柳町なんて知らない!? 『カミュなんて知らない』

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先日、土曜日のあの横なぐりの大雨のなか、
“単館映画の聖地”渋谷の、ラブホテルが林立し、
その間にクラブやライヴハウスが点々と建ち並んでいる円山町の一角に、
リニューアルしたユーロスペースや、邦画専門の名画館などいくつかの劇場を各階に揃えた、
“単館のシネコン”とでも呼ぶべき映画ビルが満を持してのオープンとなった。
全国各地で同じ映画を垂れ流すだけの似たようなシネコンがアホみたいに建ってゆくなかで、
さすがにあの街は10歩も100歩も抜きん出ている。

そしてあの雨のなか、各階はいずれも大盛況(多分。だって3Fしか見てないし)。
ボクは引っ越してきて若干ハコが大きくなりキャパも増えたユーロスペースへ行ったんだけど、
そうしたら、小一時間も早めに行ったというのにもう満席で「お立ち見になります」とか言われ、
だけど、その後に観るもう1本の映画の整理券を早くも取っていたボクはどうすることもできず、
仕方なしに前売券を入場券と交換してもらい、
また外へ出て雨に濡れるのも嫌なのでそのままロビーで待つことにしたんだけど、
これが次から次へと人がやってきてロビーはすぐに酸欠寸前みたいな状態に。
「いくらなんでもどうしてこんなに混んでるんだ…!?」
いい加減不思議に思ったボクは、座っていた長イスの隣に腰かけていた単身らしい女のコに、
「なんでこんなに混んでるんですか?」と話しかけたところ(意外と見知らぬ人に気安いタイプ)、
「舞台挨拶があるからだと思いますけど…」と彼女。
……まったく知らなかった。
そう言えば、東京で日本映画の公開初日だったら舞台挨拶なんて当たり前なんだけど、
ボクはただ単純に次に観る映画との兼ね合いでその時間を選んだだけなので、
誠に勝手な言い草ではあるが、
舞台挨拶等のイベントにさして興味のないボクからすれば、迷惑と言えば非常に傍迷惑な話。

案の定、客の数はその後も膨れ上がる一方で開場時間は押しに押しまくり、
ようやく入れたと思ったら、今度は満席はともかく取材関係のプレスの人たちもいっぱいで、
通路にしゃがむことさえできないような飽和状態。だんだんムカついてきて、
プレスの群れに「ウゼェよお前ら!」と理不尽な怒りを今にもぶつけそうになっているときに、
司会の人が現れて舞台挨拶がようやく始まり、
中泉英雄、吉川ひなの、柏原収史、前田愛、そして柳町光男監督の順で壇上へ。
そのなかでひと際目立っていたのはやはり、
背が高く本当にフランス人形のような顔立ちをした(喩えが古い)吉川ひなのだったんだけど、
しかし顔ぶれを見た瞬間にボクの目が止まったのは彼女ではなく、
……前田愛チャンの方だった……(“チャン”づけになってますが)。
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カっ、
カァ~ワァ~イィ~!!!!(万歳(マンセー)!万歳(マンセー)!万歳(マンセー)!)


雨に濡れたことも、待ち時間の苦痛も、
それまでのフラストレーションはもちろん一瞬にして解消。
この時間に来てよかった!とコウモリ並みのボクのアタマのなかでは、
二頭身ほどの小さなボクが100人態勢でスタンディングオベーション(全員正装に蝶ネクタイ)。
柏原クンの、「有頂天ホテルへ行かずコチラに来ていただいてありがとうございます」
というなかなか気の利いたスピーチ以外、
ほかの出演者や司会者の話など何ひとつとして耳には届かず、
ボクはただひたすらストーカーまがいのイヤラシイ熱を帯びた目線で、
彼女のことをそれこそ全身舐め廻すように凝視し続けた。
ボクは間違いなく「カワイイカワイイ…」とブツブツつぶやいていたので、
周りに気づかれていたなら相当レッドゾーン(危険)スレスレだったハズ……。
「前田!」と言われたらいまだに「日明(アキラ)!」と応えてしまうし、
これまで彼女よりも、どちらかと言えば妹の亜季チャンの方が(ここも“チャン”づけですが)
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圧倒的にタイプだったんだけど、これからは、前田と言えば当たり前田の愛である。
(どうしてボクは、こういう姉妹が暮らしている隣の家に生まれなかったんだろう…)

いやぁ~舞台挨拶って、本当に素晴らしいですね(机の上で手を組みながら)。

余談だけど、柏原収史は顔がデカイ。
隣が小作り顔の吉川ひなのだったから余計にそう感じたのもあるけど(マジで約2倍)、
それにしたって、あの顔のデカさは尋常ではないだろう。もはや大器の風格であった。

で、舞台挨拶もつつがなく終わり(もう二度と愛チャンに会えることないんだろうな…)、
最前列をすべて陣取っていたプレスの人たちもどいて空いたので無事に席にも座れ、
ホクホク気分で鑑賞、という段に相なったワケ。

そして映画は、先ほども壇上でスピーチしていた、
飽和状態の70年代日本の底辺に巣喰う暴発寸前の青春像を胸に迫るタッチで描いた傑作、
『十九歳の地図』(1979)や、
工業団地化が進む田園都市の80年代的鬱屈と覚醒剤による狂気の行方を骨太く描出した、
『さらば愛しき大地』(1982)など、
時代を深く抉る肉厚な作品で日本、そして世界を魅了し続けてきた柳町光男監督の最新作、
『カミュなんて知らない』

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 ある大学の文学部の学生たちが、授業の一環である映像ワークショップで、
 実際に起きた高校生による不条理殺人を題材にした映画製作に取り組む。
 だが、監督・松川(柏原)と助監督・久田(前田)は、犯人の心理描写をめぐって意見を違わせ、
 そこに、松川の恋人で妄信的なカオリ(吉川)も絡んできて準備はいっこうに進まない。
 一方、彼らの指導教授で2年前に妻を亡くした元映画監督の中條(本田博太郎)は、
 美しい女子大生のレイ(黒木メイサ)に密かな恋心を抱いていた……。

結論から言えば、
2000年5月に愛知県の豊川市で実際に起きた“老婆刺殺事件”をモチーフに、
インターネットやTVゲームなどヴァーチャルなものに冒されて、
現実の死にリアルを感じられない現代の若者が起こす(と、よく解釈される)“不条理殺人”を、
アルベール・カミュの傑作小説 『異邦人』 を引き合いにして描くという方向性は、
すでに時代錯誤な感じもして作品のテーマとしては若干ハズしていると言わざるをえない。

学生たちにはまるで現代の学生としてのリアリティがなくあってもそれは“70年代”の学生で、
彼らが嬉々として語り合う名画や往年の映画監督の話も何を今さらというような内容ばかり。
田口トモロヲがなぜ学生役で、しかも35歳という設定(ウソつけ!)で出ているのかも不明なら、
妻を亡くし、ヒップホップとフランス文学を好む女学生(しかも実はトモロヲの妻という役!)に、
仄かな恋心を抱くかなり怪しい、というより正直言って気色悪い教授を演じる本田博太郎も、
“北京原人”につづくカルト的キャラでイマイチそのキャラ的重要性とポイントは理解できない。
コチラがドン引きしてしまうような芝居がかった乙女チックな(死語)セリフを連発する、
トリュフォーの 『アデルの恋の物語』 でイザベル・アジャーニが演じたアデルに喩えられる、
吉川ひなの扮するカオリの存在理由も不明なら、
なにより彼女と松川のアッと驚くような結末には、
会場の観客全員が鳩が豆鉄砲を喰ったような顔をするしかないそれはあまりに唐突な展開。
それより以前に松川と久田が、
犯人の心理描写をめぐって言い争うという部分もまったくストーリーに活きていない。
要は、登場人物の恋愛模様や映画製作における心理的葛藤にリアリティがないもんだから、
題材としている不条理殺人の虚構性との比較が不発で的をハズしてしまっているのだ。

でも、なのに、にもかかわらず、この映画は全然ダメじゃない。
どんなにセリフが大根臭くて大味でも、どんなに演出が古いタイプで鈍臭くても、
スクリーンには、それはもう“柳町映画”としか形容しようのない、
観出したらやめられない止まらないしかし人は選ぶ濃厚な映画的魔力が充ちているから、
時間いっぱい退屈することがない。
クライマックス、現実と虚構の境い目を、
「映画」を媒介にすることで曖昧にして繰り広げられる惨殺シーンは、
(要するに、そうすることで“現実”と“虚構”の区別がつかずに起こるという、
 現代の不条理殺人の心的メカニズムを表現するやり方)
それまでのどこか拍子抜けするようなカルトな作りが、
実は我々観客を油断させるための周到な布石だったのではないかと思わせるほど凄い迫力。
そこだけは、往年の柳町映画の旺盛な喰いっぷりを彷彿とさせ、そしてそれは、
劇中至るところに散りばめられるどんな“映画遊び”よりも魅力的で映画好きの溜飲を下げる。
その迫力は、『さらば愛しき大地』 のクライマックスに比肩すると言っても過言じゃないだろう。

現代を描くのに、
“映画の虚構性”を引っ張ってくるという監督の思惑は空廻り気味だけど、
やはりそこには時代を必死に駆け抜けてきた60歳男の熱意と実直さがゴツゴツとしていて、
だからボクは、この映画がとても好きだ。

そんな“柳町テイスト”を満喫できるかどうかが、本作鑑賞のカギということが言えるだろう。
監督の 『旅するパオジャンフー』(1995)が観たい!

え?
ロビーで声かけた女のコはどうしたかって?
さァ・・・。
ここに書かれてあることはぜーんぶ、“映画”のなかのことかもネ。

[ 渋谷 ユーロスペース にて公開中 ]

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