いとし・こいし、のいる・こいる、ワイダとカール 『カティンの森』&『カールじいさんの空飛ぶ家』

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よく部屋でTVを見たり音楽を聴いたりしながらコンビニで買ってきた弁当を1人黙々食べていると、それを今さら、
侘しいなどと別に思わないとはいえ、たとえば唐揚げが芯まで温まっておらず「冷たっ」と思った時なんかにフと、
「…俺は70や80のじいさんになってもこうしてコンビニの弁当を独り寂しく食べているのかな…」と思うことはある。
友だちも続々とくたばってゆき(まァボクの方がずっと早くくたばっているかもしれないが)、夜中、急に目が醒めて、
若い頃の悔しかった話を延々想い出して眠れなくなってしまったり、その頃には、フィルム撮りの映画も死滅して、
映画館では3Dとかそれより先をゆく技術を駆使した映画しかやっておらず、「今の映画はダメだ」とか憂いながら、
フィルムセンターで並んでいたりなど、俺はこのまま、そんな寂しい年寄りになってしまうのかなと思うことはある。
まぁボケもせずそこまで無事に長生きできれば、たとえ独りであったとしてもそれだけで幸せだとは思うんだけど。

味のある年寄りになりたい―。昔見た、「必殺仕事人」のある回に、年老いた泥棒の話があって、その老泥棒は、
仕事の途中で若い夫婦が暮らす家を選んじゃ夫婦の“営み”を覗き見するような根っからのエロじじぃなんだけど、
ある日身寄りない不良娘と出逢って、行き掛かり上、その娘を自分の家に居候させてあげていたら、ある晩娘が、
「おじいさん、私を抱いてもいいんだよ…」と自分が何もお礼らしいことをできないモンだからそんなことを言い出し、
しかし泥棒はそこで優しく笑って、「オイオイ、何を言い出すんだい。この歳になるとねぇ、もう女はいらないんだよ」
となだめてあげ、そのエピソードを見ながらボクはカッコえぇ~! 俺もこういうじじぃになりたいと思ったモンだった。
まぁボクだったら、「おぅおぅそうかい、そりゃ申し訳ないねぇ」とか言ってオッパイくらいはモんでいる気がするけど、
とにかく老後も独りでコンビニ弁当を食べているのは仕方がないとしてせめて味のある年寄りになりたいとは思う。

なんで冒頭からこんな湿気っぽい話を書いているかといえば、ついこないだ観た、話題のピクサー・アニメ最新作、
『カールじいさんの空飛ぶ家』 の冒頭で展開される“追想”シーンがあまりに素晴らしくてポロポロと泣いてしまい、
あ~やっぱ独りボッチって寂しいなぁ~と、久々に痛感したからなんだけど、しかしよく考えたら、連れ合いがいて、
カールじいさんのように先に逝かれてしまう方が、精神的にはよほどダメージが大きいような気もし、それだったら、
最初っから一貫して独りボッチの方が実は老後もそれほど寂しくないんではないか?とかイロイロと考えたからで。
まぁそれはともかくジャンルはまるで違えど方や妻に先立たれ新しい人生に突き進むことになるじいさんの物語と、
方や御年83歳のじいさんになっても“怒り”を忘れず時代を撃つような映画を創る巨匠の中の巨匠の最新作という、
2本の“じいさん”映画を立て続けに観たゆえ、ボクも少し、経済面とは違う自分の老後に想いを馳せてみたかった。



マズ 『カールじいさん~』 の前に83歳の巨匠の最新作なんだけど、冷戦時代、『世代』(’54)、『地下水道』(’56)、
そして、『灰とダイヤモンド』(’58)のいわゆる“抵抗三部作”で一貫してソ連勢力下の社会主義体制を批判し続け、
ソ連崩壊以降も 『鷲の指輪』(’92)や 『聖週間』(’95)といった作品で、大戦中の悲劇のポーランド史を描いてきた、
ポーランドが世界に誇る大巨匠アンジェイ・ワイダ監督待望の最新作、『カティンの森』 は、西からはナチス・ドイツ、
そして東からはソ連に攻め込まれていた第二次大戦最中、ソ連の捕虜となっていた1万5千人のポーランド将校が、
抵抗する術もなし虐殺されたという“カティンの森事件”の真相に70年の時を経てついに迫った巨匠渾身の力作だ。
そんな事件があったこと自体ボクは知らなかったんだけれど、実は監督自身、この事件で父親を亡くしているらしく、
映画には今まで以上の熱い何かが漂いとはいえ基本は戦火に生きた人間たちを描いた重厚なドラマとなっている。

映画は、ソ連とドイツの板挟みで、もはやどうすることもできなくなっていた当時のポーランドの状況を端的に表す、
緊張感に溢れた橋のシーンから始まり、捕まった将校の夫と再会を果たすもののすぐに引き裂かれてしまう母娘、
同じく捕虜になった将軍の妻、“ワルシャワ蜂起”に参加した女性、そして、収容所の中の軍人たちといったように、
逼迫した状況の中でも帰らぬ亭主や恋人をひたすら気丈に待ち続けた女性たちの姿や、絶望的とわかっていても、
ポーランド再建を夢見て誇りを失わず散っていった軍人たちの姿を、群像劇のスタイルでもって描いてゆくんだけど、
なにより、特筆なのは、ワイダ監督自身、帰らぬ父親を待ち続け、夫を待ち続ける母の姿に胸を痛めた記憶を持つ、
つまり虐殺を行ったソ連に対し“ここで遭ったが100年目”と本来なら言いたいような題材をついに扱っていながらも、
それが決して私的怨恨へとは至らずに、あくまでも史実を検証する冷静な視点により映画が構築されているところ。

むしろ監督の怒りの矛先は、虐殺そのものよりもその事実をプロパガンダとして利用したり隠蔽したりしようとした、
当時のソ連やドイツの国家的体質に向けられていて、だけどその検証こそ現代もなんら変わらない大国家の欺瞞、
たとえば、国民を騙してイラクに攻め続けたアメリカや、いまだに近隣の国々を領土だと思っているロシアに対する、
鋭い視線となり観る者にも「騙されるな!」という緊張感を与えて、本作は類稀なる強度を持ちえているのだと思う。
確かにワイダ映画なのでそんなに容易く感情移入できるような創りにはなっていないし、ラストもあまりに重すぎて、
観終えた後は早く現実へ戻りたいと思うばかりのそんな作品にはなっているんだけど、「母へ」と字幕に出るように、
本作は史実を扱った映画という以上に女性の強さを前面に押し出したものとなっており、そう思うと印象はより深い。
83歳にしてこの映画的強度! 味のあるじじぃもいいが監督みたく“怒り”を忘れない年寄りにもなりたいものである。


で、上記作がヘビー過ぎたこともあり余計にジャンルの異なる映画を観て中和したかったということもあるんだけど、
そんな意味でも、『カールじいさんの空飛ぶ家』 はそれは楽しく、とはいえシンプルで飛翔感のあるドラマの中にも、
人生の深い示唆が込められているなど、さすがピクサーとそう思わずにはいられない、一級の娯楽作となっていた。
上述した通りに、ボクはもう、冒頭に流れるカールじいさんと彼の奥さんの追想シーンだけで泣いてしまったんだが、
周囲の再開発に押されて、1人で住んでいた家から立ち退きを迫られたじいさんが、屋根に大量の風船を括り付け、
「あばよ~!」とか言いながら(あばよじゃなかったけど)家ごと旅立って以降は意外や意外のストレートな冒険活劇。
妻に先立たれた孤独なじいさんが家ごと旅立つ話というあたりまでしか知らなかったから、その展開が少々驚きで、
そこへ、相変わらず途轍もないイマジネーションの洪水と絶妙な笑いが相まり、ホント、アッという間の103分だった。



アメリカでは、家の修繕や庭の手入れは男の仕事というくらいとにかく家が大事で、だからカールじいさんにしても、
土地は捨てられても家まで捨てられるか!と家ごと旅立つんだけど、しかし、じいさんは異文化と接する冒険の中、
目的を達成する必要に迫られて勢いとともに家の中にある大切な品々を捨て、しまいには家まで捨てることになる。
それはつまり、何か新しい目的のためには時には過去にまつわるすべてを捨てなくてはならないという意味であり、
そこで、映画にはもう1人、じいさんの子供の頃の憧れでありながらも、敵となってしまう冒険家が出てくるんだけど、
彼はまさに、過去に囚われ、自分を忘れ去った世間に対する怨恨を胸に生きてきたような人物で、そんな冒険家と、
カールじいさんの対決が実はそんな感じで過去と未来の対峙みたいになっているから後半が胸にグッとくるワケだ。
本作には、本当にもう変革の時期に来ているアメリカへのメッセージが込められている思うんだけどどうなんだろう?

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しかしまぁ、余計な深読みなどしなくても、泣けて、笑えて、ワクワクできる、ピクサー・アニメにハズレなし!という、
独りでもカップルでも友だち同士でも家族でも安心して観ていられるような盤石の1本と言えるんじゃないだろうか?
そんなワケで、熱き怒りに充ちた老匠の映画と大切なものは胸だけに第2の人生のスタートを切るじいさんの映画。
『カティンの森』 は暗いから 『カールじいさんの空飛ぶ家』 と絡めたら、多少は目立つんじゃないかと思ったんだが、
ホントにカールじいさんやワイダ監督の年齢になる頃、ボクはどんな人生を送っているんだろう?(生きているとして)
マジで1人キリだったら、イッソその時こそまたバックパッカーをやろうかとも思ってるんだけど、70、80じゃ厳しいか。
だけど、年寄りのバックパッカーなんて逆に目立つから逆にチョット物好きな若い女の子の連れができて、そしたら、
「栗本さん、抱いていいよ」とか言われて…どっちにしても、俺は頭の中身はエロいままじじぃになるんだろうなぁ~。

『カティンの森』
岩波ホール(神保町) にて公開中 ]
『カールじいさんの空飛ぶ家』
ユナイテッド・シネマとしまえん(豊島園) ほかにて公開中 ]