「出演者を友だちのように感じた」―。
劇中に出てくるこのセリフは、
そのまま“ラジオ”というTVとは大きく異なり、
圧倒的にパーソナルなメディアの本質であり最大の魅力だ。
芥川賞作家の辻仁成がかつて組んでいた「ECHOSE〈エコーズ〉」というバンドの曲に、
「ONEWAY RADIO」という80年代(もしくは昭和)を代表する大名曲があり、
高校生の頃に聴いていた「鴻上尚史のオールナイトニッポン」で知ったんだけど、

 眠れない夜空を抱いて ちっぽけな悩みかかえて
 ラジオにそっと耳を傾ける
 いつだって僕はリスナーで 君の話聞いているだけさ
 誰かに言いたい事もあるのに

 今夜こそは ラジオと話したい
 今夜こそは 僕の話も聞いてよ DJ

 RADIO 聞こえているか RADIO 僕らの声が 孤独なメッセージ

という恥ずかしいくらいにセンチメンタルな歌詞はしかしそのまま、
普遍的に10代特有のやり切れない孤独を言い表すもので、
今、歌いながら書いていたら、少し涙ぐんでしまった。

まぁ大人になるにつれそんなラジオとも一旦、疎遠な関係になったんだけど、
しかしここ近年、これまた映画の趣味と同様、原点回帰ということなのか、
30過ぎたあたりから、再び昼夜を問わずよくラジオを聴くようになった。
まだ岐阜の田舎にいた頃や大学生だった頃は、
名古屋のCBCという局のラジオ放送ばかり聴いていたんだけど、
東京に暮らす現在はラジオのチューニングは常にダイヤル1242、ニッポン放送だ。
(「オールナイトニッポン」も今年でなんと40周年。昨晩放送された、
 「東国原英夫のオールナイトニッポン」(!)はなかなか面白い企画だった)

だから、TVやこんなネットなんて極端な話なくてもなんとかなるけれど(テレ東以外)、
ラジオはボクにとり過分に愛着と思い入れのあるなくてはならないメディアなので、
2年前のライブドア騒動の際は「ポッと出のIT野郎にラジオの何がわかる!」と、
連日、報道される騒動の行方が気になって気になって気が気じゃなかった。
ご存知の通り、一連の騒動はああいうカタチで一応の決着を見せ、
亀渕社長以下ニッポン放送、そして時代の流れに全然ついていけない、
AMラジオをこよなく愛する我らリスナーはホッと胸をなで下ろしたんだけれど、
あの決着は、ボクの中じゃ“伝統”が“新興”に打ち勝った瞬間として記憶されている……。

昔から変わらない地に足の着いたものがそうそう新しいものに負けたりなんかはしないのだ!

ついに、生涯にわたり商業帝国ハリウッドにおいて“アンチ商業主義”を貫き通し、
昨年11月20日に他界した巨匠ロバート・アルトマンの遺作、
『今宵、フィッツジェラルド劇場で』 は、
まるで偉大な作家が自身の死を予期して撮ったかのような驚くべき内容と同時に、
最後の最後に、生きてゆく上で本当に大切なことはなんなのか?
意図しない巨大なものに呑み込まれない真の“抵抗”とはなんなのか?を、
硬骨じぃさんがガツンッ!としかし奇蹟のような映画魔術とともに教えてくれる必見の傑作だ。

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 ミネソタ州セントポールのフィッツジェラルド劇場ではWLTラジオ局の人気長寿番組、
 「プレイリー・ホーム・コンパニオン」の公開生放送が始まろうとしていた。
 司会者のギャリソン・キーラー(ギャリソン・キーラー:本人)や、
 姉妹のカントリー歌手、ヨランダ(メリル・ストリープ)とロンダ(リリー・トムリン)ら、
 お馴染みのメンバーがぞくぞく楽屋入りする。
 しかし、その晩は長年、全米のリスナーに親しまれてきたラジオショーの最終日。
 実は、局がテキサスの企業家アックスマン(トミー・リー・ジョーンズ)により買収され、
 同時に番組は打ち切りが決定していたのだった……。

ボクは 『ナッシュビル』(’75)も 『カンザス・シティ』(’96)も未見だし、
巨匠などと知った風なこと書いているワリにアルトマンの映画で観てるのなんてせいぜいが、
いわゆる鉄板とされる 『M★A★S★H』(’70)や 『ロング・グッドバイ』(’73)、
あとは 『ザ・プレイヤー』(’92)に 『プレタポルテ』(’94)、
慌てて最近になって観た、『Dr.Tと女たち』(’00)と 『ゴスフォード・パーク』(’01)とこのレベル。
それが遺作と聞いて慌てて劇場に駆け付けたぐらいでアルトマンを語ろうだなどと、
それほどボクは厚顔無恥でもなければ礼儀をワキまえない男でもない。
だけど、たとえアルトマンに詳しくなくても、もしくは初見でも、
本作を観れば、これがどれほど熱い映画かなんてそれこそ心があれば理解できるハズ……。
流麗で心地好い魔法のようなカメラワークに心と体の芯から酔い痴れて、
まるでじぃさんが縁側で楽しむ暖かな午後のような映画だなんて思ったら大間違い。

物語の舞台は、巨大資本に買収されたラジオ局の長寿公開番組。
古いものは早々に取り壊せとばかりに打ち切りは決められ打つ手はない。
だけど超がいくつも付く上に新旧取り混ぜ鉄壁の豪華キャストのアンサンブルが、
緩急自在の巨匠の懐中を楽しむように動き廻りながら繰り広げるラジオ番組の裏側に、
たとえば金の匂いを想起させるような陰惨な雰囲気は微塵もない。
キャスト演じるラジオ番組のレギュラーたちは、
ただいつものように、いつものように観客を楽しませることだけを考え、
そしてなにより自分たちが楽しむことを考えてそれぞれが鉄板の曲目をこなしてみせる……。
ただいつものように、自分がいいと信じてこれまでやり続けてきたことを……。
その、“変わらない”ことの強さこそが実は最大の“抵抗”の手段なのであり、
そしてそうである限り、人生に敗北の二文字など、きっとありはしないんだ。

「老人の死は悲劇ではない」という、これまた劇中に出てくる、
死を予期したアルトマン自身の心情を思わせるセリフが意味するところを軸に、
映画は死や別れを描きながらも、それと相反するように明るくポジティヴなエネルギーに充ち、
それぞれのキャスト本人による歌声が悲しみを弾き飛ばして物語をカラフルに彩る……。
ウディ・ハレルソンとジョン・C・ライリーのコンビが楽しげに歌う下ネタ満載ソングは、
日本で言えばつボイノリオ金太の大冒険か、
はたまた笑福亭鶴光の「鶯谷ミュージックホール」か・・・。

この至福に充たされた僥倖の1時間45分がついに幕を閉じる時、
ボクはなんだか中高生の頃に大好きだったラジオ番組が、
終わる瞬間に感じたのと同様の切なさを感じて目頭が熱くなった……。
だけどその切なさは、決して悲しみによるものなんかじゃない、なんかじゃなかった。

終わりを始まりと捉える明るく前向きな人生観と幸福感に充ち溢れた輝くばかりの傑作……。

ぜひ“劇場”で、巨匠の遺言状を受け取ってほしい。

銀座テアトルシネマル・シネマ(渋谷) にて公開中 ]

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