母と娘の愛に、祖国の未来を託して… 『サラエボの花』

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先月、急性脳梗塞で倒れ、
現在、病状の回復が待たれている、
サッカー日本代表監督、イビチャ・オシム氏。
正直、サッカーには常日頃からほとんど興味がないので、
氏の監督としての力量についてはまったく知らないんだけど、
ひと頃、とやかく話題になったいわゆる“オシム語録”の数々や、
なかなか笑顔を見せないいつも苦虫を噛んでいるかのような渋面、
そして個人的にはその出身がボスニア・ヘルツェゴビナということで、
サッカー以前に、あのシニカルなキャラが何か気になる人ではあった。

まだ66歳ということで、ボクも“まだ”とつけるように世界一寿命が長い、
日本人の感覚では66歳なんてまだまだ若いという風に見られるんだけど、
しかし彼の国の平均寿命は男が69歳なんだという(71歳というデータもあり)。
もちろん、それは単に寿命的な話とは言え、しかし統計的な平均値の理由には、
かつての紛争で多くの命が失われたというその影響もあるのではと思えるワケで、
とにかく、今や寿命は世界一長くて、たとえば35歳(ボク)だったら昔の25歳レベルと、
精神科の世界ではそう認識されているというように、高齢化が進む一方で、
大人になり切れない大人が増殖しつつある(自戒)この贅沢で貧しいヤワな国は、
男の平均寿命が69歳という苛酷な国の現実をツブサに見てきた66歳の監督の目に、
果たしてどんな風に映っているんだろう…?と、そんなことを考える時、あの渋面や、
含みのある言い廻しの奥に潜む何かを覗いてみたいとそんな風に思うのである―。

そして、そんなオシム氏も公式ホームページ等でコメントを寄せているのが、本作、
昨年のベルリン映画祭グランプリのボスニア・ヘルツェゴビナ映画 『サラエボの花』 だ。
これがまたボクより2歳若い1974年生まれの女性監督が撮ったと知り驚くよりほかはない。
素晴らしい映画である。まァ年齢云々じゃないけれどしかし平均寿命が短いということは、
その分だけ人生の骨密度も高くなるということなんだろうか…?自分よりも若い監督が、
これほど広い視野と深い懐を有し、その上、大いなる祖国愛に溢れた映画を撮るなんて、
ただただ人として敬服するばかりだし、35歳の体たらくを込め、自戒がてらボヤくんだけど、
日本の同世代の監督たちはいったい何をやっているのか?とそう痛烈に思わざるをえない。

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 12歳の娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)と2人で倹しく暮らすエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は、
 修学旅行を楽しみにしているサラのために旅費の調達に奔走する毎日。そんな中、
 ボスニア紛争による戦死者の遺児は修学旅行費が免除されると聞いたサラは、
 戦死したと聞かされている父親の戦死証明書を学校へ提出するようエスマに頼む。
 しかしエスマには娘にだけは絶対言えない紛争時へ遡る苦く辛い過去があった……。

描かれるのは、ひと組のシングルマザーと思春期を迎えた娘との愛情をめぐる物語。
だけどその娘は、紛争の民族浄化の最中、武装兵士によりレイプされできた私生児で、
娘は当然そんな真実は知らず、彼女は父親のことを殉死者(シャヒード)だと信じている―。
母なら当たり前の我が子への無償の愛と、拭っても拭い切れない忌まわしき過去との間で、
エスマは娘の成長に幸せを感じながらも、葛藤を抱え続けて気の休まる時などついぞなく、
そして一方のサラも思春期ながらの直感で母と見知らぬ父との間に潜む秘密を感じ取り、
自我の発達とともに、自分に何かを隠し続けている母に対してイライラを募らせてゆく―。

この映画が素晴らしいのは、今なお彼の地の人々を苛み続けている紛争の傷痕を、
いっさいの戦争シーンや残酷な回想シーンなしで完璧に画面へ映し出しているところ。
母と娘とのどこにでもある他愛ないやりとりだとか、日常生活の些末な描写の中だけで、
観る者はエスマがどれだけ辛い過去を抱えながら生きているかを痛切に感じることができる。
いわゆる女性的な悲劇を、まるでハラワタを掴み出して見せるような生々しい演出ではなく、
誰をも傷付けない繊細さで描くのは、なによりこの監督自身が紛争を経験している所以だ。
紛争の傷痕を晒すよりまず先に、そこで懸命に暮らす母と娘の姿を普遍的に描くことこそが、
なにより悲劇の重さを浮き彫りにする映画としての表現ということをこの監督は熟知している。
紛争の構図に今、社会派的なメスを入れること以上に映画は何を語り、何を謳うべきなのか?

そして本作はさらに、女性として理解できる女性的悲劇だけを描いているワケではなく、
エスマが仄かな気持と心の縁を求めるバーで知り合った男やその取り巻きたちを通して、
女と同じように紛争によって誇りと自信を見失いなかなか明日の方角を見出せないでいる、
無骨だけど弱い男たちの切なさや哀しみさえも包み込むかのように描いており深い……。
争いを始めるのはいつの世も男であり、その影で苦しみ踏み躙られるのはいつも女という、
そんな戦争の縮図を明確にしながらしかし男と女を隔てないこの懐深さはただ事ではない。

クライマックスに訪れる、エスマとサラがそれまでの感情をついにぶつけ合うシーンは、
それこそ、胃がねじ切れそうになるぐらいに痛切で、思わず目を背けたくなるほどだけど、
母と娘が12年間、紡いできた揺るぎない愛と絆を信じ、そこに来るべき祖国の未来を託す、
決して安易な理想主義じゃない温かなラスト・シーンはきっと誰の胸をも熱くするに違いない。

ユーゴ紛争が題材の映画と言えば、『アンダーグラウンド』、『ブコバルに手紙は届かない』、
『パーフェクト・サークル』、『ボスニア』、『ライフ・イズ・ミラクル』 と名作・傑作いろいろあるが、
本作は新たにその系譜へと加わりながら、さらに一線を画して観応え充分の真に珠玉の1本。
戦争シーンも美談もいっさい語らずその是非にさえ言及することなしに今なお癒えぬ傷痕と、
そこから人が見出すべき明日への希望を繊細だけど力強い演出で描いた稀に見る傑作!
本作に心を動かされたという人は、ぜひ紛争の悲劇を別の観点から切り取った作品として、
現在、公開中のドキュメンタリー映画、『カルラのリスト』 も観て、何かを考えてほしいと思う。

『サラエボの花』。題材は途轍もなくヘビーだけど、その分、観る価値も計り知れない映画だ。

岩波ホール(神保町) にて公開中 ]