サハラ砂漠のラクダなど、水も呑まずに旅をする 『ジプシー・キャラバン』

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“ジプシー”なんてヤケにカッコよい響きに聞こえるし、
狭い島国で日々窮々と暮らすボクら日本人にしてみれば、
当てのない放浪の人生なんてどこか羨ましく憧れさえ覚えて、
こんな国トットと脱け出し「ジプシーみたく生きてみたい」と思ったりもするモンだけど、
しかしこの“ジプシー”という言葉が実は差別用語だったと知ったのはワリと最近の話、
やはりトニー・ガトリフの映画( 『愛より強い旅』 など)を観るようになってからだろうか…?
そしてそのジプシー発祥の地がなんとインド北西部にある州、ラジャスタンだということも、
実際にそのラジャスタンで“2泊3日ラクダと巡る砂漠の旅”をしている時は知らなかった―。

インドというのはアンコの詰まったタイヤキみたく東西南北見どころばかりの国で、
西をパキスタンと接するインド最大の州、ラジャスタンにも面白い街がたくさんあり、
ボクがそこの旅に約1ヵ月を費やしたのは4月の頃―。インドが最も暑い時期だった。
劇中出てくるジャイサルメールはケッコウ有名な街(ラジャスタンの州都はジャイプール)。
“キャメル・サファリ”と呼ばれるラクダに乗って砂漠を巡るというのはそこでやったもので、
短ければ確か半日、長ければ1週間とプランはいくつかあるんだけど、なにせ暑かったし、
だけど半日や1泊じゃ短いかなぁといろいろ考えた末ボクは2泊3日にしたのだった。充分。

で、ラクダにまたがり2泊3日も何するのかと問われればこれが本当にラクダに乗って、
視界360度、ペンペン草も生えてない乾いた大地をただひたすらポッカポッカと歩くだけ。
当然1人では無理だから“キャメル・ドライバー”と呼ばれるインド人の兄ちゃんが1人付き、
2人と1頭、カタコトの英語で時に会話を交わしながら食事は朝昼晩みんな彼が作ってくれた。
まずいなどと文句は言えない。毎回同じメニューでも食うしかない。暑い! とにかく暑かった。
太陽はギラギラなんて生易しいレベルじゃなく、行けども行けども見渡す限りヒビ割れた大地。
文明なんか届かないようなきっと太古から変わらない地球の素顔を垣間見るような風景だ。
オマケにラクダは決して乗り心地は好くなくボクの股関節は1日も経たずに悲鳴を上げ始め、
2日目に至っては痛くて痛くてラクダに乗れずほとんどいっしょに歩くというヘタレぶりを発揮。
「暑いよ~痛いよ~」とインド人の彼に泣き言ばかり言って「じゃあ帰るか!?」と何度も怒られ、
そのたびに、「・・・ヤだ。もう少しガンバる」と半ベソで応えるというそんな2泊3日の旅だった。

だけど、さすがに2泊3日もずっといっしょにいるとそのラクダくんにもしだいに愛情が湧き、
ボクは彼を「ノリアキ」と呼んでいたんだけど、このラクダというのは本当にタフというのか、
どんなに暑かろうが歩かされようが、ボォーッと半目で遠くを見つめて「ん~?」みたいな、
「チョット何言ってるかよくわからないです」(富澤)とでも言いたげな人を喰った顔をしていて、
休憩のたびにその顔を見ながら「オマエは偉いな…俺にオマエみたいに生きるのは無理だ」
と痛む股間をまさぐりながら、私もラクダのように打たれ強くなりたいと心底思ったモンだった。

まぁその時はそこらヘンがジプシー発祥の地だなんて知らなかったからラクダのように…と、
ヘタレぶりを発揮しつつもラクダとともに砂漠を渡る自分に酔い痴れる気持もあったんだけど、
しかしどんな荒れ果てた砂漠であっても必ずどこかには井戸があり、井戸があるということは、
必ずその周りには人が住み、摂氏50度の灼熱の下、空の青と大地の白の境目を縫うように、
目に色鮮やかな衣裳や装飾品をまとった女性たちが頭に洗濯カゴや水瓶を乗せて歩く様は、
まさしく「旅」に求める風景として完璧でありその時ばかりは痛みも忘れるほどの感動だった。
今思えば、それこそが“ロマ/ジプシー”の原風景と言える光景だったのだ(つながってきた)。

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この冬の話題作 『ジプシー・キャラバン』 は、そんなインドはラジャスタンに起源を持つ、
ジプシーがルーツの4つの国(スペイン、ルーマニア、マケドニア、インド)の5つのバンドが、
ニューヨークを皮切りに北米の諸都市を6週間かけて廻る「ジプシー・キャラバン・ツアー」を、
バス移動をともにしながらそれぞれのミュージシャンの素顔をカメラに収めつつ追いかけ、
そして今なおつづく言われなき差別と迫害の中で彼らが育んできた魂の慟哭である音楽、
それが各会場で圧倒的ステージングとして結晶昇華してゆく様子をフィルムに焼き付けた、
音楽を超えて映画を超えて生きることの歓び哀しみに胸を打たれる珠玉のドキュメンタリー!
残念ながら単館上映。しかし、どんなに高い交通費を払ってもこれは劇場で観る価値がある!

ロマ音楽について語る知識がボクの中に皆無なせいもあるが、本作に説明など必要ない。
『ジプシー・キャラバン』 という映画があり、それを前にフツフツと血が沸くような気がしたら、
心の奥の奥の、そのまた奥が何か疼くような気がしたら、黙って劇場に足を運べばいい―。
それはアナタの体が激しく何かを“欲している”証拠だから、その衝動に素直に従えばよい。
本作はその衝動に“答え”を与えてくれるし、日々の暮らしに何が足りないかを教えてくれる。
学校や仕事なんて1日くらいサボッてしまえ(ボクは休日に観たけど…)。絶対に後悔はしない。

とにかくシンプル! この映画を観たからと言ってロマ音楽に詳しくなれるワケじゃないけど、
しかし真の「音楽」とは生きることの歓び哀しみから滲み出るようにして生まれるものであり、
哀しみを歓びに変える奇蹟こそ彼らの「音楽」であることだけは肌で感じることができるハズ。
すべての秀逸な音楽ドキュメンタリーがそうであるように、この映画においてもまた、
目的は単にロマ音楽の魅力をスクリーンに複写させることじゃなくそれを超えた部分、
いい音楽を聴いた時にワケもわからず泣きたくなるようなきっと人間だからこその衝動、
その衝動が溢れ出す瞬間をワシづかみにするような生々しさこそを我々に与えてくれる。

DNA構造や細胞の数では決して割り切れない人間の根源的な“何か”に触れることの快感。
真の哀しみからしか歓びは生まれないし真の歓びを知ればこそ哀しみはより深く根を下ろす。
祖国も権力も持たず、差別され迫害されても大地とともに生きようとする彼らロマの生き様―。
そこへ安易に感情移入することさえ多くを充たされた国で安穏と暮らすボクらは躊躇しながら、
だけど本当の哀しみを知るからこそいかなる他者をも受け入れる彼らの海より深い懐の深さ。
素晴らしい音楽の奔流とともに、全篇ミュージシャンたちの粋なセリフのオンパレードだけど、
中でもラストのセリフ、「迫害された恨みは、子供に教育を与えることで果たす」のひと言は、
ボクらが生きる混沌と迷走する世界へひと筋の暖かな陽光となって降り注ぎ…泣けてくる。
世界中の為政者たちが彼らの言葉を煎じて呑めば、どれだけ世界は平和になるだろう―。



近頃の気候で、渋谷の上映館を出たら外はまるで冷蔵庫みたく寒かったけれど、
芳醇な映画の余韻はなかなか醒めることなく、体の芯はいつまでも熱かった……。
ラクダに乗って砂漠を旅した時の生きる実感が10年越しによみがえるかのように―。
恥ずかしくも日々はイヤなことの連続で、今日もまた誰かを怨んで一日が過ぎ去った。
しかし、書いているウチに想い出した。こうしちゃいられない。熱が冷めないウチにまた、
『ジプシー・キャラバン』 を観に行って 彼らから生きる勇気をもらわなくちゃ!

シネ・アミューズ(渋谷) にて公開中 ]