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ボクが初めて観た、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー(1945〜82)の映画は、 『少しの愛だけでも』(’75/76)と、『何故R氏は発作的に人を殺したか?』(’70)。 サラリーマン時代の話、どんな経緯でファスビンダーを知ったのかは忘れたけど、 とにかく、とてもじゃないけど仕事帰りの疲れた状態で観るような映画じゃなかった……。 望んで観に行きながら、なんで仕事帰りにこんな映画観なきゃいけないんだ!と憤ったし、 名古屋は今池って街にあるシネマテークで観たんだけど、そこから市バスで上飯田へ出て、 さらに名鉄に乗り継いで近郊の小牧までという帰りの道すがらで目にしたすべての風景が、 どんより色褪せて物すご〜く殺伐とした気分に陥ったことを今でもハッキリ憶えている……。 『少しの愛だけでも』 は、両親からの愛情を感じられないまま少年時代を過ごした孤独な男が、 結婚をして、妻の愛を失うことを怖れるあまり、なんとか家の調度品やプレゼントで気を惹こうと、 ムリな借金を重ねて追い詰められ、挙句、ある日父親と似た男を衝動的に殺してしまうという話。 刑務所にいる主人公が心理学者に語るというカタチで彼の人生や殺人の経緯が回想されてゆく。 『何故R氏は発作的に〜』 は建築事務所に勤めるマジメな、ごくごくマジメな1人の男R氏の物語。 家庭に恵まれ、堅実な仕事に就き、快適な住まいもあって一見フツーに充たされたそんな人間が、 これまたある日突然、大きな燭台で隣人と妻子供を殴り殺して自分も風呂場で首を吊って死ぬ―。 本当にただそれだけの映画。エモーションのカケラもなく、イヤ〜な気分になる以外なす術のない。 観終わった瞬間、吐くかと思ったし、今こうして書いているだけでもどんどん気が滅入ってくる。 70年代の“ニュー・ジャーマン・シネマ”を代表する映画作家の作品はあまりに殺伐としていて、 今でこそあらゆる映画に対しそれなりの免疫があるもののその時はそんな映画初めてだったし、 いったいどんなヤツがなんのために、誰のために創った映画なのかまったく理解ができなかった。 でも、そんな昔の映画がまるで“今の日本”を描いているように見えるのは多分ボクだけではない。 もちろん、挙げた映画の内面性をすぐに昨今頻発する衝動殺人と関連付けるのは単純とは言え、 しかし「愛されたかった」と言っては人を殺し退屈と言ってはそんな日常を狂気で紛らわそうとする、 そんな現代日本の病んだ状況はあまりにもファスビンダーがかつて創った殺伐映画とカブるんだ―。 『少しの愛だけでも』 じゃあ、だからと言って37歳で夭逝したその作家が先見の明を持つ社会派監督だったかと言えば、 それはまた違う。そんな思い込みでこの男の映画を観続けていたら今に大ヤケドするだろう(多分)。 ファスビンダーはとにかく(まァ全部観たワケじゃないが)人をイヤ〜な気にさせる達人な監督だった。 登場人物を追い詰め観客を追い詰め、ひたすら殺伐とした、ひたすらやさぐれた映画を創り続けた。 確かに、商業的成功作 『マリア・ブラウンの結婚』(’78)や 『リリー・マルレーン』(’80/81)を観れば、 肌理細やかかつレンジの広い演出もできる作家と一応は思えるけど、そりゃプロの映画監督だモノ。 しかしその一方で彼は、映画というメディアを利用して、用意周到な計算力と強靭な精神力でもって、 無差別殺人じゃなく無差別嫌がらせを敢行するような屈折した人間だったとボクもまた思うのだ……。 自身、両親の離婚を早くに経験したことがその37年という短い人生にどう影響したのかは知らない。 しかし、アル中で、ヤク中で、睡眠薬依存症で、女も大好きなら男も大好きといういわゆる“両刀”で、 結婚を2回していて、その間に男の愛人を3人も作って、そんでもって彼らを自分の映画に出演させて、 オマケにその3人の内の2人が自殺して、自分も37歳の若さで文字通り野垂れ死にしたというそんな、 誰をも幸福にすることのなかった男の内面にドロドロとした底なしの“憎悪”を覚えるのは当然では…? ファスビンダーにとって映画とはきっと、そんな内面に巣喰うドロドロをなんとか昇華させる唯一の手段、 つまり自分と社会をどうにかつなぎ止めておくためのギリギリの手段だったような気がボクはするんだ。 だけど、映画とは本来そういうモンじゃ? 映画に限らず、音楽や小説など、表現と言われる類は全部。 そして、そんな屈折した、心の内面が何に対してだか憎悪だらけだった(多分)人間の創った映画が、 今もこうして高く評価されて、新旧の映画ファンを今日も惹き寄せ続けている。ボクもその内の1人―。 ヤな気分になるかもしれないと思っても、金払って疲れるだけかもと思ってもついこうして通ってしまう。 そんな男の映画に“少しの愛だけでも”見出したいのか、それこそ何かを信じるように足を運んでしまう。 この世の中には、少なからず、人を傷つけることでしか自分を保てないという人間が、確実に存在する。 それでも自分に向けられる愛を求めてもがき苦しみながら、しかし人を傷つけ続けるという人間がいる。 ファスビンダーはきっとそういう類の人間で、それで酒や薬やセックスや映画に溺れ続けたんだと思う。 だけど、そんな人間の憎悪の発露のような映画が…同じく憎悪を抱える人間の“癒し”となる時もある。 『何故R氏は発作的に人を殺したか?』 最後に……。実はボクも一時期、読んでそれに気づいた人が果たしていたのか否かはともかくとして、 目にした人の気が滅入るような文章をワザと書いてやろうと心しながらブログを付けていたことがある。 それこそ映画を観れば心が豊かになるなどという“映画性善説”を真っ向から否定したいとばかりに―。 その時期はきっと、そういうアプローチでしか自分の気持をブログに託すことができなかったんだ…とは、 たかがブログでなんともカッコつけた言い種だけど、しかし、そういうのはもうやめた。いったいいつまで、 このブログによる自己発露がつづくのかはともかく、これからは映画を通しなるだけ楽しい話を書くんだ。 まぁだからと言っても日々暮らす中で人様に提供できるほどの楽しい話がそんなにあるワケじゃないし、 なによりボクは基本的には「映画を観る」ということは自分の内面の孤独と向き合うことだと考えていて、 だから安易に他者と想いを共有または交感しえるものじゃないと考えているんだけど、しかしそれさえも、 裏を返せば、映画を愉しむある種の心の豊かさゆえなのだと…そんな話を書いていこうと思っているんだ。 ネットは確かに“感情を煽る”し、それに映画によっては文章がダウナーな感じに陥る時もあるだろうし、 なによりファスビンダーにすれば映画はその原理で心の暗部を煽るものだったのかもしれないと今思う。 しかし、ならばボクは、映画の感想に託してこれからはなるだけ楽しい話ばかり書いていきたいと思うし、 それがファスビンダーに対するボクなりの“答え”なら、なにしろもう辛い話や暗い事件はたくさんなんだ。 ま、世の中が楽しげな話ばかりでも逆に嘘臭いからそこでファスビンダーが必要とされるとは言え……。 とにかく、今だからこそのファスビンダー。己の内面と向き合うが如くキミもファスビンダーにタチムカエ! 「ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー映画祭2008」 [ ドイツ文化会館ホール(青山一丁目) にて6月20日(金)まで 引き続き、アテネ・フランセ文化センター(水道橋) にて6月21日(土)〜7月5日(土)まで開催 ] |
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