異端児が挑む“王道”の大河メロドラマ、でも… 『エンジェル』

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たかがこんなブログとは言え3年もつづけていたら、
比較はできないけれどそれなりにアクセスは増えてきて、
記事も数100を超えれば各アクセス数にもバラつきが出てくる。
で、別に金を稼ぐ目的で始めたワケじゃないんだし、
所詮は徹底した自己満足として日々つづけている趣味なので、
誰1人にも読まれなくてもそんなの関係ねぇ!てなモンのハズなんだけど、
しかし、そこは人間。せっかくシコシコとアップした記事のアクセスが極端に少なきゃ、
やっぱりテンションは下がるしヘンな言い分だけどブログの存在意義にも自信が失せ、
基本が「映画ブログ」だから、「もっと話題作の感想も手広く書いた方がいいかな」とか、
誰にツブヤくでもなしに「あんまりこんな書き方ばかりしてると飽きられるかな…」などと、
要は“架空の読み手”を想像しすぎて筆が鈍ってしまうなんて場合も、時にあったりする。

まァしかし、やっぱり金と時間を犠牲にしてまで織田裕二のデカい顔なんザ見たかないし、
世の中には「こんな映画もある」ということを微細でも発信したくて始めたのがキッカケだし、
なにより自分が“気持好い”文章を書かなければブログの意味などゼッタイないと思うので、
「毎回グチ」とか、「心が病気」とか、「コメント欄なくて冷たい」とか仮に思われたとしても、
やっぱり、そんなの関係ねぇ! 知るか! というのが自分の核心だったりするワケである。
まァなにせガンコで融通の利かない性格は子供の頃から。今さら変える気はまったくない。

何が言いたいかというと、要するにこんな一介のブロガーでもそんなことを思うのだから、
それが職業で物を書いている人、いや、物書きに限らず音楽でも絵でも彫刻でもなんでも、
ジャンル不問でとにかく職業として“創作”と呼ばれるものに携わっているような人であれば、
上述をカッコよく言ういわゆるマーケティングをまったく無視して創作をつづけるのは困難で、
たとえばマニアックなベクトルで何かを創り、それが広く認知されたなんてアーティストは、
今度はそのマニアックがより広い層へと向くように平たくすることを過分に求められたり、
またはマニアックだけじゃないのにマニアックなベクトルばかりをずっと求め続けられたりと、
どこかで自分の個性を殺すことも要求されてだけどそれって創作の原点に照らし合わせれば、
自分にウソをつくってことでもあり、たとえ売れても充たされない部分は大きいんじゃないかと。

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 1900年代初頭。イギリスの下町ノーリーで食料品店を営む母親とともに、
 細々と暮らす下層中流階級の娘エンジェル・デヴェレル(ロモーラ・ガライ)は、
 溢れんばかりの想像力と文才が認められて16歳にして文壇デビューを果たす。
 幼い頃より貴族のような生活に憧れていたエンジェルは豪邸を購入し贅沢を極める。
 そんな中で彼女は画家のエスメ(ミヒャエル・ファスベンダー)と恋に落ち結ばれるが……。

この、一見は子供の頃から自分だけの煌びやかなイマジネーションの世界に生き、
それをやがて小説という創作へとつなげて成功し人も羨むセレブの仲間入りを果たし、
要は生涯、自分にウソをつくことなく純粋に生きたある女流作家の波乱万丈の半生記を、
いつもの毒や悪趣味を封印して、極めて“王道”なタッチで描いたフランス映画屈指の鬼才、
『ふたりの5つの分かれ路』『ぼくを葬る』 のフランソワ・オゾン監督最新作 『エンジェル』 は、
それは堂々のヨーロッパ映画的コスプレ大河メロドラマとして観応え充分の野心作な反面、
しかし元々キワドい毒や悪趣味をセンスよく芸術的に昇華させてかつては異端児と呼ばれ、
それがいつの間にか女性映画の名手などと呼ばれるようになったオゾンの経歴を考えれば、
作品には単に女性映画という印象を超えて女性として、そして作家として純粋すぎたがゆえ、
最期は不遇の末路を迎えるヒロインに対して自分を重ねる部分もあったんではないかと……。
鬼才だ異端だと言われても一度売れてしまえばやはり以降は売れる物を求められるワケで、
それをしなかったヒロインに彼自身が感情移入する部分はきっと大きかったんではないか?

車などで街中を移動するシーンをあえて“合成っぽく”見せるという、そんな、
往年のハリウッド古典メロドラマを彷彿させんとテクニカラーも目に鮮やかに描く、
自身の初の英語劇ということを意識した遊び心はさすがフランソワ・オゾンの真骨頂。
超個性的で誰にも馴染むワケじゃないエンジェルという飛んでるヒロインのキャラクターを、
しかしオゾン監督は淀みのない流麗な演出で万人が観やすいよう至極丁寧に描いてゆく。
今回の彼が生み出すヒロイン像に女性客がどんな風に共感するかは知る由もないけれど、
個人的にはやはり本作は万人向けすぎていつもの毒がなく物足りなさの方が大きかった。

つまり、ハッキリ言うと今回の映画はあまりいつものオゾンらしくなくてツマラなかったと。
もっといつもみたく客が引くような悪趣味を入れてほしかったってそれは寂しさなんだけど、
それは単にオゾンが“丸く”なったからなのか、初の英語劇ゆえ“守り”に入ったからなのか、
それとも万人ウケを求められてあえてそうした作風だったのか、いずれにせよこの監督は、
映画作家として個性的な以上に、職人的器用さも卓越している稀な監督のハズなので、
そのヘンがよく見えずそんな部分も個人的にあまり惹かれなかった要因なんだと思う。
いったいいつキワキワのドレスの胸元から目の醒めるような巨乳がポロリとなるのかと、
そんなことばかり考えながらロモーラ・ガライを見ていたらいつしか映画は終了していた。
(嗚呼…今思い出しても 『スイミング・プール』 のリュディヴィーヌ・サニエはエロかった!)

ボクはこの監督の代表作のように思われている 『8人の女たち』 はあまり好きではなく、
やはり初期の頃の 『海をみる』 とか最近なら上述の 『スイミング・プール』 が好きなので、
ここらでまたひとつ、イヤラシく毒々しい華をパッと咲かせてほしいなんて思ってるんだけど、
まぁ逆に言えば、こうしたまるで 『エディット・ピアフ』 みたいな“王道”も撮れるということを、
本作は証明しているとも言えるワケで、それで冒頭のような話をチョット考えてみたと……。
ただ、多作のワリに毎回ヒットはしないので、オゾンは意外と器用貧乏な面もあるのかも?
それに、ガンコが祟って不遇な末路を迎えるのはよっぽど俺の方ではないかと思ったり・・・?

シャンテ・シネ(日比谷) にて公開中 ]