“出口”を探して悶え続く日々に… 『今夜、列車は走る』

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いろいろ迷った挙句3月いっぱいで6年近くつづけた昼間の仕事を辞めたので、
すっかり時間に余裕ができ、引っ越しを考えていることもあって物件を探したり、
ファミレスにこもったりと今はのんびり過ごしている。映画を観る量もまた増えた。
昼間の仕事と言ったって時間にしたら1週間に延べ24時間。要は週に丸一日が、
なんでも好き勝手なことのできる自分の時間になったって程度の話なんだけど、
しかしこのたった一日というのがケッコウなモンで感覚的にはそれ以上に感じ、
なんだかモッタイナイ気もしながら春の暖かさを言い訳に毎日ただボォーッとしている。
数年前に取得したある資格を活かしたことをこの際に始めようとも考えているんだけど、
ネットで調べるぐらいでイマイチ腰が上がらずそれもこれもみなこの春の陽気のせいだ。

夜の仕事だけでも今の生活なら十二分に維持できると踏んで昼の方を辞めたんだけど、
だからと言ってこの先のことを考えれば当然、安穏と構えていられる状況じゃないワケで、
心のどこかでは相変わらず、自分の生活に対する不安がシコリのようにコリコリとしている。
ネタじゃなく本当なんだけど今朝(というか昼)、男の人に体を売って金を得るという夢を見た。
前に観て猛烈に感動した 『どこに行くの?』 が深層心理に働きかけた結果かもしれないが、
しかしボクが相手をしたのは佐野和宏ではなくて辛口コメンテーターの勝谷誠彦氏だった―。
多分、「SPA!」の連載を昨日の帰りに読んだせいだ。なら中原昌也氏が出てきた可能性も。
勝谷氏はえらく金持ちで(あくまで夢)、ボクは400万円(!)ももらったんだけど、内の100万を、
その昔惚れたことのある水商売の女に渡すというのがその夢のオチだった―なんてリアル。
自分でも意識しないウチにボクの心はやはり相当病んでいるのかもしれない(いや完全に)。

大学の時に借りていた奨学金を毎年決まった額ずつ返しているぐらいで借金などなく、
ましてやワーキング・プアという状況でもなければほんのわずかの貯えぐらいならあり、
なにより相変わらず映画を観てこうしてブログも書いてハタから見たら気ままな生活で、
たとえ月収が20万チョイでも仕事があるだけ有難いと日々感謝する気持はあるんだけど、
しかし時にフと(本当にフと)、夜中職場で一人売上など計算し帳簿なんぞを付けていると、
静かな独りの空間に心安らぐ時もありながら、帳簿を付けているその手をパタリと止めて、
そのまま何もかも捨てて、どこかへ“飛んで”しまおうかと急に考える時がある。ホント急に。
ペンを壁に投げ付け放送禁止用語を叫びながら外へ飛び出したくなる時がボクにだってある。

 このまま狂おうか それとも生きようか
 アウト! セーフ! 行こか戻ろか
 アウト! セーフ! 行こか戻ろか
 アウト! セーフ! コチコチと鳴る古い時計よ

きっとボクだけじゃない。人はみな大なり小なり日々の生活に不満を感じながら生きてるし、
下を見出したらキリがないけど、だからと言って上ばかり見出してもそれこそキリなんてなく、
みんな何かを犠牲にしながらまた何かを信じどこかに“出口”があると思いながら生きている。
そりゃ煮詰まって、それで銃や包丁持って暴れてすむならそれこそ人生はどれほど簡単か。
犯罪者になるなどアホでもできる。でも、そんなのは人生の“切り札”なんかじゃない……。

 アウト! セーフ! 行こか戻ろか
 アウト! セーフ! 行こか戻ろか

けっきょく人は行こか戻ろかと日々迷いながら、自分の足下を見つめて生きてゆくしかない。
どんなに毎日が辛くてもマジメに生きてゆくことでしか、出口を見つけることはできないんだ。
たとえ出口がないとわかっていても、たとえその先に望む出口がなかったとしても―だから、
懸命に生きる人に失業なんて悲劇はあってはならないし、それを強要する社会は悪なんだ。

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 鉄道とともに発展したアルゼンチンの山間にある小さな街で、
 ある日、突然、路線廃止の決定が下される。諦めず最後まで、
 労使交渉をつづけた組合代表は、しかし絶望して自ら命を絶ち、
 その兄、カルロス(ダリオ・グランディネティ)と4人の鉄道仲間たちも、
 家族や生活のため一人、また一人と自主退職に追い込まれてゆく。
 そんな中で頑固一徹の老鉄道員ブラウリオ(ウリセス・ドゥモント)は、
 修理工場の中に住み込んで、最後まで抵抗をつづけるのだが……。

現在、渋谷で公開されている映画 『今夜、列車は走る』 は、新自由主義政策導入の元、
民営化の嵐が吹き荒れた90年代のアルゼンチンを舞台にして、職を失った鉄道員たちと、
その家族の姿を描いた、昨今、一家の大黒柱である働き盛りの男性が突然、我を見失い、
愛する家族に手をかけてしまうなどという痛ましい事件が続発しているこの日本において、
決して遠い南米の話ではすまされない、現代的な社会的示唆を含んだ興味深い作品だ。
失業というヘビーな社会的題材をモチーフにしかし仄かなユーモアとペーソスを漂わせた、
毛色の変わった外国の映画…と聞くと、やはり思い出すのはアキ・カウリスマキの映画で、
そう言えば同じく南米はウルグアイの映画 『ウィスキー』 はそんな感じの作品だったけど、
しかしコチラは“南米のケン・ローチ”といった雰囲気でその印象は思いのほか骨が太い。
アルゼンチンと聞いても思い浮かぶのはとんねるずが歌っていた「ホテルアルゼンチン」と、
プロレス技の“アルゼンチンバックブリーカー”くらいで映画に関しての知識はないんだけど、
本作を観る限り、製作事情は決してよくはないらしいが内在的力量はかなり感じさせられる。

そんなアルゼンチン映画界の新鋭、まだまだ30代のニコラス・トゥオッツォ監督が描くのは、
“次の出口”という意味の原題が示す通りにたとえどれほど絶望的な状況に見舞われても、
人はひた向きに生きてゆくことでしか道を拓くことはできないという至極前向きなメッセージ。
決して安易な理想主義を掲げたりせず、失業した5人それぞれが苦境と相対峙する様子を、
監督は自分自身も格闘しながらしかし丹念な演出で温かく包み込むように描いてゆく……。
ままならぬ現状に5人が少しずつ我を見失い始めると同時に物語は不穏な空気を醸し始め、
一見、絶望的展開を選ぶように見せながら、しかし彼らの子供たちが起こすある行動により、
映画は深呼吸を開始。一転明日への微かなだけど確かな希望に充ちてどこまでも昇華する。
そこには、未来のアルゼンチンを担うべき若い世代に向けられた温かな信頼と眼差しも溢れ、
ドラマチックな演出も相まって本当に素晴らしく、映画は真に胸に迫る感動を与えてくれる―。
最近ここまで大きなハートを持った映画になんて出逢っていなかったんじゃないだろうか…?
深刻な社会的題材を扱いつつも人を信じる作り手の誠意と真心が胸を打つ本物の映画だ。



本当に、人間はマジメに生きてゆくよりほかに道はない。
大事なのは、日々への誇りと闘う勇気を持つことなのだ。
今にも叫び出したい衝動に駆られ毎日に悶え苦しんでる、
キミにアナタに、アウトになる前に観てほしい。ボクだって、

 行こか戻ろか 行こか戻ろか
 行こか戻ろか 行こか戻ろか
 行こか戻ろか 行こか戻ろか
 行こか戻ろか 行こか戻ろか……



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