トマス・ハリス版“愛の流刑地”!? 『ハンニバル・ライジング』

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実に世紀末を象徴するかの勢いで90年代に巻き起こった、
“サイコ・スリラー”ブームの決定打的映画、『羊たちの沈黙』―。
その後、数多のサイコ・スリラーに多大な影響を与え、
匂いさえ感じる暗色の映像は抑制が利いた分、雰囲気が濃厚にいかがわしく、
果てはオスカー受賞でついに狂気が正常を超えて陽の目を見、まさに世も末な傑作だった。

だけど、10年経って作られた 『ハンニバル』 は、
映像派リドリー・スコットの手によりヘンに格式の高い映画に生まれ変わり、
1作目の“そのヘンに漂う”ようないかがわしさがモノの見事に削ぎ落とされ、
つづく 『レッド・ドラゴン』 は今度は娯楽派監督ブレット・ラトナーの手によって、
ヘンにスカッとするアクション映画に換骨奪胎されて、
もうこれで次はないんじゃないか・・・と油断していれば、
昨今の“ビギニング”流行りに乗って案の定、コレである。

オープニングのタイトル・バックから冒頭10分で、
おそらくほとんどの人が胸の内で思うに違いない、
「いったい、誰が主人公の映画を観に来たのか?」
という疑問も、↑の通りやけにイケメンの優男風情が、
レクター博士の若い頃を演じると知った時点で予想はついていたけれど、
とにかく栄えある(?)シリーズ第4弾 『ハンニバル・ライジング』 は、
これまた前3作のどれにも類似しない見事な新種として仕上がっていた……。

どこから見てもこれは猟奇殺人鬼映画というよりかなりカッコよくできたアンチ・ヒーロー活劇。
若いレクター博士が主役の「座頭市」or「眠狂四郎」or「必殺仕事人」みたいなモンである。

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 1944年、第二次大戦中のリトアニア。
 名門貴族の家系に生まれたハンニバルは激しい戦火のなかで両親を失う。
 幼い妹ミーシャを連れて山小屋で生活を始めたハンニバルだったが、
 そこへ逃亡兵たちがやって来て2人を監禁状態にしてしまう。
 その山小屋で途轍もない悲劇を経た後、ソ連の収容所に送られ、
 やがて成長したハンニバル(ギャスパー・ウリエル)は逃亡兵たちへの復讐を誓う……。

とにかく、テットリ早く観どころとして押さえるべき点は、
レクターが劇中でどれほどカッコよく描かれているかという部分。

このシリーズと言えば原作者であるトマス・ハリスの迷走ぶりも有名で、
1作目のジョディ・フォスターに惚れまくったハリス自身が、
今度は彼女に対する作品を超えた恋情だけを軸に 『ハンニバル』 を書き、
それで気味悪くなったフォスターが降板したというのが真偽はともかく知られた話だけど、
(要はレクターを自分に置き換え、クラリスとの恋物語にしたのが 『ハンニバル』 なんだという)
負けず劣らずこの第4弾じゃハリスは、
そんな自分の分身たるレクターを容姿端麗の美青年に設定(ハリスは脚本も担当)。
彼の殺戮衝動の原点は、すべて妹の弔い合戦としてキレイに正当化。
それを見守るヒロインには、なぜなのか日本人女性を配し、
そのヒロインは彼を戦争で生き残った唯一の身内として人殺しでも“温かく”受け入れて、
案の定、2人はヤりはしないけど男と女として美しく発展しやがてクライマックスは、
ヒロインの救出劇としてまるで“ミッション・インポッシブル”のようになる・・・。

まさに“レクター=ハリス”と言わんばかりの、
どこまでも都合よく整理された作家の分身願望としてのヒーロー像に、
これまた作家の気分が好いようにどんどん身勝手に展開してゆく男と女の愛の行方に、と、
この作家的願望にもとづいた超御都合主義の物語はどこか“愛の流刑地”並み。

そう!トマス・ハリスは渡辺淳一だった!

『真珠の耳飾りの少女』 で、
まるで絵画のような映像を見せたピ-ター・ウェーバーの手堅い演出は、
稀代の“連続猟奇殺人鬼”の誕生秘話をどこまでも美しく洗練させ、
若きレクターを見目麗しい、悲劇のヒーローとして確立させる。
この主人公が後にトンデモナイ猟奇殺人の数々をしでかすとはとてもじゃないけど思えない。

コチラが期待するようないかがわしきサイコ・スリラーとしてのテイストはいっさい皆無だし、
ただ食べられた妹の復讐劇と愛する美女の救出劇としてはソツなくまとまり飽きもしない。

それにしても 『マイアミ・バイス』 のマイケル・マンもそうだけど、
よっぽどコン・リーは外人にとり理想の日本人女性像なんだね。

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