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子供の頃にTVで見た、映画や特撮ヒーロー物の中の映像が、 トラウマとして今も残ってるなんて話は誰にもあると思うんだけど、 ボクが今、小さい頃を振り返ってパッと思い浮かぶそのテと言えば、 調べればすぐにわかると思うけど人間がアメーバに襲われる映画で、 (スティーブ・マックィーンが出てる 『人喰いアメーバの恐怖』 じゃないよ) とにかく真っ赤なアメーバに人が呑み込まれてゆく映像が怖くて仕方なく、 またそのアメーバがどんな隙間からでも侵入してくるという物体だったので、 それをTVで見てからしばらくボクは、窓の隙間とか、天井の板の継ぎ目から、 今にもアメーバが入ってくるんじゃないかと夜ごとビビッていたモンだった……。 ほかには、『ウルトラマン』 のシリーズに 『ウルトラマンレオ』 という異端的な作品があり、 前作“タロウ”があまりにも子供向けだったためレオは逆にドラマがハードだったんだけど、 登場する宇宙人の中に、“ツルク星人”という両腕が長い剣状となっている宇宙人がいて、 等身大の際、夜な夜な通り魔的に人間を殺して廻るんだがそれがまた残虐なこと極まりなく、 レオが変身する前のおゝとりゲン(真夏竜)を兄貴分として慕っている少年の父親をある晩襲い、 腕をひと振りして胴体を真っ二つ、そして上半身が切断面もリアルにポーンと飛び上がるという、 およそ子供番組とは思えない残酷描写にショックを受けすっかり夜道が怖くなったなんて記憶も。 しかも確か土曜の朝か何かの再放送でその日一日ずっと学校でブルーだったような気がする。 またもうひとつ想い出したが、これは確かアルジェントの 『サスペリア2』 だったと思うけど、 犯人の殺人鬼だったババァがラストで、鉄格子箱型のエレベーターにネックレスを引っ掛け、 エレベーターの上昇とともに首が絞まってやがてチギれてボトンと落ちるというエグい映像を、 これまた日曜昼の洋画劇場とかで見てオシッコを5ccほど漏らしてしまったという記憶もある。 ボクが子供の頃はそんな感じで今ほどTVの規制も厳しくなかったので、朝から昼から晩まで、 ワリとそういうエグ〜い映画や番組が見られた自由な(今思えば…)時代だったと思うんだけど、 しかしそうした子供心のトラウマはある程度必要で、それが無意識のウチに世の中の怖さとか、 人生の残酷さのようなものを教えてくれたし、そしてそれらはたいがい親や兄弟と見ていたから、 怖いゆえに“自分を守ってくれる存在”への愛情も大きくなっていったんじゃなかったかなぁ…と。 (これ以降、映画の内容に随時触れます) そんな中、現在公開中、『ショーシャンクの空に』 『グリーンマイル』 のフランク・ダラボン監督が、 “モダン・ホラーの帝王”スティーヴン・キングの人気短篇 『霧』 を原作に映画化した 『ミスト』 は、 B級と言えばあまりにB級な、それこそ、子供の頃に散々見たようなモンスター物という話の中に、 しかし人間の心に潜む残酷性や生きることの悲哀、そして人生の不条理をガッツリと託し込んで、 それはもう子供の頃に見てたらトラウマ化は必至というぐらい強烈にヘビーな後味の傑作だった。 正直なんの予備知識もなしに観たんだけど、ここまで無常極まりない話だとは知らなかったので、 観賞後は本当に打ちのめされて途轍もなく物哀しい気分に陥ってしまった……。完全にヤラれた。 凄まじい嵐の翌日、ライフラインが混乱する中、偶然ショッピング・センターに居合わせた人々が、 町に立ち込めた霧の中に潜む謎のモンスターに追い詰められ、しだいに理性を失ってゆく狂騒を、 本作は、あくまでリアルな人物描写を軸にしながら、決してB級映画とオドケることなく見せてゆく。 エイリアンやプレデターの方がまだ話せばわかってくれるんじゃないかと思えるぐらいにおぞましく、 容赦なしに人間を襲いまくる各種モンスターはCGのクセに妙にリアルな生理的嫌悪感を醸し出し、 CGと特殊メイクの残酷描写とのギャップがなぜか異様な迫力を生んでとにかく観ていて怖かった。 ダラボン監督と言えば前述の通りでいかにも感動モノを手掛ける人と勘違いする向きが多いけど、 モトは生粋のホラー畑の監督。逆に言えばウソの利かない恐怖の描き方を熟知しているからこそ、 『ショーシャンクの空に』 のようなリアルで心の琴線に触れてくる人間ドラマが描けもできるワケで、 本作じゃまさにキングの真髄をモノの見事に引き出して、襲い来るモンスターの恐怖という以上に、 未知の恐怖を前についに本性を現す人間そのものの怖さや弱さを、繊細かつ豪快に活写してゆく。 未知の恐怖に我を失い生存本能のみに駆り立てられ、ある者は自身の知性だけを頑なに信じ、 ある者は自分は神の使いだと狂い、そして己の中に何も持たざる者はすぐさま他者に煽動され、 ショッピング・センターはやがて人間の本性こそが醸し出す、阿鼻叫喚の地獄絵図へと変貌する。 正義など通用せず、信じても救われず、ただ不条理極まりない地獄はまさにこの人間社会の縮図。 正しければ報われるワケでもなく、弱き者こそ踏み躙られる生きるということの途轍もない無常―。 誰が生き残るのか予測できない肌がヒリヒリするようなサスペンスの体でグイグイ引っ張りながら、 ついに映画は、ボクは残念ながら原作を読んだことがないんだけど、映画オリジナルなんだという、 決して安易なドンデン返しとはケタが違う胃がねじ切れるような驚愕の結末へと突入してゆく……。 ハッピーエンドが来るとは思ってなかったけどしかしあまりの結末にボクはただ呆然としてしまった。 (ディーン・R・クーンツの 『ファントム』 に、スコット・スミスの 『シンプル・プラン』 を足したより強烈…) 確かにこれはコテコテのホラーだ。ほとんどの人は本作をチャチなB級映画だとバカにするだろうし、 結末にも拒否反応を示すだろうし、ボクにしても本来ならフザケるな!と叫びたいような話ではある。 しかし見せ方があまりに巧く、人間がリアルで、なにより単純に面白かったため、ボク個人としては、 それを決して不快とは思わずにただ打ちのめされ、胸打たれて気づくとクライマックスは泣いていた。 それこそ子供の頃の、世界の広さや怖さをチットモ知らなかったからこそ敏感だったと言える感情が、 映画によって引き出され、その感傷は映画の印象とは反面、なぜかしら心地好くもあったのだ……。 もしもボクに子供がいれば、茶の間で一緒に観たい映画だな…とそんな風に思える映画でもあった。 それはきっと小さい頃、“怖い映画”を茶の間で見る時は必ず近くに兄貴やお袋がいてくれたからだ。 だんだん話がズレてきたけど、でも本作の反応はそんな幼少体験に関係するような気がボクはする。 場内が明転すると、まるで悪い夢から醒めたかのようにボクは、本当に、本当に心よりホッとした。 映画を観てこんな気分になるのは実に久しぶりだし、あまりにショッキングなラストにもかかわらず、 ここまで余韻が深いのは、映画に題材を見下さない映画としての“心”があったからだと信じている。 個人的には現在、『28週後…』 『君のためなら千回でも』 に並ぶ本年ベスト級の1本だと断言する。 映画を観たのが先の日曜日。“母の日”だったので、まぁ贈り物こそついゾしたことはないんだけど、 しかし電話だけはかけることにしているので新宿からの帰り、道々歩きながらお袋へ電話をかけた。 とりとめもなく身近にあったことを話して聞かせるお袋の声に耳を傾けながら、歳がいくつになっても、 母親の声というのは安心するモンだな…と、そんなことを想う自分に照れながら、しかしいつもより、 お袋の声を聞いていたくて、「今、仕事帰りに映画観とったワ」 とチョット話を引っ張ってみた……。 [ 新宿東亜興行チェーン ほかにて公開中 ] |
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