映画で世界を踊らせる! 『鏡の中のマヤ・デレン』&「マヤ・デレン全映画」

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いわゆる“アヴァンギャルド”とか“シュルレアリスム”とか謳われたって本当はなんのことかサッパリなんだけど、
それでも、たとえば 『アンダルシアの犬』(’29)や 『イレイザー・ヘッド』(’77)が誰にとっても面白いのは事実だし、
ケネス・アンガーの 『マジック・ランタン・サイクル』 だって全部は無理でも感性に響く作品が人によりあるハズで、
ヤン・シュヴァンクマイエルやクエイ兄弟にしたって意味はわからなくとも観ているだけでゾクゾクとしてしまうのは、
やはり視覚的表現を超えて心に伝わってくる“何か”が、作品の核にちゃんと込められているからにほかならない。
そういや劇中登場するスタン・ブラッケージの 『DOG STAR MAN〈完全版〉』(’61~64)も、解釈には戸惑ったけど、
体の芯に響いてくるものがあって観ているだけで妙に心地好かったのを憶えている。要するにアヴァンギャルドや、
シュルレアリスムといったって所詮は表現。映画という土俵の上じゃアクションやスプラッターと大差はない。(え!?)

そう思って今回、今まで名前すら知らなかったんだけど、なんでもアンディ・ウォーホルやジョナス・メカスといった、
ニューヨークのビジュアル・アーティストたちに大きな影響を与え、ルイス・ブニュエルや、ジャン・コクトーと並んで、
“アヴァンギャルド映画の女神”と言われる伝説の女性作家、マヤ・デレン(1917~61)の軌跡とその生涯を追った、
『鏡の中のマヤ・デレン』 というドキュメンタリー映画が渋谷のアート系映画館でやっていたのでこないだ観てきた。
マヤ・デレンは、ロシア革命の年にウクライナのキエフで生まれたユダヤ人で、5歳の時に一家でアメリカに亡命し、
26歳で、2人目の夫の映画作家アレクサンダー・ハミットとともに後のビジュアル・アート史に決定的影響を及ぼす、
『午後の網目』(’43)なる作品を発表したという人。ダンス&人類学に創作のルーツを持つ彼女は、やがてハイチで、
ヴードゥー教に傾倒してゆくんだが、44歳で他界。その死因は麻薬の過剰摂取ともヴードゥーの呪いとも噂された。



映画は、彼女がこの世に残した6本の作品をテクストにしながら、上述のジョナス・メカスやらスタン・ブラッケージ、
もしくはかつて作品に出演したダンサーや、ともに 『午後の網目』 を創ったアレクサンダー・ハミットの証言を元に、
多くの神話的エピソードに彩られた数奇といったらあまりに数奇なマヤ・デレンという女性の生涯へと肉薄してゆく。
随所に彼女の肉声による証言も引用されていて、レイトショーで全6作品を初めて観る前に本作に臨んだんだけど、
全篇に漲る出演者たちの彼女に対する愛情が伝わってきて、これだけでも、6本全部観たような気になれてしまう。
なにせ作品が作品だから、観るのであれば最初に本作を観てそれから6本に挑んだ方がいいんじゃないだろうか?
ただ、仮に彼女の作品を観ていない、もしくは都合で観られないにしても、本作だけで充分に面白いと言えるのは、
マヤ・デレンの生き方や考え方が作家として先駆的というよりは“女性として”先駆的でそこが興味深いと思うから。

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44年という短すぎる生涯で3回結婚しているというだけでも、その人生の起伏の大きさは推して知るべしなんだが、
10代の頃から文芸好きの少女だったのはもちろん、時代の激動の中、トロツキー主義者として政治運動にも参加、
18歳で自分を引き込んだ政治青年と結婚し2年後には離婚。その後も大学で勉強しラジオや原稿書きの仕事をし、
政治から再び文学に関心を移す中で、劇中にも出てくる黒人ダンサーで振付師のキャサリン・ダンハムと出逢って、
芸術的核をダンスと人類学で固めるようになり、それが、以降の作品やヴードゥー教の研究へつながっていった―。
パンフからの補足もあるんだけど、『午後の網目』 を創る前までだけでもこれだけ密度の濃い人生なんだから驚き!
1番目の政治青年然り、2番目のアレクサンダー・ハミット然り、そして、日系作曲家で3番目の夫テイジ・イトー然り、
男性からの影響を色濃く受けているという事実からも、彼女がいかに恋愛に対しても情熱的だったかが想像できる。

つまり本作は、伝説の映画作家の軌跡をたどったドキュメンタリーであると同時に“女性映画”でもあるワケなんだ。
今回のマヤ・デレン特集に通って作品そのものよりも彼女の生き方に共鳴したという女性は多いんじゃないかしら?
で、『鏡の中のマヤ・デレン』 を観た後に、いよいよと彼女が残した伝説の6本を鑑賞したんだけど、ハッキリいって、
『午後の網目』 以外は 『鏡の中の~』 を観た上でも「ウ~ん…」て感じで、途中ウトウトしてしまったりもしたものの、
しかし時間にしたらたった14分の 『午後の網目』 1本観るだけでも、この特集に通う意味はあるんじゃないかと思う。
たとえば 『アンダルシアの犬』 ほどインパクトがあったワケじゃないが、“夢”がモチーフになっているこの作品には、
その通り夢という事象の不可思議さや不条理性が、女性ならではの繊細で内的な感覚で実に巧く表現されており、
他人に説明しにくいミョ~な夢から醒めた時に誰もが感じる若干ダウナーな心地好さを余韻として残してくれるんだ。

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道端の花一輪を少女の影が拾って、彼女は玄関を鍵で開けて中へ入る。部屋にはナイフや受話器の外れた電話。
少女が階段を上ると風になびくカーテンと空転するレコードがあり、椅子に座って瞳を閉じるとソバに同じ娘が現れ、
窓の外を眺めている。外の道には花を持った“顔が鏡”の黒衣の女が歩いていて、同じ少女がその跡をつけてゆく。
少女が黒衣の女の跡を追い、また鍵で玄関を開けて家に入ると、そこには、さっきと同じ光景が広がっている……。
そういうようなエピソードが何回か繰り返され、そして繰り返されるたびに撮影の視点が変わるなど錯綜していって、
男も出てくれば(ハミット)、最後は椅子に座った少女が血を流して死んでいるという、実にめくるめく展開なんだけど、
イメージでいえば 『千と千尋の神隠し』 の“カオナシ”のような顔が鏡の黒衣の女というのが妙に怖くて凄く印象的。
奇妙な喩えだけど個人的には中原中也の詩を読んだ時みたいな感覚もあって、いやぁ~これは観てよかった……。

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そりゃまぁ確かに映画を観るなら、個人的には、鍛え上げられた肉体より繰り出される人知を超えたアクションとか、
大量の血飛沫の中を首が飛ぶみたいなスプラッターの方がいいし、それこそを、ボクは“芸術”と呼びたいんだけど、
こういう一見取っ付きにくいアートな薫りの作品だって足繁く観続けていれば必ず胸に“くる”ものに出逢えるワケで、
なにより、『鏡の中の~』 の中でマヤ・デレンの肉声として語られる、「映画では、世界を踊らせることができるワ―」
というそんな素敵な言葉を聞けただけでも、ボクは映画を観てよかったと思うし、彼女のことを知れてよかったと思う。
あまりに早い死だったようだけど、きっと心の美しい女性だったんだろうな。エディット・ピアフみたいな人だったかも?
『午後~』 ともう2本の自作に彼女は出ているんだが、天然の巻き毛も自己主張の強い個性的な美人だったんだし、
もっと女優としても活躍すりゃよかったのに。あ、それじゃ“鏡の中のアクトレス”か(古っ。因みに中原めいこ)。ぜひ!



『鏡の中のマヤ・デレン』&「マヤ・デレン全映画」
シアター・イメージフォーラム(渋谷) にて公開中 ※「マヤ・デレン全映画」はレイトショーのみ ]